映画『ミッドナイトスワン』で草なぎ剛さんが挑んだトランスジェンダーの現実
9月25日公開の異色の映画『ミッドナイトスワン』が話題になっている。24日発売の『週刊文春』ではカラーグラビア「現色美女図鑑」には何と女装した草なぎ(なぎの漢字が表記されないため、以下平仮名)さんが登場している。
脚本・監督は、NETFLIX『全裸監督』監督として注目された内田英治監督だ。私は最初、オンラインで試写を見たのだが、冒頭のショーパブの楽屋の映画らしい鮮やかなシーンを見たとたんに、これは劇場で見なくては、と思い、試写会に足を運んだ。内田監督のカメラワークがなかなか良いし、草なぎさんのトランスジェンダーだけでなくふんだんに出てくる子役の服部さんのバレエシーンも躍動感があって見応えがある。
草なぎさんが演じる凪沙(なぎさ)が我が子のように慕う一果を演じた服部さんは、オーディションで選ばれた新人。4歳からバレエを始めたという経験を活かして映画の中でもバレエを踊る。
トランスジェンダーについてのリアリティにこだわりながら、バレエというもうひとつの要素を取り入れたこの映画、社会性と娯楽性を兼ね備えた作品だ。
ここに掲げた写真は、9月10日に行われた会見で壇上に立つキャストと監督だ。コロナへの感染対策を講じながらも、多くのマスコミが詰めかけ、にぎわった会見だった。
その終了後、トランスジェンダーとバレエという2つのテーマをどのように考えこの映画を作ったのか、脚本・監督の内田さんに話を聞いた。
ありのままの現実を表現しようと思った
――この映画は監督のオリジナルの脚本によるものですが、テーマや企画はどういう経緯でできあがっていったのですか?
内田 まず脚本作りから始めるんですが、この映画の第一稿を書いたのは5年前でした。バレエを題材にした映画を作りたいなと思っていたんです。それともうひとつ、トランスジェンダーの問題もやりたいなと思っていて、それをミックスしたのが最初の脚本でした。その後、トランジェンダーの方々に取材をして脚本を直していきました。
元々ドラァグクイーンを描いたオーストラリアの映画『プリシラ』とか、そういう文化が好きだったし、知り合いにもトランジェンダーの方がいたので、いずれそういう映画を作りたいなとは思っていたのです。ただ、トランスジェンダーの置かれた社会的立場はこんなに大変なんだと社会に訴えかけるような、堅い映画にはしたくありませんでした。そこでバレエという娯楽要素をミックスしようと考えたのです。
本当は、トランジェンダーの方々がごく普通に映画の中に登場しているというのがベストだと思っています。そういうバージョンの脚本も書きました。トランスジェンダーの説明もなく、彼女らの社会的な立場を表現するようなシーンもなく、ただそこに登場しているだけというものですね。でもいろいろ考えた末に、まだ日本はそこに至っていないという結論に至りました。
いろいろ取材し、話も聞いて改めて思ったのですが、やはりどう考えても、彼女たちは現実には生きていくのが大変なんです。悲惨な現実があるのは事実です。ただ、そういう現実を断罪しようというのでなく、ありのままの事実として表現しようと考えました。
僕は海外にもよく行くんですが、トランスジェンダーをめぐる状況は、やはり日本と違うなと感じることがあります。
日本では最近になって、トランスジェンダーの方も企業の中で仕事に就いてもらおうとか呼びかけはなされていますが、実際にそれが定着しているとはいいがたい。
映画の中で凪沙が夜の仕事でなく昼間の仕事に就こうと工場に勤めてやはりうまくいかなかったというシーンがありますが、ああいうことは実際、よく聞きます。表面的には差別はいけないし、そういう方も雇用の機会を確保しようと言われていますが、実際には彼女たちがそのままの姿で職場で仕事をしようというのはなかなか難しい。
監督の予想を超えた草なぎさんの役作り
――草なぎさんがトランスジェンダー役というのが、昔ながらのファンにとっては衝撃のような気もしますが、草なぎさんの役作りが監督の予想を超えるものだったとおっしゃっていましたね。
内田 撮影していて多くの場面でそう感じました。映画は順撮りで脚本にある順に撮影していったのですが、まず最初の一果ちゃんを駅に迎えに行くシーンから、草なぎさんなりの役のイメージが僕の予想と違っていました。
例えば僕は凪沙がもっとゆったり歩いていくイメージだったのですが、草なぎさんはすごい速足で歩いていって去っていく。階段もすごいスピードであがっていくのでカメラマンも大変だったし、一果ちゃんが最初はついていけないくらいでした。
それは計算してそうしたのでなく、その時点で草なぎさんはもう凪沙になりきっているんですね。役に同化してしまい、内面のいらだった気持ちが脚の速さに現れていた。
――脚本ができた時点で、さてこのトランスジェンダーの主役を誰にやってもらうか考えたと監督もおっしゃっていましたね。
