「同情されたら終わり」。宮川花子を支える芸人としての矜持
夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」が5月1日にイベント「宮川大助・花子の『おまたせ!』」(大阪・YES THEATER)を行うことになり10日、大阪市内で会見を開きました。
花子さんは2019年に血液のがんの一種、多発性骨髄腫であることを公表。今も闘病生活を送っていますが、同イベントで4年ぶりに漫才を披露することが明らかになりました。
病気を公表した会見後、関係者を通じて花子さんからのメッセージをもらいました。
「花子師匠、会見のことを書いた中西さんのYahoo!の記事を読んで『いいこと書いてくれるわぁ』と喜んでましたよ。そして、会見中に中西さんと『何回もアイコンタクトした』ともおっしゃってました」
実際、幾度となく目が合ったことは鮮明に覚えています。たくさん記者が駆け付けた中で、こちらをチラチラと見るタイミング。そこに一定の法則があるように僕は感じました。
久々に公の場の出てくる花子さん。会見冒頭、関係者が車いすの花子さんを押して入ってきた途端、現場に「そんなに体調が悪いのか」という重い空気が流れました。
さらに、余命宣告も受けるほど病状が非常に悪かったという話を花子さんが振り返り、会見場の空気がさらに重くなった時。
これまでのことを反芻した大助さんが涙を流し、花子さんもつられて涙が出そうになるのを必死にこらえた時。
そんなタイミングで花子さんの視線がこちらに向きました。目が合った瞬間を並べていくと、自ずと、花子さんが昔から口にしていた言葉が頭に浮かんできました。
「芸人は同情されたら終わり」
本来、人を笑わせる芸人が弱い姿を見せている。暗い話で空気を重くしている。さらには感傷的になっている姿を見せかけてしまった。その全てが花子さんの幹となっている“芸人論”からすると、あってはならないこと。
それを見せてしまっている腹立たしさ。悔しさ。恥ずかしさ。
そういったものがその都度口中に広がり、嫌悪感を帯びた苦みを感じる。そして、何十年も持論を伝えてきた古株の記者は、今の自分をどんな顔で見ているのか。まさに刹那の感情でしょうが、あえて文字にすると、そんな領域だったのではないか。僕はそう思っていました。
当時、書いた原稿を再掲します。
「病気絡みの会見とはいえ、そして、体調が本調子でないとはいえ、芸人として不本意なことをやってしまっている」。そんな忸怩たる思いが多分に見て取れた。
花子にその感情があるとするならば、それは芸人としてたぎるマグマがまだまだあるということ。
「こんなことではアカン」
その熱がある以上、時間はかかるかもしれないが、また舞台に戻る。漫才をする。その日は必ず来ると信じている。
以前、大助さんから聞いた話があります。
「僕は誕生日にプレゼントをもらわないんです。逆に、嫁の欲しいものを僕がプレゼントするんです。そうやって嫁が喜ぶ顔が僕にとっての一番のプレゼントなので」
それまで大助さんお得意の宇宙の話や壮大な哲学論をフルコースでうかがい、トライアスロンばりに疲弊した脳にも突き刺さる慈愛に満ちたお話でした。
大助さんの誕生日は10月3日。今年はいつもの儀式をするまでもなく、その頃には山のようなプレゼントが大助さんに届いているはずです。
また信じる48歳。