NHK朝ドラ「舞いあがれ!」に見る世代間の支え合いと「呼び寄せ介護」
子どもの「自分を信じる力」を育む祖母の存在
2022年10月~2023年3月のNHK朝の連続テレビ小説「舞いあがれ!」は、東大阪の町工場を舞台に、空を飛ぶことに憧れる舞が、家族や取り巻く人々との支え合いの中で、夢を実現していく物語だ。舞の母・めぐみの故郷である長崎・五島列島(めぐみの郷里)の人々、中でも祖母・祥子との交流が、大きなポイントとなっている。
舞は幼少時、体を動かすとすぐに熱を出し、「周囲に迷惑をかける自分」に自信を持てずにいた。病弱な舞を心配し、行動を制限する母・めぐみ。転地療養先の五島で、舞の祖母・祥子は、めぐみの過保護も、舞に「自分は何もうまくできない」と感じさせる一因となっていると気づき、めぐみに帰阪を促す。
母子分離による親離れ、子離れである。
祥子は、「失敗ばかり」と嘆く舞に、「失敗することは悪くない」と諭す。そして、積極的に手伝いを促し、舞がやりたいと言ったことをどんどんさせることで自信をつけさせた。
東大阪に戻っためぐみも、五島で元気になっていく舞の様子に、過保護を封印。以前ならストップをかけていたようなことも、電話で相談を受けると、「舞がやりたいと思うならやってみたら」と、声をかけられるようになっていた。
“子どもに失敗をさせないことが守ること”と考えがちな若い親に対し、人生経験を積んだ祖母世代は、“子どもは失敗しても適切に支えれば、立ち直れる”ことを知っている。
人は失敗から自分の力で立ち上がらないと、自分の力を信じることはできないものだ。手を出したくなるのを我慢することが、見守る周囲には求められている。これは子育てに限らないことでもある。
「舞いあがれ!」では、祥子自身が失敗し、落ち込んでいるときに、幼い舞が「失敗は悪くないのでしょう?」と声をかけるシーンもある。多世代が関わることの良さは、このあたりにある。互いの存在が支えになるのだ。
脳梗塞で倒れた祖母はどこで暮らすのか
物語の後半、五島で一人暮らしを続けていた祥子が脳梗塞で倒れた。左手などにマヒが残った祥子は、医師からそれまでのように釣り船を操船することはおろか、一人暮らしも難しいと言われてしまう。
祥子を心配するめぐみは、東大阪で一緒に暮らそうと言うが、祥子は断固として拒否する。
筆者はこのシーンを見ながら、二つのことを考えた。
一つは、めぐみは舞の子育ての時と変わらず、「過干渉」「過保護」である自分から抜け出せていないということ。そして、もう一つは、離れて住む親の介護の難しさだ。
人々とのつながりが深い、長年暮らしてきた五島を離れ、家族以外知る人のいない東大阪への移住。その暮らしに、祥子が簡単に馴染めるとは、筆者には思えなかった。
介護が必要になった親を、それまでの生活圏から子世代の暮らす地域に移住させて介護することを「呼び寄せ介護」というが、呼び寄せ介護には、様々な問題がある。
つながりが密な周囲の人々の力を借りれば、五島での暮らしは続けられるのではないか。そう思いながら、物語がどう展開するかを見ていた。
「呼び寄せ介護」での問題についての指摘
東大阪に戻っためぐみは、周囲に「母を引き取る」と告げる。舞を含む多くが「それがいい」という中、舞の義父(夫の父)が重要な指摘をする。
めぐみを始め、周囲の親族はみな仕事や育児で手一杯。それで、本当に十分に祥子の世話をできるのか。介護は育児と違いどんどん大変になっていく。大丈夫なのか?という指摘だ。
「呼び寄せ介護」を考えるのは、「一人で暮らす親が心配」「何かあったら、自分が耐えられない」「周囲からなぜ一人暮らしのままにさせておくのかと思われる」など、子世代の思いがきっかけになりやすい。
それ自体はいい。
しかし、この指摘の通り、「思い」だけで現実を乗り越えるのは難しい。介護サービスをフル活用しても、家族がカバーしなければならないことはある。在宅介護ではなく、施設に入所し、「生活」が成り立ったとしても、親の「こころ」が置き去りになることもある。
