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「マイク・タイソンvs.イベンダー・ホリフィールド3」と言っても…

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
1997年6月29日、タイソンがホリフィールドの右耳を喰いちぎった23年前の一戦(写真:ロイター/アフロ)

 1997年6月29日、私はマイク・タイソンがイベンダー・ホリフィールドの右耳を喰いちぎった試合を、MGMグランドガーデンアリーナの記者席から見詰めた。両者の第1戦も現地で取材したが、第2戦では特にタイソンの衰えを感じたものだ。

撮影:著者
撮影:著者

 タイソンはモハメド・アリと並ぶ伝説的チャンピオンだが、身長181センチと最重量級ファイターとしては極端に短躯である為、鋭いステップインとスピードを失ってからは、持ち味が出せなくなった。2002年6月8日にレノックス・ルイスに敗れた試合も、成す術が無かった。その後、3試合を消化して1勝2敗。無名選手にKOで2連敗して引退を決めたのは15年も前のことである。今回、数十秒のミット打ちが話題になっているが、当然のことながら全盛期とは比較にならない。

撮影:著者
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 そのタイソンに刺激されたのか、57歳のホリフィールドもリングに上がると言い始めた。「タイソンvs.ホリフィールド3実現か?」と記すメディアもある。

 ホリフィールドのラストファイトは9年前。1996年11月9日にタイソンを沈めたファイトや、リディック・ボウとの3戦は胸を熱くさせたが、直近の5試合で2勝2敗1ノーコンテストと枯れた姿を見せ、引退を決めた。

 改めて述べるまでもないが、どんなにファンを魅了したチャンピオンもいつかは老い、リングを離れていく。時の流れに抗うことは誰にも出来ない。

撮影:著者 1999年6月18日、ウィザスプーンは7回終了時に自ら棄権を申し入れた
撮影:著者 1999年6月18日、ウィザスプーンは7回終了時に自ら棄権を申し入れた

 1999年6月18日、元世界チャンピオン6名が出場する珍興行がノースカロライナ州フィヤットビルで催された。メインイベントに47歳のラリー・ホームズvs.46歳のジェイムス・スミス。セミファイナルに41歳のティム・ウィザスプーンvs.40歳のグレッグ・ペイジと、4名の元世界ヘビー級チャンピオンが集結した。PPV放送の第一試合では、43歳の元WBCジュニアウエルター級王者、ビリー・コステロvs.39歳の元WBCフェザー級チャンピオン、ファン・ラポルテによるミドル級戦も組まれた。 

 往年の名ファイターが集うとあって私も足を運んだが、どの選手もその名に相応しいリングパフォーマンスを披露することもなく、それぞれが体を痛めてリングを降りた。

撮影:著者 1997年3月1日ヘクター・カマチョにKO負けした直後のレナード
撮影:著者 1997年3月1日ヘクター・カマチョにKO負けした直後のレナード

 シュガー・レイ・レナードが40歳で試みたカムバックも無残であった。あの華麗なボクシングは消え失せ、スローモーションのような動きに終始したhttps://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20170706-00072827/。トーマス・”ヒットマン”・ハーンズも47歳まで現役を続けたが、最後は痛々しかった。ヒットマンの側近でさえ「彼の名声に傷が付いてしまう。もう見たくない」と涙ながらに語ったhttps://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20170815-00074140/

撮影:著者
撮影:著者

 確かに、タイソンがもう一度グローブを嵌めると聞けば、胸を躍らせるファンは多いだろう。しかし、ボクシングという競技において、ゴルフのシニアツアーのようなオールドマン同士の戦いは成立しない。

 「イベント自体はカネを生むだろうが、健康面を考えれば危険だ」

 ジョージ・フォアマンの実弟で、現在プロモーター業に就くロイ・フォアマンはウェブでトークショーを行い、そう話した。

 すると、元統一ヘビー級王者のリディック・ボウが「タイソン、レノックス・ルイス、ジェイムス・トニー、俺は誰とだって試合するぜ!! 絶対に勝てる!」と書き込んだ。ボウは、引退後しばらく呂律が回らなかったというのに……。

撮影:著者 1996年12月14日、アンドリュー・ゴロタに失格勝ちしたボウは最初の引退をアナウンス
撮影:著者 1996年12月14日、アンドリュー・ゴロタに失格勝ちしたボウは最初の引退をアナウンス

 ボウに限らず、チャンピオンたちは類稀な闘争心を武器に頂点に上り詰めた。が、反射神経の鈍った今、一発のパンチで大きなダメージを負う危険性を忘れてはならない。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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