センバツ21世紀枠候補決まる 磐城、敦賀など伝統校目立つ
センバツ21世紀枠候補9校が決定した。毎年、甲子園にさわやかな風を運び、さまざまな話題を提供してくれるセンバツの「名物」だ。今回も多士済々、個性あふれる楽しみな候補が揃った。例年以上に伝統校が目立つ。9校のプロフィールを紹介するとともに、リリースされた資料から、候補に至った経緯も記したい。
帯広農(北海道)
北海道有数の農業地帯の帯広で、地域の産業を支える優秀な人材を送り出してきた道内屈指の名門農業高校。大正9(1920)年創立で、年が明けると創立100年となる。秋の北海道大会では、初戦で甲子園経験のある武修館を破ると、準々決勝でも、北海道栄に5-0で快勝。準決勝で敗れたが、見事、4強に進出した。校外での実習が多く、全員練習は土日のみと練習環境は厳しい。余談になるが、唯一の甲子園出場だった昭和57(1982)年夏、益田(島根)との試合で、9回表、3アウトになっていたにもかかわらず益田の打者が打席に入って凡打に倒れるという「4アウト事件」という球史に残る珍事を演じている。北海道は、強豪私学と互角に渡り合った戦力や、地元選手だけで4強に勝ち残った実績から、文句なく同校に決まった。
磐城(福島=東北)
昭和40年代を中心に、東北を代表する名門として甲子園で活躍した創立124年の文武両道の伝統校。昭和46(1971)年夏には、田村隆寿投手の活躍で決勝まで進出し、桐蔭学園(神奈川)に0-1で惜敗して、大旗を逃した。その後もしばらくは甲子園に姿を見せていたが、近年は、聖光学院が夏の代表を独占するようになり、大舞台への道は険しい。秋は福島大会3位で東北大会に進出し、甲子園経験校を相手に2勝を挙げた。特に2回戦で、秋田1位の能代松陽に2-1で競り勝った星が光る。大会中には台風による浸水被害もあったが、その健闘ぶりは、地元の人たちに勇気を与えた。鮮やかなコバルトブルーのアンダーシャツとストッキングが印象的で、名門復活には地元だけでなく、オールドファンも期待を寄せている。東北は、戦力的な裏付けも必要として、磐城同様、東北大会に出場した仙台商(宮城)との比較になり、大きな災害を乗り越えた磐城を選んだ。
宇都宮(栃木=関東・東京)
県内トップの進学実績を誇る県立の男子校で、創立は明治12(1879)年という全国屈指の伝統校。明治29(1896)年に誕生した野球部は、同年に宇都宮で水戸中(現水戸一=茨城)と対戦したが、この試合が日本最古の中学野球部対抗戦だといわれている。選手権には大正13(1924)年の10回大会に出場し1勝したが、これは、栃木県勢の甲子園初勝利だった。今秋の栃木大会では、準々決勝で優勝校に敗れたが、部員19人で健闘した。ここ数年は強豪私学とも好試合を演じていて、文武両道の模範校として評価が高い。昨年は東大に12人が合格しているが、うち1人は野球部員で、現役合格だった。京大に現役合格した部員もいて、現在の部員も全員が難関大学進学をめざしている。関東、東京は、「学業プラス1」の精神で、高いレベルの文武両道を実践する同校が、満場一致で選出された。
近畿大学工業高等専門学校(三重=東海)
高専初の甲子園をめざす異色の候補。昭和37(1962)年、近畿大学を母体に熊野高専として誕生した。高専=高等専門学校は、全国に57校(うち私立は同校含め3校)あり、5年一貫教育。したがって、選手たちは3年生の夏に部活を引退して学業に勤しむ(活動を継続する4、5年生は東海地区大学野球連盟所属)。在学中に多くの資格を取得せねばならず、文武両道が部のモットーでもある。今秋の三重大会で初優勝し、東海大会に進出。初戦(準々決勝)で4点差を追いつく粘りを見せたが、延長で惜敗した。熊野市から名張市に移転して9年。地域密着のボランティア活動も積極的に行い、伊賀地区初の甲子園へ地元は盛り上がっている。東海は、「高専初の甲子園」へ、全国の高専から応援メッセージが寄せられていることなど、期待の大きさも後押しして、同校に決定した。
敦賀(福井=北信越)
福井を代表する名門校で、過去、春4回、夏17回の出場を誇る。最新の出場が20年前の夏で、近年は、強豪私学に甲子園への道を断たれている。グラウンドは狭く、バックネットもない状態で、選手たちは工夫を凝らした練習と熱意で、秋の県大会準優勝まで勝ち上がった。21年ぶりの出場となった北信越大会では、長野日大に4-1で快勝。2回戦で星稜(石川)には完敗したが、名門復活に地元は盛り上がっている。マネージャーが保護者に対し、特別なアプリを使って、練習やミーティングの内容を伝えるなど、一体感のある取り組みを行っている。北信越は、金沢商(石川)との比較になり、甲乙つけがたいながら、野球の伝統校であることや、恵まれない練習環境を克服していることなど、部活動としての優れた取り組みが評価された。
