Noriko Suzukiが語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#11】
♬ Noriko Suzukiの下ごしらえ
幼稚園のときに町のオルガン教室に通ったのが音楽体験の始まり。だが、妹の誕生で親の同伴ができない事態となり、残念ながら通えなくなってしまう。一緒に通っていた友だちは小学校に上がっても続けていたので、その子の家に遊びに行ってピアノを弾かせてもらっていたが、ある日“差が歴然”となってしまったことに気づき、「ピアノはもうムリ」という境地に至る。
その代わりにハマったのが、家にあった8トラ(ハチトラ:ステレオで収録された音源を手軽に再生するため1965年に開発されたメディア)のカラオケで歌謡曲を歌うことだった。
一方で、お習字、生け花、バレーボール、英会話などなど、ほとんど毎日なにかを習うために飛び回っていたような小中学校時代。
音楽に大きく近寄ったのは、その習い事のなかのひとつである英会話教室でのできごと。中学入学と同時に通い始めたその教室では、年に1回、すべてを英語で演じるミュージカル形式の発表会があった。そこで主役に抜擢され、本番用にスタジオでプレスコ(pre-scoring=プレスコアリング:台詞や音楽を先に収録して、それに合わせてキャラクターを動かしたりすること)のためレコーディングを経験する。
高校に進学するとホームステイを経験。2年生のときにはさらに英語を磨くため1年半ほど渡米し、帰国後は上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)に入学するが、そのきっかけを作ったのは英会話教室つながりで知り合ったSMP(ソフィア・モデル・プロダクション:上智大学のドナルド・メイスン神父による「英語演劇論」の一環として1963年に始まった課外サークル活動の1981年から2012年までの名称。現・SSC=Sophia Shakespeare Company)に所属する女性との出逢いだった。
ニューヨークのオフオフブロードウェイで最長連続上演を記録する「The Fantasticks」に挑戦するなど、英語を介してではあったが“歌うこと”と向き合う学生時代を過ごし、ヴォイストレーニングのために通った西麻布のジャズクラブでジャズと出逢うことになった。
♬ バッハのジャズ・アレンジに抵抗なし
子どものころは、クラシック音楽を意識して聴くことはなかったですね。幼稚園のころに〈白鳥の湖〉がとても好きで聴いていたことはありましたけど。
バッハに関しては、ダイレクトに体験したというよりも、ジャック・ルーシェ(バッハ作品のジャズ・アレンジによる演奏で有名なフランスのピアニスト)が演奏していたバッハを知っている、というような認識でしょうか。
その認識にしても、身の回りで鳴っていたから聴いたというもので、BGM的な受け入れ方だったんだと思います。だから、バロック音楽をジャズにアレンジすることについて別に違和感はありませんでしたし、そもそもジャズにしたって、どんどん変容しているからビバップなんかはクラシックと呼んだほうがいいんじゃないかとか思ってた。逆に、ジャック・ルーシェのほうがバッハをスウィングさせていて、おもしろいと思ってました。
まぁ、そう思ったのも、本当の意味でのクラシック、ちゃんとしたものを聴いて感動するという経験をしてこなかったゆえに、安易なとらえ方しかできなかったということなのかもしれませんけど。
♬ 一歩間違うと危ないと思われていた共演?
