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「奇術師」と称賛された前田健太の進化とは──最強ビーバーとの投手戦で証明した夜を現地レポート

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
インディアンズ戦で力投する前田健太(三尾圭撮影)

 新型コロナウイルスの影響で、全球場全試合無観客で行われている2020年のメジャーリーグ・シーズン。

 選手、チーム・スタッフの感染を防いで、無事にシーズンを乗り越えるために、メジャーリーグ機構は様々な対策を施している。

 その一つに報道陣への厳しい規制がある。今季は各試合で最大35人までに報道陣の数を制限。これまでは試合前後にクラブハウス(ロッカールーム)に自由に出入りして、選手への取材ができたが、今季はクラブハウスへの立ち入りは完全に禁止。試合で活躍した選手はオンライン会見で記者からの質疑応答に対応する。

 これまではフィールド上の選手ベンチ横から撮影できたが、今季は練習中を含めてフィールドへの立ち入りは一切禁止。今季は客席上段の通路など指定された場所からの撮影に限定される。撮影中は常時のマスク着用はもちろんのこと、球場によっては手袋着用までも義務付けられる。

 今季から前田健太が移籍したミネソタ・ツインズは、メジャー30球団の中でもとくに厳しい規制を敷いており、飛行機を使った報道陣の来場を断っている。

 アメリカン・リーグのサイ・ヤング賞の最有力候補と呼ばれる勝利数、奪三振、防御率の3冠投手、シェーン・ビーバーとマエケンの投げ合いとなった9月11日(日本時間12日)のクリーブランド・インディアンズ戦には、見た限り日本人報道陣は一人も来ていなかった。

 私は前日の10日にシカゴでシカゴ・カブス対シンシナティ・レッズ戦を撮影していた。

 この試合は雨で試合開始が1時間以上も遅れ、試合が終わったのは深夜12時を過ぎていた。1時前に球場を出発して、シカゴからミネアポリスまでの650キロを7時間かけて運転して移動。飛行機が使えないので、車で移動するしか手段はない。

 今季絶好調のマエケンとビーバーの投げ合いは、どうしても現場で取材したい試合。多少の無理はしても、ミネアポリスまで行く価値はあると判断した。

 リーグ・トップの7勝を記録しているビーバーは、今季負けなしの無敗投手。防御率1.25、57.2イニングを投げて94奪三振と支配的な投球を続ける。

 対するマエケンは4勝1敗、防御率2.77と抜群の安定感を誇る。投手にとって大切な指標と言われるWHIP(1イニングあたりに許した走者の数)はメジャーの先発投手の中で堂々の1位の0.72。WHIPが1.0を下回ると一流と評価されるが、前田の0.72は圧巻の数字。メジャー歴代1位はペドロ・マルチネス(ボストン・レッドソックス)が2000年に記録した0.73なので、マエケンがこの調子を維持できれば、60試合の短縮シーズンながらもメジャー記録を塗り替えることになる。

 また、前田は被打率も.156で、こちらもア・リーグの頂点に君臨している。

 そのマルチネス氏は前田の投球を「前田健太は投球術を熟知している。力ではなく頭脳で打者を圧倒する。ボールを持ったフーディーニ」と評価。フーディーニとは「不可能を可能にする男」と呼ばれた奇術師。サイ・ヤング賞を3度獲得した殿堂入り投手のペドロは、マエケンに不可能はないと感じている。

 打撃練習中は快晴だったが、試合開始直前から雨が降り始め、またしても試合開始時間が遅れてしまう。

 しかし、この雨はマエケンにとって恵みの雨となった。

 雨で試合が遅れたために、前田はクラブハウスでユーチューブを観ていたと言う。

 「試合前にダルビッシュさんのユーチューブを観て、ツーシームの投げ方を話していたので、ブルペンで試したら、めっちゃ良かったので。そのおかげです。試合が遅れたので、その時たまたまダルビッシュさんがユーチューブを更新したと書いてあったので」

 動画解説を観ただけで、ツーシームを自分のものにしてしまう高い対応力を持つマエケンは、この試合でツーシームを効果的に使った。

 アメリカン・リーグ中地区のインディアンズは同地区のライバルチームで、プレイオフを争っている。今季はインディアンズ戦で2度先発して2勝を挙げているマエケンは、「3回目なので配球の読み合いになる。読まれてうまく打たれたボールもあったけど、基本、相手を打ち取るプラン、今まで成功してきたものを続けながら、投げることができた」と試合後に振り返っている。

 過去2回の直接対決で、あまり使ってこなかったツーシームはインディアンズ打者の頭の中にはなかったようで、試合直前に新たな武器を手にしたのは大きかった。

試合前にダルビッシュのユーチューブを観て習得したツーシームを効果的に使ったツインズの前田健太(三尾圭撮影)
試合前にダルビッシュのユーチューブを観て習得したツーシームを効果的に使ったツインズの前田健太(三尾圭撮影)