内田 草なぎさんにお願いすることになったのは、監督した『全裸監督』でコンビを組んだカメラマンの山本英夫さんが、草なぎさんの演技は素晴らしいと言ったからでした。あの役をどなたにお願いするかは重要な課題でしたが、一昨年頃、プロデューサーから草なぎさんはどうだろうかという提案が出た時に、山本さんがそう言ったのです。山本さん自身、評価の高い撮影カメラマンだし、僕も信頼していましたから、山本さんが言うのなら、と思いました。『全裸監督』を撮っている時にキャスティングが進んだのです。
最初は草なぎさんに女性のような長い髪が似合うのかと思いましたが、実際には見事に役になりきっていましたね。
――草なぎさんにとっても、この役は異色だし、新しい役柄だったでしょうね。脚本を読んで涙を流し、ぜひやりたいと思ったと言われてましたね。
内田 完成した作品を僕と二人で見た時には興奮していましたね。
トランスジェンダーという役自体もさることながら、一果役の服部さんという、演技が初めてという中学生の子と一緒にやったことも草なぎさんには大きかったと思います。
服部さんは、役作りの経験もなかったし、最初は「そこに立って」と指示を出すと、本当に立っているだけでした。ただ逆に、変に「演技をしよう」という気持ちでなく中学生のありのままの感じで臨んでほしいと僕は言っていました。子役で演技をやってきた子でない彼女を起用したのもそこに意味があったからです。そんなふうに撮影を進める過程で、一緒に演じていた草なぎさんも感化されたような気がします。
トランスジェンダーをめぐる厳しい現実も
――草なぎさん扮するトランスジェンダーの凪沙は、母になる決意をしますが、それに伴う現実的なことも描いていますね。
内田 確かにこの映画については、トランスジェンダーの厳しい現状を強調し過ぎだと言う人もいるし、トランスジェンダーについてはいろいろな考え方があると思います。僕も、もう少し光が見えるようなバージョンも考えたのですが、現実に取材をすればするほど、1ミリも光がさしているような状況ではないな、と思わざるをえなかったのです。
イギリスにいる知人に脚本を読んでもらった時に、これは悲惨さを誇張していないかと言われました。確かにヨーロッパの場合は、もう少し前向きに動いているのかもしれないし、僕もその感想を聞いてちょっと考えました。でも実際に街へ出て現実を見れば、そこに光がさしているような状況ではない。最終的にはこういう脚本にしました。
――また、一果ちゃんも、凪沙とは違う意味で孤独ですが、彼女はバレエという夢が見つかり、希望を感じさせる存在でした。
内田 そうですね。彼女は彼女で、今大きな社会的問題になっているシングルマザーの貧困のもとで育っていく。それも同じように光が見えない社会的環境なのですが、彼女はそこに立ち向かっていく中学生の姿を描こうと思いました。
――映画ではバレエを踊るシーンが丁寧に描かれていて、この映画の見せ所ですが、そこも強く意識されたのですね。
内田 一果ちゃんの役はオーディションで選んだのですが、応募資格はバレエの踊れる子、ということでした。そこはこだわって、踊るシーンだけ代役というのはやりたくなかったのです。ヒロインは絶対バレエ経験者と思っていました。
普通は、劇団で子役をやっていた子とか、知られた女優をヒロインにするのでしょうが、今回は、新人でも無名の子でもよいから、バレエと演技のきちんとできる子を起用したいと思いました。それを実現できたのがこの映画の場合、大きかったと思います。
オーディションは、バレエのできる子というのが条件でしたが、できるといっても、世界的レベルの子とか、趣味で見よう見まねでやっているだけの子とか、いろいろ幅はありました。全員にオーディションで実際に踊ってもらって決めました。
――撮影には新型コロナの影響もあったのでしょう。
内田 ほぼ9割の撮影は終わっていたのですが、ラストシーンがコロナ禍で撮影がしばらく止まりました。もともとはニューヨークロケを予定していたのですが、ニューヨークがコロナで大変な状況になり、断念せざるをえなくなりました。
実際、YAGPという、世界で二番目くらいに大きなバレエコンクールが全面協力してくれることになっていて、そこで撮影するつもりでしたが、コンクール自体が中止になってしまったのです。これにはがっかりしましたね。
ただ、ニューヨーク出身のスタッフが実際に見てわからなかったというシーンにはなっています(笑)。
社会性と娯楽性を両方備えた映画
――この映画がこの社会でどう受け止められるのか、それも楽しみですね。
内田 欧米では、社会的テーマと娯楽性の両方を備えた映画は結構あるのですが、日本ではあまりないような気がします。今回の映画も、超社会派というわけでなく娯楽として楽しんでほしいという気持ちがあったし、そういう映画を作りたいと思ってきました。
――内田さんは『週刊プレイボーイ』の記者をするうちに映画の仕事をやろうと思い立ったのですか。
内田 『週刊プレイボーイ』にいた頃からドラマの脚本を書くようになって、30代になった頃には監督もやってみたいと思うようになりました。助監督の経験はないのですが、脚本を自分で書くというのは、記事を書く仕事をしていたためかもしれません。
――自分で脚本も書いて映画を撮れるというのは表現者としては多くの人が憧れるところですよね。
内田 その意味では恵まれていると思っています。