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今週末がラスト騎乗となる蛯名正義について、ライバル武豊が思い出を語った

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2010年の凱旋門賞に一緒に騎乗した武豊(左)と蛯名正義

同期として切磋琢磨

 「こうやって一緒にレースに騎乗するのもこれが最後だな……」

 2月13日、阪神競馬場の第10レース・飛鳥S。ダンサールに騎乗して5番ゲートに入った武豊は、すぐ隣の4番枠に視線を投げてそう思った。そのゲート内にはアカイイトに跨る蛯名正義がいた。

 1969年3月15日生まれの武豊と、その4日後の19日が誕生日の蛯名正義。共に競馬学校の3期生としてジョッキーを目指した。蛯名を、親しみを込めて「エビちゃん」と呼ぶ武豊は、以前、初めて会った時の事を笑いながら次のように話していた。

 「よく覚えています。自分は関西だったけど、エビちゃんは北海道だったので、正直、訛りが強くて何を言っているのか分かりませんでした」

 おそらく当時は互いにその後、40年近くトップジョッキーとして競い合っていくとは思いもしなかったのではないだろうか。

トレセンでの武豊(左)と蛯名(右)。中央の横山典弘も名手で、果たして3人で何勝しているのか……
トレセンでの武豊(左)と蛯名(右)。中央の横山典弘も名手で、果たして3人で何勝しているのか……

 2人は87年にデビューを果たした。当時の新人最多勝を記録するなど、いきなりトップジョッキーへの座を突っ走った武豊に対し、蛯名は徐々に頭角を現していった。

 初のG1制覇は96年、バブルガムフェローを駆っての天皇賞(秋)。デビュー10年目でやっと届いた金的だったが、まるでこれが合図かのようにその後はG1戦線になくてはならない男になる。98年にコンビを組んだエルコンドルパサーではジャパンC(G1)を優勝。翌99年、同馬とのコンビでフランスへ遠征するとサンクルー大賞典(G1)を制覇し、凱旋門賞(G1)でも2着に善戦。同じ日にアグネスワールドでアベイユドロンシャン賞(G1)を勝った武豊は「ゴール前は声を出して応援しました」と語ったものだ。

1999年の凱旋門賞で蛯名が乗り2着したエルコンドルパサー(左)
1999年の凱旋門賞で蛯名が乗り2着したエルコンドルパサー(左)

 2001年にはこんな事があった。この年の有馬記念(G1)を制したのは蛯名騎乗のマンハッタンカフェ。逃げて3着だったトゥザヴィクトリーの手綱を取っていたのが武豊で、2人はレース直後に握手をかわして声をかけあった。武豊が「俺が良い感じで逃げたからエビちゃんが勝てたな」と冗談半分に笑いながら言うと、蛯名も「いやいや、もう少しで逃げ切るところだったじゃん!!」と返し、2人は白い歯をこぼした。

 ところでこの握手の意味は単に同期の騎手同士がグランプリ勝利を称え合っただけではなかった。この前年まで9年連続で全国リーディングの座を守り続けていた武豊だが、この年はフランスをベースにした事もあり勝ち鞍は半減。その不在を守るように、トップの座を奪ったのが蛯名だった。その活躍ぶりは枚挙にいとまがなく「ユタカがいなかったから」と注文のつくモノではなかった。つまり、この握手にはリーディングを受け継いだ事に対する祝福の意味も込められていたのである。

 ちなみにこの前年の00年には武豊がアメリカの西海岸をベースに騎乗すると、蛯名は同じアメリカでも東海岸へ飛び、現地の競馬に参戦した。武豊は当時「エビちゃんのレースぶりはテレビで観戦しながら応援していました」と語った。2人は共にアメリカのジョッキー達と腕を“競い”合っているようで、互いに腕を“磨き”合っていたのである。

2000年にはアメリカ西海岸をベースにした武豊。同じ時、蛯名は同東海岸で騎乗していた
2000年にはアメリカ西海岸をベースにした武豊。同じ時、蛯名は同東海岸で騎乗していた