 無敗の三冠投手、ビーバーとの投げ合いに臨むマエケンはいつも以上に気持ちを引き締めてマウンドに上がった。先に点を取られた方が負ける。そんな最高峰の投手戦に勝つためには、失投は許されない。

 「ツインズの打線もいいけど、(ビーバーは)なかなか点を取れないピッチャーだと思いますし、防御率も1点台でそんなにたくさん点はとれない試合になると思っていた。とにかく自分が1点でも少なく投げることで、勝つ確率が上がるんじゃないかと思って投げていた」

サイ・ヤング賞だけでなくMVPの有力候補としても名前が上がるインディアンズのシェーン・ビーバー(三尾圭撮影)
サイ・ヤング賞だけでなくMVPの有力候補としても名前が上がるインディアンズのシェーン・ビーバー(三尾圭撮影)

 2回裏にバイロン・バクストンがビーバーから先制の2点本塁打を放って、マエケンを援護。早い回に味方が得点してくれたので、前田は落ち着いて投球できた。

 「味方が2ランホームランを打ってくれたことによって、だいぶ気持ち的にも楽になったので、いいピッチングにつながったかなと思います」

2回裏に先制の2点本塁打を放ったバイロン・バクストン(三尾圭撮影)
2回裏に先制の2点本塁打を放ったバイロン・バクストン(三尾圭撮影)

 5回表には先頭打者のタイラー・ネークインの一塁線へのゴロを捕ると、そのままグラブからのバックハンド・トスでアウトに仕留める美技を披露。

 「あれしかないと思っていた。あそこから持ち帰ると体の向き的にもうまく投げられない。距離も近かったですし、そんなに難しいプレーではないと、僕は思っています」とマエケンは振り返ったが、このプレーはその晩のESPNのトッププレーで2位に選ばれた。

 日本ではゴールデン・グラブ賞に5度も輝いた前田は投球だけでなく、守備も一流だが、その守備力の高さはメジャーではまだあまり知られていない。注目度の高い試合で美技を見せたことで強い印象を付け、イチローに次ぐ日本人メジャーリーガー二人目となるゴールデン・グラブ賞に一歩近づいたプレーだった。

インディアンズ戦の5回、グラブからのバックハンド・トスでネークインをアウトにしたツインズの前田健太(三尾圭撮影)
インディアンズ戦の5回、グラブからのバックハンド・トスでネークインをアウトにしたツインズの前田健太(三尾圭撮影)

 続く6回にはフランシスコ・リンドアに安打を許して、無死走者1塁とするが、絶妙のタイミングで投げた牽制球でリンドアを仕留める。

 「試合を左右する場面」とマエケンが語ったこの場面、軽い牽制で相手の様子を窺うと、アウトにできるチャンスがあると判断。軽い牽制球を続けてリンドアの警戒を解くと、5度目には速い牽制球で不意を突いた。審判の判定はセーフだったが、チャレンジ・システムで判定がアウトに覆った。

 「日本では牽制アウトはよくあった。こっちではリードの大きい選手はいなくて、アウトにする牽制はほとんどしていなかった。最初もアウトにする気はなくて、盗塁をしてきてファウルになって。次の牽制で相手が逆をつかれたような戻り方をしていたので、これはアウトにできるなと。思い切って速い牽制をしましたけど、あそこは無死一塁でしたし、牽制でアウトにできたのはすごく大きかった。試合を左右する場面だったので良かった」

6回、牽制球でアウトになった一塁走者のリンドア(三尾圭撮影)
6回、牽制球でアウトになった一塁走者のリンドア(三尾圭撮影)

 7回にも先頭打者のカルロス・サンタナに四球を与えて、2イニング連続で先頭打者に出塁を許したが、フランミル・レイエスにツーシームを打たせて、狙い通りの三塁ゴロに打ち取って、ダブルプレーでピンチを切り抜けた。

 「前回も7回のマウンドに上がって、ピンチを作って降板してしまったので、同じ失敗は繰り返したくないというのと、2点差だったので、ランナーをかえすとゲームは分からなくなってしまう。7回のゲッツーは思い通りというか、ゲッツーを取りにいって取れたので、大きなゲッツーだったと思います」

7回のピンチをダブルプレーで切り抜けて、ガッツポーズをするツインズの前田健太(三尾圭撮影)
7回のピンチをダブルプレーで切り抜けて、ガッツポーズをするツインズの前田健太(三尾圭撮影)

 前田の気迫の投球に感化された23歳の新人捕手、ライアン・ジェファーズが7回裏にソロ本塁打を放って、追加点をプレゼント。

 「(ジェファーズは)しっかりコミュニケーション取って、バッティングは今日はホームランを打ったけど、ピッチャーとしてはフレーミングとか、ワンバウンドを止めてくれる技術とか、そういうところは安心して投げられるから、不安なく、投げることができた」

新人捕手のジェファーズとコミュニケーションを取るツインズの前田健太(三尾圭撮影)
新人捕手のジェファーズとコミュニケーションを取るツインズの前田健太(三尾圭撮影)

