【先取り「どうする家康」】「十四松平」と「十八松平」とは、どういうものなのだろうか
1月8日からNHK大河ドラマ「どうする家康」がはじまる。今回はドラマの内容を先取りすべく、「十四松平」と「十八松平」を取り上げることにしたい。
武士の家が発展する際には、分家が欠かせなかった。たとえば、室町幕府を開いた足利尊氏は、清和源氏の流れを汲み、足利(栃木県足利市)に本拠を置いて、足利を姓とした。普通は地名を名字にするが、松平家の場合は少し変わっていた。
松平氏は一族で分家を重ね、のちにそれらは「十四松平」と称されるようになった。「十四松平」に関しては、江戸時代に成立した『寛政重修諸家譜』に記されており、次の十四の松平家を挙げている。
竹谷松平家、形原松平家、大草松平家、五井松平家、深溝松平家、能見松平家、長沢松平家、大給松平家、滝脇松平家、福釜松平家、桜井松平家、東条松平家、藤井松平家、三木松平家
こうした松平家の数え方は徳川宗家を含める場合や、家康の祖父である清康までの庶子に限る場合もあり、実にさまざまである。このほかに家系が途中で断絶した松平家としては、岩津松平家、押鴨松平家、鵜殿松平家がある。
松平の庶子は、一致団結して徳川宗家を支えることになる。ところが、これとは別に「十八松平」というものがあり、『改正三河後風土記』に記されている。
「十八松平」とは、江戸幕府が成立して以後、特に将軍家から「松平」の姓を許された家を示している。それらを列挙すると、次のようになろう。
松平加賀守家、松平土佐守家、松平薩摩守家、奥平松平家、松平陸奥守家、松井松平家、松平筑前守家、戸田松平家、松平安芸守家、久松松平家、松平長門守家、鷹司松平家、松平因幡守家、松平備前守家、本庄松平家、松平肥前守家、越智松平家、松平阿波守家、松平美濃守家
実際には十九家あるが、それは「十八松平」が実数をあらわすのではなく、「松」の字を分解して「十八公」とする中国にならったという説がある。
松平の例以外でも、「黒田八虎」や「武田二十四将」などにみられるように、このような数字にあやかった数え方が好まれたようだ。