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元裁判員による、かつて自分が関わった裁判へのある意味衝撃の内部告発

篠田博之月刊『創』編集長
評議室の内部(「似蛭田妖のブログ」より)

元裁判員が裁判の内情を異例の告発

 ここで取り上げる事件は、2016年12月に長崎県対馬市で起きた父娘放火殺人事件だ。逮捕され裁判で無期懲役が確定した須川泰伸受刑者やその家族とは半年前からやりとりをしているが、今回の主要テーマはその事件そのものではない。

 その1審で裁判員に選ばれた人物が、自分が関わって被告が有罪になった裁判をめぐって、本当にこれで良かったのかと疑問を呈し、内部告発を行っているのだ。

 裁判員制度が始まってもう14年になる。最近はそのあり方をめぐっていろいろな議論が起きているが、元裁判員がこんなふうに赤裸々に告発を行うのは異例のことだ。そもそも裁判員裁判での評議内容などは守秘義務が課せられており、裁判員経験者が発言すること自体そう多くはないのが実情だ。

 そもそもこの事件は決定的な証拠がなく、元被告は一貫して無罪を主張、服役するようになってからも、これは冤罪だと叫び続けている。もともと難しい事件だったのだ。

 告発を行っている元裁判員は、元被告に無期懲役という有罪判決が出された後も事件に関心を持ち、調べていくうちに裁判のあり方自体に疑問を感じ、もしかして自分は冤罪を作り出す側に加担したのではないかと自責の念に駆られるようになった。そこで守秘義務違反にならないように考慮しながら、いろいろな情報をブログで発信し始めた。

 裁判所や警察からはそういう行為をやめるように警告がなされたが、この男性は強い意志をもって告発を続けている。その経緯は地元で大きな問題になりつつあり、関係部署の担当者が異動させられたりしているとも言われている。

導入から14年を経て様々な弊害も

 裁判員裁判は、裁判に市民感覚を導入するという趣旨で導入されたもので、その本来の趣旨自体は悪くないが、最近は様々な弊害も指摘されつつある。一番大きな弊害と言われるのは、裁判員の負担を減らすために公判開始前から非公開の場で争点の絞り込みが行われ、裁判が始まる時点では既にある程度レールが敷かれてしまっているというものだ。

 例えば2020年の相模原障害者殺傷事件の裁判は、できるだけ短期間に裁判が終わるように争点が絞り込まれ、植松聖元被告の刑事責任能力の有無、つまり有罪であることは明らかだとしたうえで、彼を死刑にできるかどうかが争点となった。

 昔ならこういう難しい事件では裁判に10年を費やすことも珍しくなかったが、それを3カ月で終わらせるために、背景にある障害者差別の問題や、津久井やまゆり園の障害者支援のあり方といった、本質的な問題にはあまり踏み込まれないこととなった。それでも難しい裁判であったため、判決を前にして裁判員2人が辞任するという事態に至っている。

 裁判員制度導入に伴ういろいろな問題についてはきちんとした議論が必要な時期に至りつつあるのは明らかだが、その意味で今回の元裁判員の告発は貴重だと言える。

 彼は現在、似蛭田(にひるた)妖というハンドルネームでブログを書いている。似蛭田妖はアニメの主人公の名前だ。

 今回は、その似蛭田さんへのインタビューを紹介しよう。今回の企画は彼から連絡がもたらされたのがきっかけだった。

 この半年ほど、その裁判で被告だった受刑者やその家族とも接触している。それは主要部分の裏取りのため、そもそも冤罪の可能性がどのくらいあるものなのか、事件の真相はどうだったのかについて、ある程度把握しなければならないからだ。

 裁判記録などは既に入手しているが、ただ事件そのものを一から調べていくのは容易なことではない。東京から相当離れた場所が現場なので、関係者にあたるのも簡単ではない。

 そこで、事件そのものへのアプローチを進めつつも、とりあえずここで元裁判員の主張を掲載することにした。

 収録は2022年12月に行ったもので、今回、掲載を前にして本人への確認作業などもした。告発の趣旨を明らかにすることが目的なので、細かい話は割愛した。関心をもたれた方がいたら、「悩める裁判員経験者・似蛭田妖のブログ」を検索して読んでみれば、もっと細かい経緯も分かるはずだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/nagasakisaibanin/?PageId=1

 では以下、インタビュー内容をお伝えしよう。こんなふうに裁判員裁判の現実が率直な言葉で語られること自体、かなり異例と言える。

元裁判員が明かす裁判員裁判の内情

《7年前、非正規の仕事や親の家の手伝いなどをしていた時に、裁判所から「裁判員の名簿に選ばれました」という知らせが来ました。放っておいたら忘れていたのですが、1年後の年末に封書が届きまして、選任手続きに来てくださいということでした。しかも、長崎地方裁判所の女性書記官の方から電話もあり、「1月22日の選任手続きには必ず来てください」と言うのです。

