自殺「報道」はネット上も含め「おくやみ欄」に留めるべき
従来報道も、それを用いたネット上の報道も変わらない
先日のWHOの自殺報道ガイドラインと日本のマスコミの対応で詳しく解説をした、WHOによる自殺報道に関する国際的なガイドライン。日本の報道各社では「自らの判断では」順守していると主張し、あるいは「報道では無くバラエティなので遵守する必要はない」と詭弁で責を逃れるところもあると聞く。しかしながら現状を見る限り、多くの報道でその基準が守られているとは言い難い。
次の一節は服飾系漫画「王様の仕立て屋」でのやり取りである。ちなみに掲載はリーマンショックで世界金融不況真っただ中だった時のもの。
TVキャスター「…このように今年に入ってからの自殺者の数は過去最高を更新しようとする勢いです。原因はどこにあるのでしょうか」
TV解説者「とりあえず不況が悪いのでしょう。政策が悪くて官僚が悪くて大企業が悪くて若者が悪くて、だからってどーする事もできなくて」
A(海外の人)「…何だねえ。日本の夜のニュースはとにかく不安を煽るように作らなきゃならない決まりでもあるのかね」
店員「さてねえ。少なくともあたしは一日の締めくくりに、この手の番組見ると死にたくなるから、あまり見ないようにしてますねえ」
A「何人の自殺者がこの番組に背中を押されているんだろうねえ」
当時の状況を推し量れるような一幕だが、現状においても報道の姿勢としては何ら変わりがないことが分かる。
また、昨今ではインターネットの普及により、各種ブログやウェブサイト、ソーシャルメディア、キュレーション的なブログやサイト(「まとめサイト」)も伝える側に位置するようになった。新聞やテレビなどの従来メディアのウェブ版はベースとなるメディアからの転送記事を配信し、ソーシャルメディアや「まとめサイト」はそれらを一次ソースとしてさらに情報を拡散していく。
特に後者はアクセス集めのために意図的な煽り文句を用いたり、編集の上で注目を集めるようなショッキングな・インパクトのある発言をまとめる事例が多く、ガイドラインなどどこ吹く風なものとなる。彼らにとって倫理観は二の次、三の次。概して、彼ら自身が時として批判対象に挙げている、一部報道勢の姿勢と何ら変わりない。
ネットの普及で加速する情報伝播、それと共に…
ソーシャルメディアをソースとした情報拡散の動きについては、先日電通グループの電通パブリックリレーションズが発表した、「ソーシャルメディア上で」リンクを含めた情報を第三者にシェア(共有)した経験を有する調査対象母集団に対する調査結果が参考になる。これによると、シェアされやすい、言い換えれば拡散されやすい情報源となるサイトとしては「友達のブログやSNS、ツイッターのツイート」「ニュースサイトやニュースアプリの内容」が多いが、「まとめサイト」は若年層で良くシェアされている。
伝言ゲーム的な、さらには容易にコピーが出来るネット上の情報拡散スピード、そしてソーシャルメディアをはじめとしたネット上のコミュニケーションへの若年層における熱中度の高さを考えると、「たかが『まとめサイト』が」と軽視するわけにもいかない(上のグラフは単に利用されているか否かの度合いであり、その利用頻度・量までは推し量れない。若年層ほど高頻度で利用していることは容易に想像が出来る)。
また、ネット上で拡散される情報のベースは、ネット上の情報のみを一次ソースとしない。むしろ情報源としてはテレビや雑誌なども大いに用いられている。
ネット上の一次情報のみで云々したとしても、結局は従来メディアを一次情報としてネット上に広まるのは目に見えている。
自殺報道は「おくやみ欄」に
そこで、自殺報道に関して一次ソースとなる従来の報道勢(ネット上への転送も含む…)に提言したいのは、ズバリ「伝えないこと」である。……とはいえ報道関係勢において、「報道」の観点ではそれもはばかられるので、事実のみを淡々と簡易に伝え、詳しい状況、コメント、識者による解説、該当者の過去の詳細な経歴や背景は一切省く。いわゆる「おくやみ欄」に配してしまうというもの。新聞・雑誌掲載記事のネット版も同様。
ネット上で意図的・容易に拡散される対象となる一次データが無ければ、拡散される際に悪影響が生じるリスクも減る。「極力報じない」とは、拡散される一次ソースを創らないという意味合いもある。仮に「紙媒体や映像では伝えるが、ネット上では簡素に留める」とした場合、雑誌や新聞から無断で文字起こしをする、あるいは動画の無断掲載やスクリーンショットのつなぎ合わせによる掲載事例も出てくるだろうが、それに対しては各メディア側の「正当な権利の行使による対応」のきっかけになる。また、世間一般に「権威ある」と認識されている情報発信元からの情報で無ければ、情報はゴシップレベルと見なされる可能性が高くなる。これも悪影響を招く拡散を防ぐ一因となる。
反論は多分に考えられる。現状を見るに、自殺報道は注目を集めやすく、視聴率・販売数・アクセス数を稼ぎやすい。「報道の自由」を大義名分とし、既存の姿勢を維持することを求めるだろう。あるいは「自主規制、自社ガイドラインを強化します」との善処の姿勢を見せるかもしれない。前者には「それは公共の福祉に反しているのでは無いか」との問題提起を行うことになろう(「知る権利」は全面開放されているわけではない)。「自由」と、責任が連動しない「自由奔放」は別物であることを知らねばならない。
後者についても期待はできない。WHOのガイドラインが呈されていても、この現状に陥っているのが実情。さらに自殺対策支援センター ライフリンクの資料(PDF)によれば、1986年の時点ですでに報道各社に対し日本自殺予防学会から、「自殺事件のセンセーショナルな扱いは、同じ問題を持つ子供達に対し、著しい暗示効果があり、自殺の模倣と流行を招く結果となる。行き過ぎた自殺報道は青少年における自殺増加を助長するものであり」などとし、報道の有り方に警鐘を鳴らす文面が送られている(そう、あの女性アイドル歌手の自殺を起因とする社会事象への対応である)。あるいはもっと前から警鐘は鳴らされていたのかもしれないが、少なくとも20年以上の月日が経過した上で、問題は何も解決されていない以上、自主的な対応に期待するのは無理というもの。
無論、「まとめサイト」をはじめとした、二次情報を用いてのネット上の「メディア」にしても同様の姿勢を持たねばならない(もっとも、従来メディアから成る一次報道の情報が簡素化すれば、今のような煽動的なものも無くなるだろうが)。また、煽動意欲が強い「まとめサイト」の中には、何か問題が発生しても「自分らは単に掲載されているものをまとめただけであり、責任は無い。責任は各発言者にある」と責を逃れる見解を述べるかもしれない。これにはまとめる、つまり編集してそれを第三者に公知した時点で、自責による発言に他ならない。単に一次ソースが存在するだけのものでしかないという事実を呈しておかねばなるまい。
要は、問題視されている「ネット上で問題視される自殺報道、情報の煽動的な拡散」に対しては、「一次ソースとなる従来報道の簡素化を強く求め、拡散素材そのものを局限化する」ことで対処するのが一番スマートと考えられる。ネット上での自主規制やWHOのガイドライン厳守など、従来報道以上に無理があるからだ(それこそ法令で規制しなければ不可能)。
……WHOのガイドラインだけでなく、具体的に「煽動的な報道が自殺の連鎖の原因となる」という権威ある研究結果が呈されれば、ネットも含めた、不必要な煽動報道への強い歯止めになるのだが。