WEリーグ無失点記録を更新中。INAC神戸の堅守の砦、GK山下杏也加が移籍1年目でもたらしたもの
【WEリーグ序盤戦のMVP】
池田太(いけだ・ふとし)新監督の下、新たなスタートを切った新生なでしこジャパン。10月18日(月)から1週間、千葉県内で合宿が行われた。
今回の合宿には、9月に開幕したWEリーグで好パフォーマンスを見せている23選手が参加。中でも、最多6名の選手を送り出したのが、リーグ首位のINAC神戸レオネッサだ。
INAC神戸はここまで5戦全勝で、しかも全試合無失点。プレシーズンマッチを含めると9試合無失点と、記録を更新中の堅守を支える一人がGK山下杏也加(やました・あやか)である。
今回の代表合宿にも名を連ねた山下は、昨季まで日テレ・東京ヴェルディベレーザの守護神だった。高校3年時にベレーザの強化指定選手になり、卒業後に正式に加入して、計8シーズンプレー。2015年からリーグ5連覇の黄金期を支え、国内の主要タイトルを手にした。
ただ、WEリーグ初年度の今季、「自分の新たな引き出しを増やすため」(山下)、INAC神戸への移籍を決断。新しい環境にもスムーズに適応し、9月に開幕したWEリーグではこれまでMVP級の活躍を見せている。
「今まで見てきたGKの中でナンバーワン」と、最大級の賛辞を贈るのは、今季9年ぶりにINAC神戸に復帰した星川敬監督だ。また、チームの大黒柱であるMF中島依美も、「ヤマ(山下)が入ったことで、ビッグセーブに何度も助けられていますし、チーム力は上がったと思います」と語っている。
【勝者のメンタリティを伝える存在に】
プロ選手だけではなく、アマチュア選手も抱えているチームがほとんどのWEリーグだが、INAC神戸は今季から全員がプロ契約選手になった。実力とプロのメンタリティを兼ね備え、チームを導く存在として、山下に白羽の矢を立てたのは必然とも言える。
山下も6月のプレシーズンマッチ後にこんなことを言っていた。
「INAC神戸からオファーをいただいた時に、『チームをいい方向に導いてほしい』と言われました。伸びしろがある選手ばかりですが、メンタルの強さは必要かな、と思います。プレシーズンマッチ(4試合)を無失点で抑えることができたのは、自分がゴールを守りやすいように言う(コーチングする)ことに対して、みんながしっかり対応してくれて、プレーに集中できているからです」
自分の考えを受け入れ、プレーをサポートしてくれる仲間の奮闘に応えるように、山下は10月10日(日)にノエビアスタジアム神戸で行われた第5節のベレーザ戦で抜群の存在感を示した。
試合は前半からベレーザが優勢に運び、最終的に今季最多となる13本のシュートを打たれたが、山下は際どいコースに飛んだフリーキックを右手一本で弾き出すなど、ゴールを死守。1-0の勝利に貢献した。
そして、続く10月17日(日)の第6節・ノジマステラ神奈川相模原戦でも、安定したセービングでカウンターのピンチを防ぎ、前半に決めた1点を守り抜き、1-0の勝利に導いている。
「ディフェンス陣とGKでいかにゴールを守っていくか、ということを意識して、コミュニケーションを取るようにしています」
INAC神戸の堅守について聞くと守備陣との連係を改めて強調する山下だが、9試合無失点は彼女自身の存在あってこそであることは言うまでもない。
女子サッカーの様々なGKを取材してきた中で感じる山下の真骨頂は、例えばシュートを止めるセービング技術にある。身長は170cmで、GKとしては高さがあるわけではないが、瞬発力としなやかな身体のバネで、「これは入るだろう」というシュートもことごとく弾き出す。幅7.32m、高さ2.44mのゴールが小さく見えるほど、守備範囲が広いのだ。
ビルドアップの上手さにも定評があり、メンタルの強さも恵まれた資質と言える。山下は相手のレベルが上がるほど豪胆さを発揮し、大舞台に強い。
そんな数ある特徴の中でも、以前に増して質が高まっているのが、コーチングだ。INAC神戸では守備だけでなく、攻撃時のポジショニングも伝えているそうだ。
「失点しないために、あえて強く言うことも必要だと思っています」と山下が言うように、勝負に対してはとことん厳しく、緩慢なプレーには活を入れる。相手が経験豊富な選手でも、躊躇はしない。
【突きつけられた現実】
徹底して細部にこだわり、勝負に妥協しない山下の姿勢は、生来のものもあるが、2015年から代表でプレーしている経験も大きいだろう。
ベスト16での敗退を余儀なくされた2019年フランスW杯の後、「勝つために、自分はもっと発信できることがあった」と後悔を口にし、「東京五輪は絶対に、後悔しない大会にしたい」と日々の練習から、グラウンドで自分の考えをより明確に伝えるようになった。代表合宿の練習後に守備陣を集め、納得いくまで話をする光景もたびたび見られたほどだ。
そして、「必ずメダルを獲る」という強い想いとともに臨んだ東京五輪。
グループステージ初戦のカナダ戦(△1-1)ではGK池田咲紀子がゴールを守り、山下はグループステージ第2戦の英国戦(●0-1)と第3戦のチリ戦(◯1-0)、準々決勝・スウェーデン戦(●1-3)の3試合に出場したが、待ち受けていたのは、ベスト8敗退という現実だった。
山下が最も悔やんでいたのは、スウェーデン戦の勝敗を分けた2失点目だ。
右サイドからドリブルで仕掛けてきた相手に対し、右のニアサイドを切らなければいけないとわかりつつも、立ち上がりにクロスから決められた1点目の残像があり、重心が左に乗った。その瞬間に、ニアを抜く強烈なシュートを打たれ、勝ち越しを許すことに。66分にはPKを与え、1-3で敗れた。
「(2点目の)あのシュートは(自分が)取らなければいけなかったし、止めていたら(3失点目の)PKはなかったのではないかと思います」
試合直後、傷口に塩を塗り込むような事実から目を背けず、悔しさを噛み締めていた山下。
東京五輪から2カ月半が経ち、新生代表チームの船出となった今回の合宿は、山下にとっても再スタートの場となるが、どのように気持ちを切り替え、代表合宿に臨んでいるのか。山下は静かな声で、こう明かしている。
「もう一回、代表に選ばれて、大きい大会でプレーしたいなという気持ちで取り組んできました」
進化を続ける海外勢のプレースピードに負けじと、攻守の両方でアグレッシブな戦いを目指す池田ジャパン。そのサッカーにおいて、山下のフィード力や瞬発力、そして、重要な場面でゴールを守る存在感は不可欠なものとなるはずだ。
W杯や五輪で味わった悔しさを原動力に、再び世界の強豪国の仲間入りを目指す――そのために、山下はWEリーグ、そして代表でも最高のパフォーマンスを追求し続けていく。
*表記のない写真は筆者撮影