 既に僕は辞退はいたしませんという通知を出していたので、どうしてそんな電話をしつこくかけてくるのかと不思議に思いました。まさか重大事件かなんかの裁判になるんじゃないだろうなという思いも、ちらっと頭をよぎりました。

 そして1月22日に出頭したら、やっぱり難しい事件の裁判でした。審理期間が3月27日まであり、拘束される。しかも、基本的によほどの辞退理由がない限り、皆さんのうちの誰かに裁判員をお願いするというのです。

 そもそもその選任手続き自体に来てない人が3割ぐらいおり、やってきた残り7割の人たちもいろいろ理由を付けて辞退しようとしたのです。最終的に正裁判員に選ばれた6名は全員男性、補充裁判員も6名のうち4名までが男性でした。意図的に女性を外したような感じなので、凄惨な事件なのかという印象を受けました。

 最初は皆さん、選任されても受けたくないというオーラで満ちており、既に部屋には宣誓書などの準備がされていましたが、誰も引き受けるとは言いませんでした。そういう雰囲気を察してか、裁判長が特別にいろんな計らいをしますと言うのです。本来支給基準に該当しないような人にも宿泊費を払いますと。一応裁判所の支給基準では2時間半以内で来られる人には宿泊費はおりないんです。でも、長期に拘束されるから払うというのです。

 そうしたやりとりの後に、誰か1人がじゃあ引き受けようと言い出したら、それに促される形で、正裁判員6名、補充裁判員6名の12名全員が了承することになりました。

 そして、その翌日から公判が始まるわけです。翌日に書記官とか会計課の職員が来たのですが、何と「昨日裁判長が約束した宿泊費は払えません」と言うのです。それで裁判所ともめて、その結果、この宿泊費問題で1人が裁判員を辞退しました。そのほかもう1人、裁判の内容が重すぎて精神的に耐え切れないという理由で辞めた方もいました。

 僕は補充裁判員の中で優先順位が3位だったのですが、早い段階で2人辞めたものだから1位になってしまいました。もう1人辞めれば僕が正裁判員になることになるので、ものすごく心理的なプレッシャーを受けました。

自供もなければ確たる証拠もなかった

 この裁判は有罪無罪の判断が難しいケースで、自供もなければ確たる証拠もないし、そもそも警察が捜査の段階でメディアに対して、被告人となった人物は第一容疑者、第二容疑者、第三容疑者の中に入ってなかったと言っていたのですね。捜査に時間がかかっており、殺害された娘さんと被告は面識もないしアリバイもどうやらあったようなのです。家族が言うことだから信用できないということでアリバイは退けられたのですが、結局残ったのは無理筋の間接証拠です。この曖昧な証拠をどう評価するかというのは悩ましいところでした。

 裁判には鑑定人を始め40~50人が証人出廷しました。その証言を聞くだけで1月の23日から3月の上旬までかかったのです。そして3月中旬から下旬に評議が行われ、判決は3月27日でした。

 どういう判断をくだすべきか、ものすごく難しい裁判でした。宿泊費問題でもめたり、長崎地裁には不信感もあったので、僕は評議の一部始終というか、評議室の中での会話をICレコーダーで全て録音させてもらいました。

 事件は放火殺人で、犯人は2人殺して家に放火したのですが、反省もしていない。凶器を持ち込んでいたし、ガソリン携行缶を持って犯行に及んでいるため、これは有罪ならば無期懲役でなく死刑しか考えられないというのが前評判でした。多くの識者、元裁判官や学者、弁護士、新聞記者などが、これは死刑になるか無罪かという難しい裁判になるという見方でした。

 ただ結果的に判決は有罪でしたが、死刑ではなく無期懲役でした。裁判官と裁判員は、判決後に有罪論者と無罪論者の両方から攻撃を受けました。被害者遺族からも、なぜ死刑でなかったのかという批判が寄せられました。遺族の方は民事でも損害賠償請求を提起されたんですけれど、いまだに納得できていません。

 また有罪とされた受刑者はいまだに刑務所で無罪を叫んでおり、疑わしきは被告人の利益にという裁判の原則から、本来なら無罪にしなくてはいけなかったのではないかという人も少なくないのです。

 さらに僕が悩むのは、裁判員を退任した後に、警察や検察が証拠を隠していたというような情報を提供してくださる方がいました。裁判員裁判の法廷では僕が質問したことに対して警察は本当のことを答えていない。あと検察がいわゆる印象操作と言いますか、裁判員が誤導されるような説明をしていたというのが、後になって分かったのです。

