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「どうする家康」に登場している榊原康政のルーツは、伊勢の榊原温泉

森岡浩姓氏研究家
榊原温泉(写真:イメージマート)

「どうする家康」に登場している家康家臣団の一人、杉野遥亮演じる榊原康政。

放送第2回で大樹寺に居候している若き武士として登場、桶狭間合戦で敗れて大樹寺に逃れ、先祖の墓の前で自害を図ろうとした松平元康と出会っていた。その後はしばらく姿を見せていなかったが、第6回の鵜殿城攻めで家康の小姓として再登場した。

榊原氏は松平氏譜代の家臣で、公式サイトの解説でも「名門の息子」と紹介されているが、ドラマ中では甲冑もなく、まるで浪人の息子の康政が家康に初めて仕えたように描かれている。

榊原のルーツ

この榊原氏、そのルーツははっきりとしない。松平氏の譜代の家臣は、系図こそしっかりと残っているものの、そのルーツは今一つはっきりしない家が多い。そもそも松平氏自身が初代親氏以前のルーツがはっきりしないため、その家臣クラスはわからなくても当然ともいえる。

榊原氏は清和源氏の一族で足利将軍家の庶流と伝え、室町時代に仁木利長が伊勢国一志郡榊原(現在の三重県津市榊原)に住んで榊原氏を称したといわれる(異説もある)。

榊原は現在は榊原温泉として知られている場所で、近鉄大阪線には「榊原温泉口」という駅もある。平安時代に書かれた『枕草子』に、「ななくり(七栗)の湯」として、有馬の湯、玉造の湯とならぶ名湯として登場しているなど、由緒ある温泉地である。

三河の榊原氏

『寛政重修諸家譜』によると、利長の孫の清長が三河国に移って松平氏に仕えたといい、松平氏の譜代の家臣であった。ただし、松平氏の直臣ではなく、重臣酒井氏の家臣であったようだ。

清長の孫康政は、13歳で徳川家康に見いだされて小姓となったというから、大樹寺で出会った直後に家臣になったことになる。ドラマでも上ノ郷城攻めが初陣となっていた。

康政の幼名は「於亀」で、家康から「康」の字を賜って康政と名乗った。のちに四天王の一人にも数えられて数々の戦で功をあげ、天正18年(1590)の家康関東入国の際には上野館林(現在の群馬県館林市)で10万石を領した。

江戸時代になると子孫は各地を転々とし、最後は越後高田藩主となっている。

「榊原」という名字は、現在も愛知県と静岡県に集中している。

とくに知多湾の沿岸に集中しており、半田市と知多郡武豊町では最多名字である。その他、碧南市や西尾市にも多い。

姓氏研究家

1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」「日本名門・名家大辞典」「47都道府県・名字百科」など多数。2017年から5年間NHK「日本人のおなまえ」にレギュラー出演。

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