小中一貫学校の制度化によってもたらされる教育の姿を日本国民は望んでいるのか
ますます学校が学習塾化していきそうだ。今月11日の教育再生実行会議は、小中一貫教育学校(仮称)の制度化を7月にまとめる提言に盛り込む方針を決めた。そして、政府方針として実施されることになるだろう。
小中一貫教育学校とは、現在の独立した小学校と中学校を一緒にし、一つの学校として運営していく仕組みのことである。現在は小学校6年、中学校3年の6・3制だが、言ってしまえば9制にしてしまおうというわけだ。
小学校と中学校の垣根を取り払うことに何の意味があるのか。すでに多くの人が気づいていることだが、その大きな理由は「学力向上」である。
昨年、文部科学省(文科省)は、小学校と中学校の「連携」について市町村教育委員会を対象にした実態調査の結果を公表している。そのなかで「小中連携を進めようとするねらい」について、「学習指導上の成果を上げるため」という回答が95%を占めている。
連携は一貫の一歩手前の状態であり、連携も一貫も狙いは一緒だ。つまり小中一貫の狙いも、学力向上でしかない。
この学力というのが曲者で、「学力=点数」なのが実態だ。テストの点数が上がれば、学力が上がった、と判断されるのだ。
そのテストも、歴史であれば歴史的な出来事の意味を深く考えることよりも、それが起きた年を記憶するのが重視され、国語でも多様な解釈ではなく決まった答でしか点数がもらえない。そんなテストの無意味さは誰もが気がついていることのはずだが、誰もが逆らえない。テストの点数で多くのことが評価されてしまうのが現実だからだ。
そして点数重視の学力に、学校も流されている。この点数を上げるには、小学校と中学校で分断してやるよりも、統一した方針と方法でやったほうが効率的である。その考えに基づいて、小中連携、小中一貫が注目されてきた。
小中一貫が制度化されれば、ますます点数重視の姿勢が学校に定着し、エスカレートしていくだろう。点数を上げることだけが学力向上とされ、考えることや、知識による人間性向上、個性などというものは、どんどん無視されていく。そんな教育を、日本国民は望んでいるのですか?