 判決の直後に裁判員による記者会見があり、裁判員が苦悩を語ったというのが翌日の多くの新聞に載りましたけれども、有罪無罪の判断が難しい裁判で、裁判員にかなり心理的な負荷があったのは確かなんです。裁判員の間でも意見が割れるような難しい有罪の判断だったと記者の方々も会見を通して理解されたようです。

 会見の最中も裁判所の書記官が近くにいまして、できるだけ裁判員に話させないようにしていたのですが、やはり裁判員たちは、やむを得ず苦悩を吐露したのでした。あとわずかでも被告人に有利な情報があれば、あるいは検察官がそういうものを隠していたといったことが判明すれば無罪になったかもしれないという、そういう案件なんです。

生きていくのがつらくなるほど悩んだ

 その後も、僕はそのことで悩みました。裁判でも、後になってから警察や検察が隠していた情報があるといったことが明らかになったのです。ひょっとしたら他にもたくさんあるんじゃないか、この先も出てくるんじゃないのか。例えば真犯人が別にいて、その人が癌に侵されるとか、余命が少なくなってきて私がやりましたと告白するとか、あるいは当事者しか知り得ないようなものが出てくるとか、証拠を改ざんしたような警察官が名乗り出るとか、そういうのが出てきはしないだろうか。その結果、裁判が間違っていたというのが明らかになるといったことがないのかどうか。非常に不安になりました。

 こういう難しい裁判に関わったということで、僕は補充裁判員でしたが、できるだけメモをとって、それを通じて、市民の目線から市民の方々が不思議に思うような箇所を、ブログを通じて明らかにしてきました。

 そもそも裁判でも、僕の質問によって検察側の鑑定証人の2人の法医学者の鑑定がボツになりました。有罪の根拠となった検察の主張についても、長崎県警の捜査状況を知っている市民の中から「検察官が言っているのは嘘です」などと、僕に情報を提供してくれる人もいました。

 それでどうもこれは怪しいなという思いが出てきて、僕は悩みました。それでブログを始めるに至りました。もう、ちょっとどうにもやりきれなくなりまして、生きているのがつらいという思いにもなりました。

 その上、判決に不満を持つ人たちからのちょっとした嫌がらせ行為もありました。これも長崎地裁に相談したら、県警本部の所轄署に相談に行きなさいと言われ、警察案件となったんです。でも、その警察が、僕のブログを見たようで、その内容が裁判法違反だと考えなきゃいかんと指摘があったのです。さらに長崎地裁から電話があり、ブログの幾つかの箇所を削除しろと言われたんですね。

 僕は、じゃあわかりましたと応じたんですが、次の電話では、自分たちは指示をしないから自主的に削除しなさいと。それがなければ逮捕されるということまで総務課の課長補佐さんが言われるわけです。それで「これは裁判所の上の方の命令ですか」と聞いたら、「まあそういうふうに理解してください」と言われました。それが2021年の夏の話です。

この件に関わった人たちが異動になっているらしい

 僕は相当な量を削除しましたけれども、年末になって電話がかかってきて、さらに数箇所を削除してくれと。この音声は録音し、書き起こした文をブログにも貼り付けました。民事の方で被害者遺族が裁判を起こしていたんですが、その長崎地裁の判決が2022年1月に出たんです。それに合わせて要するに判決が出るまでのうちに削除してくださいってことだったんですね。だから僕はピンと来たのは、これはもう被害者遺族を全面的に認容する判決が出るんだなと。このこともブログで訴えました。

 このブログの内容のいろんなスクリーニングを弁護士の方とか読者の方々がやられているんですが、裁判員法に違反している部分はないんですよ。傍聴していれば知り得るであろう話とかメディアが書いていた内容だし、僕は自分の意見は述べていません。

 そもそもこのブログを始めるにあたって僕は福岡地裁とか熊本地裁の書記官に相談をして、1審の裁判員裁判では出なかった新たな証拠が福岡高裁の控訴審で出まして、それを元にして無罪ではないかと考えるのを表明するのは裁判員法違反ではないということを最初に知った上でブログを始めたんです。

 ところが長崎地裁はそれが駄目だという。僕は地裁の書記官がそのくらいはOKですと言っている録音音声データも持っているんです。東京地裁にもこの点について問い合わせたら、こんな質問してきた人は裁判員制度が始まってから初めてですと言われました。だから自分たちは判断ができないと。これもちょっとおかしな話なんですよ。僕は納得できずにいろんな人に話をしたし、いろんなシンポジウムにも参加して訴えてきました。

 そしたらどういうわけか2022年9月に、長崎地裁の所長が依願退職され、そのことについてまた多くの方々がちょっと怪しいなとおっしゃっているのです。どうもこれに関わった方々が異動になっているようなのです。