伊香(滋賀=近畿)
昭和40年代には滋賀を牽引する強豪で、春2回、夏3回の甲子園経験があるが、勝ち星はない。県の最北端にあって、冬の豪雪でグラウンドの使えない期間が長い。過疎と高齢化が懸念される地域で、120年を超える伝統校の復活は大きな話題だ。秋の滋賀大会では、140キロ右腕の隼瀬一樹(2年)が、優勝候補筆頭の滋賀学園を完封するなど主役級の活躍をした。準決勝で近江に延長11回、0-1で惜敗して近畿大会出場はならなかったが、隼瀬は強豪私学にも通用するハイレベルな投手だ。昭和62(1987)年の春夏を最後に大舞台から遠ざかっているが、藤高俊彦投手(新日鉄広畑)を擁した昭和52(1977)年センバツでは、前年夏の覇者・桜美林(東京)と延長13回の死闘を演じた。隼瀬には、その再来が期待できる。近畿は、西城陽(京都)と市西宮(兵庫)を合わせた3校に絞って協議し、少人数(選手18人)で、さまざまな困難を克服している伊香を推薦した。
平田(島根=中国)
昨年に続き地区候補に挙がった。昨年は惜しくも補欠1位で出場はならなかったが、地区推薦3回目で、3度目の正直なるか。秋は県大会2位で、中国大会でも尾道商(広島)に完封勝ちした。エース・古川雅也(2年)は制球の良さが光る。「攻めの守備」が大きな特徴で、配球や投球、守備位置なども攻撃的に行う。また、県全体が過疎に泣く島根で、子どもたちに野球の楽しさを伝えようと、普及活動にも積極的に取り組んでいる。大正5(1916)年創立の地域に根ざした伝統校。これまで春季の中国大会優勝や、センバツ一般枠でも補欠校になったことがあり、多くの先輩たちがあと一歩で逃した大舞台へ、期待は高まるばかりだ。例年、激戦となる中国地区の選考は、豊浦(山口)、倉吉東(鳥取)を含めた3校に絞って協議し、甲子園経験がないことや地域との密接なつながり、野球の普及活動などが決め手になって、平田が2年連続で選出された。
城東(徳島=四国)
創立117年の伝統を誇る県内屈指の進学校。ただし、野球部は平成8(1996)年創部と比較的新しく、甲子園の経験はない。ここ数年は、県大会のほとんどで8強以上に進んでいて、力をつけている。グラウンドが狭く、休日の練習は学校を離れて吉野川の河川敷で行うなど、環境は厳しい。選手18人で練習時間も短い中、自主的に効果的な練習方法を考え、チーム力の向上をめざしている。初出場となった秋の四国大会では、大手前高松(香川)を破って、準々決勝に進出。高知中央には大敗したが、部の新たな歴史を刻んだ。ラグビー部は、3年連続で花園の全国大会に出場する。四国は、松山北(愛媛)と城東に絞って協議し、練習環境が厳しいことや、自主的に工夫した練習で力をつけたことが評価され、城東に決まった。
本部(沖縄=九州)
沖縄の北端にある、1学年2クラスの小規模校。選手は甲子園の定員を下回る17人で、秋の県大会では準々決勝まで進んだ。本部町唯一の高校だが、存続の危機に立たされたことがあり、野球部員5人という困難な時期も乗り越えてきた。現部員のうち10人が生徒会執行部として、学校行事の運営や企画に携わり、リーダーシップを発揮している。秋季大会では、沖縄尚学に3-5で逆転負けしたが、甲子園優勝経験のある強豪を苦しめた。3人の好投手がいて、少数精鋭ながらチーム力はかなりある。「地域の子どもは地域で育てる」をテーマに、卒業生や地元の人たちに支えられて、選手たちは、甲子園出場で恩返しをしようと意気込んでいる。九州は、長い議論の末、宗像(福岡)と本部の2校が残り、両県の理事長退席の中、またも長時間にわたって協議し、本部がわずかに上回るとされた。
伝統校に交じり異彩放つ近大高専
甲子園未経験は、近大高専、平田、城東、本部の4校。対照的に、夏の甲子園準優勝経験のある磐城や、20回以上の出場歴がある敦賀、春夏の甲子園を経験している伊香など、伝統校が久しぶりの甲子園チャンスを得た。中でも、高専初の甲子園をめざす近大高専がどのような評価を受けるか。異色の候補の動向が、今回の焦点だ。
地元、先輩への感謝と子どもたちに夢を
21世紀枠の意義は大きい。筆者の考える21世紀枠の理念は、これまでの先輩が築いてきた伝統の上に甲子園出場があって、これを契機に、さらに力をつける、ということだ。
昨春、創部120年で春夏通じて初めて甲子園に出場した富岡西(徳島)は、初戦で、優勝した東邦(愛知)に1-3で惜敗したが、直後の春季四国大会では準優勝。夏の徳島大会でも準優勝と、選手たちはセンバツ出場に満足することなく、目の前の目標に向かって貪欲に挑み続けた。この精神は、後輩たちに必ず受け継がれる。令和初のセンバツとなる来春、21世紀枠で憧れの舞台に立つ選手たちには、地元や先輩たちへの感謝の気持ちを胸に、甲子園をめざす子どもたちに夢を与えるような試合をしてほしいと願っている。