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初の女子ノッカー! そこで、甲子園と「女性」のウンチクを

楊順行スポーツライター
イギリスにも女子野球の選手がいるそうです(写真:ロイター/アフロ)

 第95回記念選抜高校野球大会。第5日第3試合では、城東(徳島)のマネジャー、永野悠菜さんが、東海大菅生(東京)との試合前に、シートノックを打った。春夏の甲子園で、女子部員がノックを打つのは史上初めてだ。城東の部員は、永野さんを含めて13人。永野さんは、日常の練習から重要な戦力なのだ。

 2016年夏、選手権大会の甲子園練習で、大分の女子マネジャーがユニホーム姿でノッカーにボールを手渡すなどした際、安全面を懸念した大会関係者に制止された。それから考えると、わずか7年で意識がずいぶん変わってきたものだ。

 そもそも日本高野連の大会参加資格者規定には、「その学校に在学する男子生徒で……」という条文がある。つまり現状では、残念ながら女子生徒は甲子園でプレーできないわけだ。ただそれを承知で、日常は男子部員に交じって同じ練習をこなす女子部員も全国には少なからずいる。チームが甲子園出場を果たしたら、そういった部員になんとか甲子園の土だけでも踏ませたいと考えるのは、指導者の人情だろう。それが、女子マネージャーの練習参加につながった。

 だが当時の大会規定では、女子部員が記録員としてベンチ入りすることは認めているが、練習参加については想定しておらず、制止されたわけである。ただし、世はジェンダーレス時代。時代錯誤だと批判を浴びたため、17年春からは、危険が伴わない範囲で(グラウンドでの行動は人工芝部分)練習参加が容認された。そして昨夏には、試合中に審判にボールを渡す「ボールボーイ」にも女子部員の起用が認められ、名称も「ボールパーソン」に。また、試合前の練習でもノッカーの補助として女子部員の参加がOKとなった。さらにこのセンバツからは、補助だけではなく女子によるノックも認められ、永野さんの"史上初"が生まれるわけだ。とかく頭が固いと思われてきた日本高野連だが、タイブレークや継続試合の導入、あるいは休養日の増加など、スピード感のある改革が続いている。

 甲子園と「女性」の関わりの歴史を振り返ってみると……まず、ベンチ入りが初めて認められたのは女性部長だ。1995年夏の第77回大会で、柳川(福岡)の高木功美子さんが甲子園のベンチに座っている。地方大会では、70年代から登場していた女性部長だが、甲子園大会ではこれが初めて。高木さんは剣道4段の腕前で、インターハイ団体優勝の経験を持つ体育の先生だが、野球に関しては素人で、スコアの付け方から覚えていったという。

監督と女子マネ記録員、親子で優勝も

 翌96年には、「今大会から16人の選手以外に、一人の記録員のベンチ入りを認める。部員登録している者なら男女を問わない」と、選手権大会規定の一部を改定。これにより、すでにいくつかの地方大会では認められていた女子マネジャーのベンチ入りが甲子園でも可能になったわけだ。歴史的な第1号は大会第3日、これもやはり福岡・東筑の三井由佳子さん。県内では、1年の秋から記録員としてベンチ入りしていたが、この年夏の福岡大会では、メンバーから外れた3年生の一人が記録員としてベンチ入りしたため、スタンドから声援を送っていた。

 だが、甲子園出場が決まったとき。その部員は青野浩彦監督に「甲子園では自分ではなく、三井をベンチに入れてあげてください」。通学に1時間もかかりながら、野球部を支え続けた仕事ぶりと人柄から、三井さんのベンチ入りにはだれもが納得し、女子部員が初めて甲子園の土を踏んだわけである。このときの東筑は、盛岡大付(岩手)に勝って初戦を突破。三井さんは勝利の女神と注目され、この大会では、計8人の女子マネジャーがベンチ入りを果たしている。

 以来、女子マネのベンチ入りは通常の光景となった。05年のセンバツでは、愛工大名電(愛知)が初優勝を果たしているが、このときの記録員はマネジャーの倉野智加さん。倉野光生監督の娘で、春夏通じて史上初の優勝校の女子記録員である。そして……21、22年と、全国高等学校女子硬式野球選手権大会の決勝が甲子園で行われた。いつか、男子にヒケをとらない力量の選手が出てくれば……春夏のリアル甲子園に女子、という日がくるのかもしれない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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