被告人に有利な証拠はなかったことに

――裁判をめぐっていろいろな疑問を感じたということですが、例えばどういう点でしょうか。

 例えば防犯映像の電子タバコというのがありまして、僕が裁判員だった時に科捜研の職員に、犯人と思われる男が口にくわえているのは特殊な銘柄のタバコみたいだと尋ねたことがあったのですが、「これは科捜研ではわかりません」とか「タバコかどうかがそもそもわかりません」と職員が答えました。

 ところが現場の警察官はそれが電子タバコだと特定して、家宅捜索とは別に任意提出しろと元被告の家に行って押収しているんです。さらに控訴審では、長崎県の科捜研が鮮明化しなかった映像を、弁護人が民間の会社に依頼して鮮明化し、電子タバコだと特定しているのです。

 僕は特殊な銘柄のタバコだと映像を見た瞬間思ったので質問したのですが、おかしいのは、その質問に対して、タバコかどうかそもそもわからないとかいう答えがなされたことです。それを明らかにするとまずいので曖昧な答えにしたとしか思えない。というのは、防犯映像に映っていた電子タバコが被告人の家にはなかったんです。被告人が電子タバコを吸っていたのを目撃したという人も誰もいない。

 タバコというのは常習性があるから吸ったことがないようなタバコは普通吸いません。もし令状を取ってから、そのタバコが押収できなければ被告人を有利にしてしまう。それゆえにその話を曖昧にして隠そうとしたとしか思えないわけです。被告人に有利になるような証拠はなかったことにしていくというわけです。

 あと事件当時の新聞報道では、殺害された娘さんの交際相手が犯人ではないかという論調で書かれていたんです。元々第三容疑者まで被告人と別の人物だったんです。それを新聞とか他のメディアで見ていたので、被告人が逮捕され、有罪になっていくのが簡単に受け入れがたかったのです。

有罪判決で良かったのかという思いが今も拭えない

 それと当初、テレビで火事の写真とか映像が映されていたのを見ていたんですが、車が確かにあったけれど風上にあって距離が離れていたから被告が延焼させようとしたというのがどうも納得できない。給油口が開いていたのは放火に使うガソリンを抜いたためであると警察は語り、新聞にそう載っていたのですが、無理にそういう話に作っているなという印象でした。

 待ち合わせ場所に使ったというバス停もそうですけども、辺鄙な場所にあるとか言っていましたが、実は人通りもあって、結構車とかが止まるような場所で待ち合わせをしていた。そういう逮捕の筋書きにあわせて話を作っていったような印象が拭えないのです。

 そもそも犯行は12月の寒い時で、しかも島だから海風が吹いて気温が4度とか5度なんです。体感温度はほぼ0度です。そんな状況の時にサンダルを履いて、ハンマーを振り回したとか、犯行がサンダル履きで行われたって検察官が言うんです。聞いていて不自然だとしか思えないのです。

 それらは、僕だけじゃなくて多くの人がおかしいと言っているわけです。このサンダルは真犯人か警察が持ってきたものだと弁護側は言っていたし、サンダルのサイズが被告人には合わないというのです。納得できない点が多く、最初から有罪無罪が分かれていました。

 それは評議の秘密になるので、裁判員がどうだったというのは言えませんが、ただ今僕が申し上げていることは、裁判が始まる前から新聞記者とか多くの人たちが語っていた論点なんですね。

ほかにもおかしなことはいろいろあった

 不思議なことはほかにもあって、凶器が発見されてないけれども鉄工所のハンマーがなくなっていましたと言っているわけです。検察官は、ハンマーが頭蓋骨の陥没した跡に一致するとか言っているんですが、ハンマーは発見されてない。

 裁判では最終的に、2人殺して放火したとはいえ場当たり的な犯行で計画性がないと。だからそれほど悪質ではないから無期懲役にするという結論付けなんですけれど、ハンマーを持ってガソリン携行缶も持っていってそういう下準備をした上で、面識がなかった娘さんまで殺すというわけでしょう。

 だから最初は、死刑か無罪か2つに分かれたわけです。検察の主張通りだとすると、ガソリン携行缶持っていって畳をはいで床下まで風通しをした上で放火したというわけです。遺族の処罰感情とかあるいは殺害の態様とか本人は反省しているかどうかとか、検察の主張通りなら無期懲役にするという事情が全くないんです。

 多くの人が言っているのは、要するに有罪か無罪か裁判員の意見が割れたから、無期懲役にもっていくためにそういう理屈を作り出したのではないかというのですね。

 明白に有罪だという確証が持てないのです。受刑者はいまだに無罪を主張しているというでしょう。自分が関わった裁判でひとりの人間を、僕から見れば極めて曖昧な理由で無期懲役にしてしまった。本当にそれでよかったのかという思いが今でも拭えないのですね。》

 この事件と裁判についての検証は今後も継続し、今後、随時レポートしていこうと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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