亡き友との約束を果たすため、ヨーロッパの競馬場を訪ねた話
凱旋門賞観戦後に飛んだのは……
凱旋門賞(GⅠ)が終わって10日が経つ。しかし、現在、私はまだヨーロッパにいる。藤田菜七子騎手のスペイン遠征を取材するため、9月中旬に渡欧。そのままフランスへ渡り凱旋門賞(GⅠ)を観戦。その後、1人の男との約束を果たすため、更に足を延ばしたのだ。
まず、飛んだ先はドイツのデュッセルドルフ。そこから電車を乗り継ぎ、辿り着いたのはケルン。この田舎町にあるケルン競馬場で、開業するペーター・シールゲン厩舎を訪ねた。
海外競馬に興味を持たれている方ならP・シールゲンがいかにすごい人かお分かりだろう。元名騎手で、現名調教師。11年にはデインドリームで凱旋門賞を制覇。昨年のテュネスなど、ジャパンC(GⅠ)への挑戦も、計5回。ドイツを代表するトップトレーナーだ。
そんな彼の下には現在、日本から修業に出向いているジョッキーの小崎綾也と、かの地で騎手デビューを果たした寺地秀一の、2人の日本人騎手が在籍している。
そして、先日、他界したフィリップ・ミナリク騎手もまた、ドイツが誇る伯楽の下に長らく在籍していたのだ。シールゲンは言う。
「フィリップは真面目で、随分と長い事、私をサポートしてくれました。彼とタッグを組んでドイツオークスを勝ったサロミナ等、忘れられない思い出は沢山あります」
今回は到着した次の日から2日間、ここでの調教を見学させてもらった。地元のライダー達が、サラブレッドに跨り疾走する姿に、在りし日のミナリクの勇姿を重ね合わせ、彼と過ごした日本での時間を思い起こした。
世界一過酷と言われる障害戦を観戦
ケルン4日目の午後には再びデュッセルドルフの空港へ向かった。そして、そこから飛行機で僅か1時間少々。次の目的地であるチェコのプラハへ渡った。
この週末、つまり凱旋門賞から丁度1週間後の日曜日に、プラハ郊外にあるパルドゥビツェ競馬場で、この国で最も人気があると言われている障害レース・ヴェルカパルドゥビツカが開催されるため、それを取材しに行った。
ヨーロッパでは障害レースが盛んで、例えばイギリスのグランドナショナルやチェルトナムゴールドカップなどは日本の競馬ファンにも広く知られているだろう。一方でこのヴェルカパルドゥビツカは知名度には劣るかもしれないが、実は「過酷さで言えばグランドナショナル以上で世界一」とも言われている。実際、6900メートルの走破距離や30カ所に及ぶ障害は、グランドナショナルにまさるとも劣らない。
また、総賞金500万チェココルナと1着賞金の200万チェココルナは、日本円に換算すればそれぞれ約3200万円と約1280万円なので、JRAの障害戦に比べれば安いのだが、世界的には充分高額と言って良い金額。かの国のダービー、すなわちチェコダービーよりも多額なのである。
私自身、ヴェルカパルドゥビツカを生で観戦するのは今回が初めてだったが、競馬場は早い時間から老若男女で埋め尽くされてお祭り騒ぎ。実に迫力のある約10分に及ぶ競走であった。
もう一つの目的
さて、こうして障害レースを観戦した私だが、もう一つの目的は、これもまたミナリクに関する事であった。彼はチェコ、プラハの出身だった。あのような素晴らしい人格者が育ったプラハの街を、自分の目で見て、肌で感じたかったのだ。日本にいると原稿だ、競馬だで、何だかんだと追われる日々になる。しかし、このチェコに滞在した1週間弱は、レストランへ行けば「フィリップもここに来たかな?」と思い、街を歩いては「彼もここを歩いたかな?」と考えた。観光地として有名なカレル橋やプラハ城、ミュシャ美術館等も訪れたが、どこへ行っても亡き友に思いを馳せたのだ。
「ケルンにおいで。僕が案内してあげるから」
生前の彼にそう言われ「行く」と約束をした。残念ながら彼は唐突に星になってしまったため、生きている間に約束を果たす事は叶わなかった。
「ごめん、少し遅れたけど、約束を果たしに来たよ。そして、貴方の生まれ故郷にも、足を運んでみたよ」
プラハの夜空を見上げ、心の中でそう呟いた。そして、彼のお陰でケルンやプラハに来られた事に対し、感謝の意を伝えた。すると、夜空に浮かぶ彼の顔が、最後に会った時と同じ様に、優しく微笑んだ。そんな気がした。
※近日中にドイツの競馬会主催でミナリク騎手のお別れ会が開かれるという動きがあるそうです。具現化した際は、ウェブを通して、ファンの皆様からのお別れの言葉を受け付けるそうです。正式に発表がありましたら当方のX(旧Twitter)やInstagramでも詳細をお知らせします。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)