『#君の名は。』新海誠を信じぬいた男〜コミックス・ウェーブ・フィルム代表 川口典孝氏インタビュー〜
興行収入が100億円を突破し、日本映画史上まれに見るヒットとなった『君の名は。』。この映画を監督した新海誠氏のこれまでの作品を追っていくと必ず出てくる名前がある。コミックス・ウェーブ・フィルムという制作会社のようだが、新海監督の商業アニメ第一作である『ほしのこえ』以来寄り添うようにその名がクレジットされている。いったいどういう役割で、新海誠氏にとってどんな存在なのか、そして中心となるのはどんな人物なのか。
新海氏が今年突然メジャーデビューし、いきなり映画市場を席巻した鍵はきっと彼らが持っている。大ヒットの謎をどうしても知りたい気持ちに駆られ、つてをたどって同社の代表取締役・川口典孝氏にたどり着いた。
市ケ谷のオフィスを訪ねるとTシャツにジーンズの「代表」の肩書きからほど遠い装いの川口氏が迎えてくれた。話しているとまったく自分を偽る感じがない。たぶん本当にウソがつけない人なのだと感じた。「無防備で何でもしゃべっちゃうんでインタビューは心配なんですよね」と言いながらぶっきらぼうにどんどん喋る。こう言っては悪いが、お祭りで出会ったテキ屋のあんちゃんのような人間味溢れるキャラクター。なんだか、寅さんみたいなのだ。そんなざっくばらんなホンネトークをじっくり読んでほしい。
---コミックス・ウェーブ・フィルムは、コミックス・ウェーブという会社から分かれてできたみたいですね?
川口典孝氏(以下、川口):伊藤忠とADKの出資で98年にコミックス・ウェーブができて、ぼくは伊藤忠から出向で働いてました。漫画家のマネジメントをする会社で二次使用の窓口業務がメインでした。そんな中、新海誠のマネジメントをぼくがやることになったんです。『ほしのこえ』を作っている最中で、これは天才だ!と確信しました。制作中の映像を持ってテレビ局やDVDの会社を回ったんですがどこも門前払い。こんなに素晴らしいのにとアタマに来て、自分で作って売ってやれとDVDメーカーをはじめたんです。
---会社の中でDVD事業をはじめたわけですね。
川口:秋葉原のアニメイトとかヤマギワ電気に売り込んで発売までには3万本の注文になりました。すでに自主制作で『彼女と彼女の猫』もあったので一部で凄く人気があったんです。『ほしのこえ』も自主制作の延長でぼくらが途中からジョインしたわけですが、DVDは10万本売れましたね。だからいま騒いでもらってますけど、いつかこうなるとは思ってました。じゃなきゃやらないすよね。
---『ほしのこえ』は劇場公開もされたんですよね?
川口:下北沢の小さな劇場で話題になりました。で、次の『雲のむこう、約束の場所』は長編映画としてもうちょっと大きく劇場公開したいといろいろ売り込んだらシネマライズがまず乗ってくれて、それを皮切りに全国12館で公開できました。劇場のほうはちゃんと知ってるんです、新海誠というすごいやつが出てきたって。そのうえシネマライズがやるならと地方の劇場も乗ってくれたわけです。
---そしてその次が『秒速5センチメートル』ですが、この作品からクレジットがコミックス・ウェーブ・フィルムになってます。
川口:その3年前にまず、出向だったのを転籍してたんですが、そのうえでMBOして独立しました。借金してMBOしたし、『秒速』作ってる時から借金してお金ぶっ込んで・・・(笑)
---す、すごい度胸ですね!
川口:気が短いんですね(笑)。委員会作ってプレゼンして出資してくださいってやるより、借金して作っちゃったほうが早いでしょ?と。伊藤忠っぽいかもしれない(注:伊藤忠は野武士集団とよく言われる)『秒速』もシネマライズで3週間先行してそのあと全国20館で公開しました。シネマライズで当たってるよという情報が地方に届くのに3週間くらいかかってましたね、当時は。DVDも海外販売もうまくいきました。
---ファンが徐々に増えていったんでしょうか。
川口:そうですね、あとレンタル店に置いてもらうと若い人がどんどん見てくれました。村上春樹じゃないけど、中高生くらいになると見とかなきゃという作品になってくれたらしいんです。だからファン層が少しずつ下の世代に広がって、ありがたいことに受け継がれていってくれた。だから次の映画やると、見たことない若い人が来てくれるんです。思春期になったら文学少年少女は新海作品見とけというムードができていたみたいです。
---ではこの十年ぐらいの間にファンが育っていたんですね!
川口:あとはね、バンド活動じゃないですけど、ぼくらは全部の劇場行ってたんです。全国20館で公開したら、全部の劇場に舞台挨拶に行ってサイン会する。そしたら2時間3時間平気で皆さん待ってくれるんですよ。
---2時間3時間?!サイン会でですか?新海さんと主要な声優さんと?
川口:いえいえ、新海誠ひとり。
---新海さんひとり?!
