改名、脚本家デビュー、禁断の性愛「卍」へ挑戦。「女優として30代に入り、考えることがあったのは確か」
女性同士の性愛に焦点を当て、いまだ「禁断」といった背徳的なイメージの強い谷崎潤一郎の小説「卍」。
1928年に発表されてから、これまで何度も映画化されてきた同作が、令和のいま再びリメイクされた。
となると、これまで何度も映画化されてきた原作を、なぜいま再び描くのか?いま、改めて映画化する意味は果たしてあるのか?
そう疑問を抱くことはある意味、素直な反応かもしれない。
でも、いまだから「卍」なのかもしれない。むしろいまこそ「卍」ではなかろうか。
令和に届けられた「卍」を前にすると、そんな感想を抱く。
禁断はもはや過去で、「卍」という物語の世界が、いまという時代にひじょうにフィットしていることに気づかされる。
果たして、令和のいま「卍」と向き合った俳優たちは何を感じ、何を思ったのか?
W主演のひとり、小原徳子に訊くインタビューの番外編。
ここからはこれまでに収められなかったエピソードや今後についての話を続ける。番外編全三回。
光子は新藤さんしかいないと思いました
前回(番外編第一回はこちら)は、新藤まなみとの濡れ場のシーンについて訊いた。
では、戦友と称した新藤にはどんな印象を抱いただろうか?
「新藤さんは、初めて会った瞬間に『光子だ!』と思いました。
もう撮影に入った時点で、すでに周りの人間をすべて巻き込んでしまうような屈託のない笑顔をみせていた。
でも、その笑顔の裏にちゃんと影があるというか。
底抜けに明るいだけではなくて、自分が何者にもなれていないことへの焦燥や挫折といった影を抱えていることが垣間見える。
そこを含めて『光子そのままだ』と思ったことをよく覚えています。
光子は新藤さんしかいないとすごい思いました」
『光子が受け入れてくれた』という喜びはこれ以上ないぐらいうれしかった
それぐらい新藤と光子がダブって見えたという。
「だから、ちょっと変な話に聞こえるかもしれないんですけど、新藤さんに初めて触れたときの喜びをすごくよく覚えています。
わたしもわたしで園子の気持ちになっているから、初めて触れるまではもう『触れたいけど、触れてはいけないんじゃないか』と戸惑っている。
で、ほんとうに恐る恐るですけど、触れたら光子は受け入れられて、体を重ねることになる。
あのときの『光子が受け入れてくれた』という喜びはこれ以上ないぐらいうれしかったです。
いま振り返ってもいろいろな感情が甦ってきて、光子のことを思ってしまいます」
30代に入って、ひとつ考えることがあったのは確か
では、ここからは今後についての話を。
少し前になるが5年前、ちょうど30歳となった年の2018年に芸名を木嶋のり子から、現在の小原徳子に改名。
その後、自主映画のプロデュースを手掛け、今年公開された「いずれあなたが知る話」では脚本家としてもデビューを果たした。
ここにきて活動の幅が広がっている印象があるが、なにか心境の変化があったのだろうか?
「そうですね。30代に入って、ひとつ考えることがあったのは確かです。
はじめに脚本に関してのお話しをすると、以前から一度、自分でひとつ物語を書いてみたいという気持ちがありました。
そう思いつつも、なかなか踏み出せない、書くきっかけみたいなものがないままで来てしまっていたんですけど……。
コロナ禍に入ったとき、思い立ったといいますか。
みなさんそうだったと思いますけど、わたしも演じる機会を失うことになってしまって……。
役者仲間と話す中で、『じゃあ自分たちでなにか作品を作ろうか』となり、自身で構想して脚本を書き上げて、作品として発表することができました。
脚本をひとつ書きあげて『いずれあなたが知る話』という作品として発表することができて思ったのは、もっときちんと脚本と向き合いたいということでした。
もっともっと自分は脚本について学ばなければならない。
この経験をひとつの糧にして、もっともっと脚本を探求しないといけないと思いました。
そのためには、自己流ではなくて、脚本についてもっときちんと学ばなければならない。
ということで、実はいま映画学校に通っていて、脚本の指導を受けています」
(※番外編第三回に続く)
映画「卍」
監督:井土紀州
脚本:小谷香織
出演:新藤まなみ 小原徳子
大西信満 黒住尚生 明石ゆめか ぶっちゃあ(友情出演)/仁科亜季子
全国順次公開中
筆者撮影以外の写真はすべて (C)2023「卍」製作委員会