愛のムチも許されない教育でいいのか
行き過ぎや明らかに自分の力を誇示する教員の「暴力」はある。しかし、この場合は「どうなのか」と考える。
大阪市教育委員会(市教委)は7月31日、児童7人の頭を手でたたいたとして、同市立小学校の校長(62)を25日付で戒告の懲戒処分にしたと発表した。これを受けて、同校長は依願退職したという。
なぜ、この校長は手をあげたのか。『読売新聞』(8月1日付 電子版)は「市教委によると、校長は5月、6年男子児童が校内にナイフを持ち込んで他の児童を脅し、一緒にいた同級生6人も先生らに知らせなかったことを知り、7人を別室に呼び出して頭を1発ずつたたいた」と伝えている。
依願退職した校長も、「指導のつもりだった」と話しているという。小学生が校内にナイフを持ち込んで他の児童を脅した、などとはたいへんな事態である。これを徹底して指導するのは、教育者としては当然のことである。
そこに「暴力」があったとして、指導した側を処分するというのは、どうしたものだろう。もちろん暴力は許されないことだが、それにも「程度」があるのではないだろうか。
ケガをさせるぐらい過剰で、感情的な暴力をふるう教員がいることも事実だ。そうした暴力は処分されてしかるべきだ。
しかし今回、処分された校長の「暴力」は、そうしたものと一緒にすべきものなのだろうか。報道でしかわからないが、「愛のムチ」という言葉など根本から認めない処分でしかないようにもおもえる。
処分した市教委は「市立桜宮高の体罰自殺問題を受けて、暴力に頼らない指導を目指す中、管理職が手を上げた責任は重い」と理由を説明しているという。「暴力に頼らない指導」は支持したいが、今回の処分は、あまりに杓子定規すぎやしないだろうか。
ただ、「批判されない教育」を目指しているようにしかおもえない。それで、ほんとうに教育といえるのだろうか。市教委の姿勢は疑問だ。