私、横濱エアジンで“未踏の地”というデュオを続けているんですけど、相方のゆいさん(ゆい。Soleiyu eye. / ピアニスト)は私とは真逆の、徹底的にソロピアニストになるための教育を叩き込まれてきた人で、それにつられて私もクラシックの楽曲を少しずつ歌うようになっていたんです。
その“未踏の地”のレパートリーにと、ゆいさんがshezooさんの曲をもってきて、それを上演するときに聴きに来てくださったのがshezooさんとの初対面でした。
実は、それ以前にshezooさんのライヴは拝見したことがあったんですが、実際にお話しできたのはそのときが最初でしたね。それが2017年ぐらいのこと。
そのころすでに、shezooさんは〈マタイ受難曲〉のことについての話をしていた記憶があるんです。私も“未踏の地”でバッハをはじめとしたバロック音楽について集中的に勉強していた時期なので、shezooさんも出演者候補として考えていたようなんです。
それを横濱エアジンのうめもとさん(=うめもと實、横濱エアジンのマスターにして“未踏の地”のプロデューサー的役割も担う)にshezooさんがそれとなく打診したらしいんですが、うめもとさんは「え〜、どうかなぁ……。一歩間違うと、危ないからなぁ……」って、躊躇してたらしいんですよ。
でも、2018年になってshezooさんからお声をかけていただいて、どういうかたちで関わるのかわからないまま、“未踏の地”でもバッハを半ば強制的にレパートリーにして〈マタイ受難曲〉に馴染もうとしていた。いま振り返ってみれば、その時期にはそんな感じでライヴに臨んでいたんだと思います。
結局、2018年の7月に開催された横濱エアジンの“バッハ祭”(7月26日「マタイ受難曲 / Matthaus-Passion」、shezoo / ピアノ、加藤里志 / サックス、西田けんたろう / ヴァイオリン、寺前浩之 / テナー・ギター&バンドリン、Noriko Suzuki / 歌)で〈マタイ受難曲〉のアリアを5曲、歌ったんですけど、もうボロボロで……。歌っている最中に頭のなかが真っ白になっていた瞬間が何度もあったけど、どうにかこうにか歌い終えることができて、そこでようやく「バッハはしんどいけれど、なんだかおもしろい!」って感じられるようになっていました。
♬ バッハの作品に自分の“雑念”が混じることの是非
〈マタイ受難曲〉への理解を深めるために過去の名演を見たり聴いたりするうちに、shezooさんがやりたいことって、それとはちょっと違うのかなぁって思うようになりました。私のようなクラシックを学んでこなかった歌い手にとって、どうしても楽譜に書かれているものだけではなく、自分が感じたものが歌のなかに紛れ込んでしまう。
そういう“雑念”が入るのって、バッハに対して“失礼”なんじゃないかって、クラシックの人なら思うわけですよね? バッハが意図して創りあげた、無駄のない数学的とも呼べるような音楽に対して、私のような真逆な想いで立ち向かうのは“いかがなものか”って。
でも、ライヴを重ねるうちに、まぁ、許してくれるんじゃないかなという気持ちになってきたんだけど、いよいよ本番が迫るなか、横濱エアジンで冒頭の4人の4声でのコーラスを始めようというときに、「あれ、これも私、歌うんでしたっけ?」というのが実際の仕上がり状態だったりしました。
もう、初日の幕が開くまで冒頭のコーラスのことで頭がいっぱいで……。自分がソロで歌うアリアどころじゃありませんでしたけど、お客さんの反応で、いま私たちはすごい舞台に立ち会っているんだ、ってことが伝わってきた。
〈マタイ受難曲2021〉は、コロナ禍の影響で残念ながら“完成形”とは呼べないかたちでの上演になってしまったわけですが、それだけに再演に対する期待感は、出演者としてもちろんあります。それに、やってみたからこそ“見えた”こともたくさんあるので、それを盛り込んで、次のshezoo版〈マタイ受難曲〉を私も楽しみにしたいですね。
あっ、「次はちゃっとやれるんでしょ?」って聞かれると、「はい!」って答えなければならないから、自分の首を絞めることになるかもしれないんですけどね。
Profile:すずき のりこ ヴォーカリスト
アメリカから帰国後、1990年代からジャズシンガーとしての活動を始める。津村和彦(ギター)と出会い“Be-Spell”を結成。2001年に同名のアルバム作品を発表(現在廃盤)。ジャズにこだわらない選曲と新鮮なアイデアで描かれた同作品は、各方面で高い評価を得て、ジャズライフの年間ヴォーカル部門では10位にランクインする。
子育てと並行して児童教育や子どもの居場所作りに関わり、小中学校の外国籍児童への学習支援や民生児童委員という立場で地域に根ざした福祉活動を続ける。
2015年、他界した津村氏が残した繋がりから音楽活動を再開。
2020年、Be-Spell(w/ 類家心平 / トランペット、高田ひろ子 / ピアノ、岡部洋一 / パーカッション、前原孝紀 / ギター)名義で『存在の耐えられない軽さ』(1960年代の“プラハの春”を題材としたチェコ出身の作家、ミラン・クンデラの同名の代表作をテーマにした作品)をリリース。