 マエケンは7回でマウンドを降りたが、4安打無失点、7奪三振、2四球で二塁を踏ませなかった。試合中も雨が降り続ける難しい状況の中、最後まで集中力を切らせることはなかった。

 「雨も降ってましたけど、しっかり集中力を保ちながら、ランナーを出してからもうまく抑えることができた」

雨が降る中、マウンドを整備するグラウンドクルーを見守るツインズの前田健太(三尾圭撮影)
雨が降る中、マウンドを整備するグラウンドクルーを見守るツインズの前田健太(三尾圭撮影)

 スイッチヒッターや左打者を多く並べてきたインディアンズ打線を相手に見せた好投は、前田健太の進化した姿を全米中にアピールした。

 「こっち(メジャー)に来てから左打者に対しての投球が課題だったけど、それが今年は克服というか、うまく抑えられていると思う。チェンジアップは左打者を抑えるために改良したボールだから、今年は左打者を抑えられていることがいい結果につながっているかなと思います」

 マエケン、ビーバーともに7回でマウンドを降りたが、試合はその後も白熱した展開が続く。

 8回表にはマエケンの後を受けてマウンドに上ったセルジオ・ロモがリンドアを挑発。二人は激しい口論を続けて、両軍ベンチが総出になる一触即発の雰囲気となった。

口論しながら睨み合うセルジオ・ロモとフランシスコ・リンドア(三尾圭撮影)
口論しながら睨み合うセルジオ・ロモとフランシスコ・リンドア(三尾圭撮影)

 3点リードの最終回にはツインズは守護神のタイラー・”コメケン”・ロジャースをマウンドに送る。

 ここでロジャースはホセ・ラミレスにソロ本塁打を浴びると、2死からレイエスにも二塁打を許す。

 ロジャースは前田が8回まで無安打無得点を続けた8月18日の試合で、9回に3点リードを守れずにマエケンの勝ち星を消してしまった。お詫びの手紙と高級お米券をマエケンに贈った”コメケン”は、この試合でもホームランが出れば同点のピンチを迎えるが、代打のオスカー・マーカドをピッチャーゴロに抑えて、試合を締めくくった。

 無敗のビーバーに投げ勝った大金星を手にしたマエケンは、「この1勝はすごくチームにとって大きいと思うので、いい登板になりました。相手投手がすごく良い投手でしたし、しっかり自分の力を出せた。先発投手として長いイニングを投げることはすごく大切。チームのためにもなる。このチームに来てから、6回、7回までマウンドに上げてもらうことが多くなったので、監督やコーチの期待に応えたいという思いが強い」と試合を振り返った。

 ツインズの先発投手が7イニング以上を投げた試合は5回あるが、その中の4回はマエケンによるものだ。

 ツインズのロコ・バリデリ監督は「今夜はメジャーで最高の投手の一人を相手にしたが、我々もメジャー最高の投手の一人をマウンドに送り、我々の投手の方が良い投球をして勝負を制した。相手が誰であってもケンタは、相手を上回る投球をしてくれる」とドジャースから移籍してきたエースに絶大なる信頼を置く。

 今季初黒星を喫したビーバーだが「(ホームランの)2球失投したが、それ以外は良かった」と振り返ったように内容は素晴らしく、5回には今季100奪三振を記録。62回1/3での達成は1900年以降の先発投手最速で、「素晴らしい投手たちを超えられて嬉しいが、振り返るのはシーズンを終えてからにしたい」とコメント。負けはしたが、投手三冠は死守している。

マエケンとの投手戦に敗れて、今季初黒星を喫したインディアンズのシェーン・ビーバー(三尾圭撮影)
マエケンとの投手戦に敗れて、今季初黒星を喫したインディアンズのシェーン・ビーバー(三尾圭撮影)

 ESPNによるサイ・ヤング賞争いポイントでは7位のマエケンだが、ツインズを地区首位に導ければトップ3に浮上できる。独走状態だったビーバーに初黒星を付けて、サイ・ヤング賞のチャンスも出てきた。

 次回登板は、1ゲーム差で地区首位を走るシカゴ・ホワイトソックスとの同地区対決。

 「残り試合も少なくなってきて、自分の登板も数えるほどなので、投げる試合は絶対勝たないといけないと思ってます。首位を争っているというか、順位を争っている相手なので、しっかりチームが勝てるようにいいピッチングをしたいなと思います」

 インディアンズ戦に続いて、同地区のホワイトソックス戦でも好投すればサイ・ヤング賞も視界に入ってくる。

 アメリカン・リーグ最強投手のビーバーとの投手戦を制した前田は、名実ともにツインズのエースの座を勝ち取った。

前田健太の次の先発予定は、同地区で激しい首位争いを繰り広げているホワイトソックス戦となる(三尾圭撮影)
前田健太の次の先発予定は、同地区で激しい首位争いを繰り広げているホワイトソックス戦となる(三尾圭撮影)
スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

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