国内外で好勝負を繰り広げた

 それから約10年後の10年10月2日。2人はフランスのパリ市内にある和食の小料理屋にいた。

 「揃って凱旋門賞に乗れる日が来るとは……」

 武豊はそう言うと、蛯名も首肯した。一緒にデビューしてから干支が2回りして、今度は一緒に凱旋門賞に騎乗する事になった。こう言って健闘を祈り合った翌日、武豊はヴィクトワールピサで、蛯名はナカヤマフェスタでロンシャンの2400メートルに挑んだ。残念ながらヴィクトワールピサは直線で前との差が大きく開き、1着の目がなくなった。その時、その鞍上から前を見た武豊の瞳に、先頭争いで競り合う蛯名の姿が映った。

 「自分の勝ちはなくなっていたので、本気でエビちゃんの勝利を祈りました」

 結果、ナカヤマフェスタはワークフォースにアタマ差届かぬ2着に敗れたが、武豊は「エビちゃんは凱旋門賞で2回目の2着かぁ……」と言うと感嘆するように「凄いなぁ……」と続けた。

2人共に騎乗した2010年の凱旋門賞では蛯名騎乗のナカヤマフェスタが2着に善戦
2人共に騎乗した2010年の凱旋門賞では蛯名騎乗のナカヤマフェスタが2着に善戦

 ライバルとして相手の騎乗馬にアンテナを張る事もままあった。15年のエリザベス女王杯(G1)ではこんな事があった。武豊はレース前、蛯名に声をかけたと言う。

 「『エビちゃんの馬、チャンスがあるんじゃないの?』って聞きました」

 この時、蛯名が騎乗したのはマリアライト。6番人気とダークホースの1頭だったが、結果、見事な手綱捌きで優勝。すると翌16年の宝塚記念(G1)では武豊を背に逃げ切り寸前だったキタサンブラックを差し切り、またも蛯名とマリアライトのコンビが大仕事をやってのけた。

 「あとちょっとだったけど、エビちゃんにうまく乗られてしまいました」

 レース直後、武豊はそう言っていたものだ。

2016年の宝塚記念では蛯名騎乗のマリアライト(16番)が武豊のキタサンブラック(左、黒帽)を差し切った
2016年の宝塚記念では蛯名騎乗のマリアライト(16番)が武豊のキタサンブラック(左、黒帽)を差し切った

蛯名が調教師試験に合格

 こうしてジョッキーとして切磋琢磨し続けた2人だが、昨年12月には蛯名が調教師試験に合格。今週末の騎乗を最後に、鞭を置く事になった。調教師試験は3度目での合格だったが、初めての受験の更に前に、武豊は本人から話を聞いていた。

 「まだバリバリ乗れるのにもったいないなぁと思うのと同時に、寂しい気持ちになりました」

 最初に相談を受けた時はそう感じたと言っていた。しかし、昨年、合格が発表されると「勉強を頑張っていたのも見ていたので、素直に良かったと思いました」。

 今週末の日曜日、中山でラスト騎乗を迎える蛯名。阪神で騎乗予定の武豊は引退式に出席出来ない。

 「35年間も一緒に乗って来たから最後に乗れないのは残念です」

 そう口を開いた武豊は「互いの騎乗予定のスケジュールから、一緒に乗れる日は2月13日が最後だと分かっていた」と言い、冒頭で記した言葉を続けた。

 「最後に一緒に乗った日のラスト2鞍はどちらも隣の枠にエビちゃんがいました。これが最後と思うと、正直、涙が出そうになりました」

 ジョッキーとしては今週が最後になるライバルにかける言葉を伺うと、答えた。

 「競馬学校時代から数えると40年近く同じ目標を持って頑張って来たから寂しいですよ。でも今は、僕にとっても新たな楽しみが出来たと考えています。今度は手を組んで勝利を目指す事が出来ます。一緒にフランスで勝ちたいですね」

 こう言うと「乗せてくれれば、ですけどね」と言い、笑った後、最後にもうひと言、きっぱりと言った。

 「立場が変わっても2人の良い関係は何も変わるものではありません」

 2010年の凱旋門賞前夜に一緒に食事をした小料理屋は無くなってしまった。でもまた別のお店で前夜の決起集会を一緒に出来る日が来る事を願っている。

コロナ禍前に撮影
コロナ禍前に撮影

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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