子どものもとに呼び寄せられ、それまでの地縁からも人の縁からも切り離された親は、頼る相手が子どもしかいなくなる。「自分のことが自分でできなくなったつらさ」に加え、そのつらさを打ち明ける相手もいない環境が生むのは、耐えがたい孤独だ。
「呼び寄せ介護」ではこうしたことが起こる恐れがある。
できないことばかりが増えていく高齢者の哀しみ
指摘を受け止めためぐみは、祥子のケアを第一に考え、亡き夫の後を継いで経営していた会社の社長を降りることを決意する。そして、後任社長を指名し、再び五島を訪れる。
2週間の入院を経て、退院した祥子。それまでのように、「船の様子を見に行く」「畑を見に行く」と言うが、周囲は「無理だ」「我々が見るから」と言って何もさせようとしない。
これも、要介護状態になった高齢者に対して、周囲がやってしまいがちな対応だ。
確かに、できないこと、やらせたら危ないこともあるだろう。しかし何もかも取り上げてしまっては、生きる甲斐がなくなる。過干渉、過保護が、幼かった舞の自信も生きる力も奪ったのと変わらない。
こうしたとき、周囲は高齢者の「生きる力を奪うリスク」と、「ケガをしたり、最悪の場合、命を失ったりするリスク」の両方を見ながら、本人にしたいことをどこまでやってもらうかを考え、覚悟して決断する必要がある。
そうでなければ、祥子の次のような発言を聞くことになる。
「情けない。自分のことが自分でできないのがこんなに苦しいとは。この先はできないことばっかり増えていく」
ここで舞は、「何もできないと言っていた私に、ばんば(おばあちゃん)が、できないならできることを探せばいいって教えてくれたじゃない。ばんばにしかできないことはたくさんある」と、明るく声をかける。
幼かった舞にかけた励ましの言葉が、二十数年の時を経て、年を重ねた祥子自身に返ってくるという心温まるシーンである。
しかし、それでも祥子の表情は晴れない。本人が「自分にもまだできることはある」と実感できなければ、気持ちを変えるのは難しいのだ。
「呼び寄せ介護」の望ましい終着点とは
そんな祥子に、めぐみは再び、「大阪で一緒に暮らそう」と言う。めぐみは結婚を反対されて20歳で家を飛び出し、舞の転地療養まで祥子とは絶縁状態だった。
「20年しか一緒にいられなかったから、一緒に住みたい。これから親孝行したい」と告げるめぐみ。
しかし祥子は、やはり大阪には行かないと答える。
「社長を辞めて、かあちゃんができないことを一緒にやる」と言うめぐみに、「そんな理由で会社を手放すなんて」と言う祥子。
そこで、めぐみはこう答える。
「私にとっては、大きい理由だから。でも、会社はすぐには辞められない。引き継ぎが終わって現場を離れたとき、かあちゃんがやっぱり戻りたいなら、一緒に五島に戻ろう」
めぐみのこの言葉が、祥子を動かした。
東大阪に移住した祥子は、ジャム作りをしたり、舞の夫の古本屋の店番をしたりしながら過ごす。
このとき、幼かった舞に対して過保護だっためぐみに、祥子を過剰に心配する様子は見られない。描かれていなかっただけなのかもしれないが、ようやく過干渉、過保護の弊害を学んだと考えたい。人生における様々な経験が、後半生での新たな対応を導き出していくものだ。
やがてコロナ禍となり、外出がままならなくなった祥子は、五島への望郷の念を募らせる。そして、めぐみと共に五島に帰っていき、物語は終わる。
祥子の望み通り、五島に一緒に帰るというめぐみの選択は、誰にでもできることではない。
しかし、親を呼び寄せて、新しい土地での生活に馴染めるかどうかを見極めた上で、難しいようならもとの生活圏に戻る。呼び寄せた子ども自身も一緒に。それを前提とした呼び寄せであれば、親世代もこころが動くだろう。
それは、「呼び寄せ介護」の望ましい終着点の一つだと言えるだろう。