川口:声優で引っぱるタイプの作品じゃないですからね。新海誠が舞台に立つだけで人が集まります。しゃべり面白いし、人間味溢れてるし(笑
---『雲のむこう』からやってたんですか?
川口:そう!ぼくが司会してね。15分くらい監督が話をして、サイン会やりましょうと言ったら、うぉー!って反応あって。当時は劇場も協力的で3時間行列の交通整理やってくれてました。
---上映した各地にファンがいるし育っていってくれていたわけですね?
川口:そう、だから臨界点に達したところに『君の名は。』というわかりやすい作品が大規模公開されてヒットしたとも言えるかもしれませんね。それにしても100億は天文学的です。40億くらいは狙ってもバチは当たらないと思ってましたけど。新海誠は天才だもん、それくらい狙ってもと。でも100億オーバーはホントに予想外。しかも早かったですね。ただ将来は300億になる日も来るんですよ、オスカーとる日も来ると思ってますから(笑
---話は戻りますが、2011年に『星を追う子ども』が公開されていますね。
川口:はい。映画興行的には新海作品唯一の赤字でした。あの時はメディアファクトリー等と委員会組んでこれまでより劇場も増やしましたが興業面ではうまくいかなかった。
---内容的にもそれまでとずいぶんちがって、宮崎アニメみたいになった気がしました。
川口:あの経験のおかげで今回があります。女性人気と海外人気が好調で最終的にはお金も入ってきましたけど、あの時興行でコケてぼろくそ言われたおかげでいまがある。
---2013年に『言の葉の庭』が公開されてます。
川口:『星を追う子ども』のあと、早めに展開した短めの作品です。これは東宝映像事業部に配給をお願いしています。公開と同時に劇場でDVDも売ったし配信もiTunesでやりました。
---同時にですか?!2013年の段階でそのやり方は新しいですね。
川口:23館で宣伝費ゼロで成功しました。劇場で見て、帰りにDVD買ってくれるんです。配信もうまくいきましたね。この作品で東宝さんと初めて組みました。完成した時に、ぼくの手ではこれ以上(の規模)は無理だなと思った。初号パーティで次は頼むと東宝の人に言いました。それで『君の名は。』の主幹事は東宝さんに託したんです。
---川村元気氏がやりたいと言ってくれたとか?
川口:実は出会いは14年前、『ほしのこえ』がヒットしたあと、川村元気という東宝の、当時24,5才の男が電話をくれてやって来ました。名前が変わってて印象深かったのですが、彼はなんと取締役を連れてきたんです。それがいまの社長、島谷さんです。お二人して、いつか一緒にやりましょうと言ってくれました。そのあとも東宝の皆さんが何かあると連絡をくれて気にかけてくれた。東宝さんはみんな映画好き!ほんとうに気持ちが良いくらい映画好きな人たちです。大人で大会社の人たちで、でも映画好き。そういうとこが、信頼できる!東宝さんは300館で毎週戦ってるじゃないですか。そんな彼らの言うことには聞く耳持とうと思って意見にも耳を傾けました。彼らも新海誠のよさをわかってくれていて、純度を下げるようなことは言ってこなかったですね。
---この作品では製作委員会の皆さんが一致団結してがんばったそうですね。会議で泣いた方もいたと東宝の方がツイートしてました
川口:ああ!それ、おれ!おれだよ、号泣しちゃったの(笑)。委員会のみんなが『君の名は。』のためにがんばってくれちゃってることを報告してくれて最後おれに感想聞かれて、もう感極まって。
ま、だから製作委員会もメンバー次第です。長らく単独でやって来たけど、限界がある。自分たちだけで数人でプロモーションもやってきたけど、今回は大勢でやれてうれしかったですね。でもだからって委員会で自分が折れまくってもダメでしょうけど。今回300館の大規模公開だけど、純度は全く下がらなかったですよね?最後はやっぱり新海誠の才能が流石でした。
最初は「ぼく」だった一人称が最後には「おれ」になっていた。それくらい、初対面の私に心を許してくれたのだろうし、自分を飾ろうとしない川口氏の姿勢が出ているとも思った。
それにしても、新海誠の才能を信じたからとは言え、出向していた会社を借金して買い取るとは。興行収入100億を達成したいま、彼はその賭けに勝ったのだ。だが、そういうことでもないのだろう。天才と信じたのだからそうなっただけ。彼にとっては、勝ち負けではなさそうだ。
さて川口氏の話から『君の名は。』のヒットの謎は解けたのだろうか。もちろん、地道に全国の劇場を回ったり、レンタル店で中高生と出会ったり、ファンをじっくり育ててきたことに答えがありそうだ。だがそこを小賢しく分析するより、もっとシンプルで強いことに気づかされた。ピュアが勝つのだ。ピュアでいいのだ。それは昔も同じだったはず。私たちが目を濁らせて見えなくなっていたことを、川口氏は新海氏とともに教えてくれたのではないだろうか。