「オマエら、すごいよ!」三菱重工名古屋が、社会人野球秋の日本一に
「オマエら、すごいよ!」
優勝監督インタビューで、三菱重工名古屋・佐伯功監督が叫んだ。「勝負強さ、ガマン強さを発揮してくれた」選手たちに対して、だ。
開催中の明治神宮大会取材のため、テレビ観戦となった日本選手権決勝。4時間16分という試合時間を感じさせない白熱戦は、延長13回表、重工名古屋が山田敬介の執念の内野安打で1点を勝ち越し、決着をつけた。
それにしても、まことに勝負強かった。ガマン強かった。重工名古屋といえば、13〜17年と5年連続都市対抗に出場しているが、14年は東海地区の第7、15、16年はそれぞれ負けたら終わりの崖っぷちから3連勝、4連勝しての第6代表。もともと、勝負強さには定評がある。この日、2007年以来の進出となった決勝でも、先制はJFE西日本だ。すぐに同点に追いついてからも、毎回のようにピンチが続く。ただ、東海地区予選で修羅場を経験しているチームはおたおたしない。1対1のまま延長にもつれ込む9回まで、JFEの15残塁が示すように、走者を出しながらもホームだけは踏ませなかった。
都市対抗出場を逃し"完投練習"を
ふだんは救援の先発・西納敦史から服部拳児、中日にドラフト3位で指名された勝野昌慶、そして萩原大起への継投がはまった。今季は都市対抗出場を逃し、他チームに補強された西納、勝野以外の投手陣は夏場、底上げに汗を流した。ブルペンで甘い球を投げてしまったら二塁打などと想定し、その状況に応じて1試合を完投する"完投練習"。これにより、「実戦でも、相手に応じた投球ができるようになった」という萩原は、大会初登板にもかかわらず、11回からの大事な3イニングを無安打1四球である。
今年2月。キャンプ取材に訪れたのだが、好感の持てるチームだった。決勝で先発した右横手・西納は、異色の国立富山大出身。石川県出身で、「なぜ地元の金沢大ではなく富山大?」と聞くと、「そこまでの頭がなかったんです」と笑っていた。富山大時代には、高度な野球にはなかなか縁がなく、スタッフによると、「頭脳はともかく、野球に関してはまるで頭が悪かった」のだとか。それがこの日は、まっすぐの最速は130キロ台ながら、変化球を丁寧に操って6回途中まで1失点だ。
4試合14打数6安打の打率・429で首位打者賞の小柳卓也は、昨年まで四番。だが気持ちのやさしさも災いして自らにプレッシャーをかけすぎ、昨年の都市対抗では補強選手にその座を譲り渡していた。それが今大会は、七番として準々決勝では1打点、準決勝でも2回1死一、三塁から先制の左前適時打を放つと、6回にはダメ押しとなるソロ本塁打を左翼席にたたきこんでいる。
優勝インタビューで、
「JFEの皆さん、野球人として、いい試合ができたことを感謝します」
と、相手への敬意をまず口にしたのがキャプテンの安田亮太だ。プロ野球・ロッテの有望株、安田尚憲の12歳上の兄。もともと右打ちだった弟に、左打ちを進言したのがこの兄だ。こう、打ち明けてくれたことがある。
「当時は左打ちが隆盛でしたが、その対策として左投手が多くなれば右打者が有利になるでしょう。だけどそこからさらに時間がたてば、また左の時代がくると考えたんです。ただ、いまもまだ左打者が多く、右の長距離砲が貴重じゃないですか。そう思うと、失敗だったかな(笑)」
ヒーローになってやる!
そして、決勝のヒーローは山田敬。同点の8回の守り、2死満塁では右中間への打球をライトとしてダイビング好捕すると、13回には勝ち越し内野安打だ。そして裏の守りでは、1死からのヒット性の当たりを、今度はセンターとしてまたもダイビング。決勝打と2度の美技で、
「ヒーローになってやろうと思っていた。僕がヒーローです!」
と会心の笑顔だ。
そして、最高殊勲選手賞は勝野。3試合19回3分の1を投げ、準決勝の完封を含むわずか1失点は出色だった。初優勝がプロ入りの置き土産となり、
「最高のかたちで1年を締めくくることができました」
おめでとう。また取材に行きます!