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森保ジャパンを沈めた「韓国のピルロ」が日本の応援席に向かった理由

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
ファン・インボム(写真提供=FA Photos)

開催国・韓国代表の優勝で終わったサッカーのE-1選手権。森保ジャパンの戦いぶりや戦評に関してはすでに多くのメディアで報じられているが、昨日の試合で日本のサッカーファンたちに強い印象を与えたひとりは、韓国のファン・インボム(バンクーバー・ホワイトキャップス)ではないだろうか。

ファン・インボムは韓国にとって大会初戦となった香港戦でも直接FKを決めていたが、昨日の日韓戦でも前半28分に強烈なミドルシュートを決めて、大会MVPにも輝いた。

試合前から『サッカーダイジェスト』が要警戒選手のひとりに挙げ、“韓国のピルロ”と称していたが、昨日の活躍でファン・インボムの名は日本のサッカーファンたちに広く知れ渡ったことだろう。

筆者もプレスルームで再会した日本のメディア関係者から、「ファン・インボムってどんな経歴の選手?」と聞かれることが多かった。

韓国の地方都市・大田(テジョン)出身のファン・インボムは、どちらかというとローカルスターだった。

Kリーグの下位クラブである大田シチズンのユース傘下の中・高校を経て、2015年に高卒ルーキーながら開幕早々に1軍デビューするが、その年に大田は2部降格。

2016年、2017年とKリーグ・チャレンジ(当時の2部リーグの名称)のベスト・イレブンに輝き、2018年から兵役の代替制度である義務警察に入隊して牙山(アサン)ムグンファでプレーしたときもKリーグ2(現在の2部リーグの名称)のベストイレブンに選ばれているが、華やかなステージには立てなかった。

もっとも、ファン・インボムは何かと日本と縁がある。遡れば2014年のSBSカップ国際ユースサッカー大会にU-19韓国代表として参加しているし、2018年10月のジャカルタ・アジア大会・決勝の日韓戦にも出場している。

その活躍がパウロ・ベント監督の目に留まって2018年9月のコスタリカ戦でA代表デビュー。10月のパナマ戦では初先発・初ゴールも決めて韓国代表に定着し、当時の韓国代表キャプテンだったキ・ソンヨンの“後継者”と呼ばれるようになった。

(参考記事:「キ・ソンヨン先輩に早く引退してもらいたい」韓国代表22歳MFが語った本音)

実際、キ・ソンヨンが今年1月のアジアカップを最後に代表引退してからはファン・インボムが韓国代表の中盤を担ってきた。

だが、フル出場した6月のAマッチ2連戦(オーストラリア、イラン)では腰の引けたプレーが目立ち、9月から始まったカタールW杯アジア2次予選では絶不調。トルクメニスタン戦では自らのミスでピンチを招き、11月のレバノン戦ではFKミスや不必要なファウルを連発し、ついに途中交代。レバノン戦後にUAEで行なわれたブラジル戦では、先発から外されていた。

メディアは「ベントはなぜファン・インボムを呼ぶのか」と疑い、一部ファンから罵倒され「不要論」もあった。

ゴール後に日本サポーター席の方に向かった理由

それだけに今大会を名誉挽回の機会と捉えていたのではないだろうか。

試合後、監督記者会見を見届けてミックスゾーンに向かうと大勢の韓国人記者たちに囲まれたファン・インボムの姿があった。

その輪に混じって話を聞いたが、「今大会でダメだったら本当に淘汰されてしまう恐れもある。自分から言い訳を作るのだけはやめようという覚悟で準備した」という。

また、ゴール後のパフォーマンスについて問われると、「決めた瞬間に思い立って日本サポーターの応援席のほうに向かってサンチェク(散策)セレモニーをすることにした」という。

散策セレモニーとは、2010年5月にさいたまスタジアムで行なわれた日韓戦時に、開始直後にゴールを決めたパク・チソンが日本サポーターたちの前を悠々と走り抜けたパフォーマンスで、韓国では“韓日戦の象徴的パフォーマンス”とも言われている。

昨年のアジア大会・決勝ではファン・ヒチャンも同じようなパフォーマンスを見せたが、ファン・インボムもそれに続いたわけだ。

「友人であるフィチャンもしていたので。ただ、スタンドに駆け寄ってみると韓国サポーターのほうが多くて当惑した。それでちょっと不自然なセレモニーになってしまった」

ちなみにファン・インボムとファン・ヒチャンだけではなく、今大会の最優秀DFに選ばれたキム・ミンジェ(北京国安)やナ・サンホ(FC東京)も1996年生まれ。4人とも前出したSBSカップに出場しており、今では韓国代表に定着している。

以前、ナ・サンホにインタビュー取材したとき4人の仲について聞くと、「よくカカオトークでやりとりしています。僕は日本、ミンジェは中国、フィチャンはオーストリアでインボムはカナダですから、時差がまったく合わず既読スルーされることも多いですけどね」と笑っていたが、この1996年組たちの活躍と成長は韓国サッカーの希望だろう。

日韓戦キックオフ直前のスタジアム(著者撮影)
日韓戦キックオフ直前のスタジアム(著者撮影)

ただ、その割には大会を通じて観客席に空席がかなり目立ったのは残念だった。昨日の日韓戦も今大会最高とはいえ、2万9252人。これまで数多くの日韓戦に立ち会ってきたが、「歴史に残る少なさ」だった。

ソン・フンミンら欧州組不在では興行にならない韓国サッカーの厳しい現実を露呈した大会でもあったのは違いない。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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