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寝屋川殺人事件・山田浩二死刑囚をめぐる驚くべき新たな展開

篠田博之月刊『創』編集長
山田浩二死刑囚が高裁決定直後に送ってきたハガキ(筆者撮影)

高裁決定直後に私宛に知らせてきたハガキ

 このニュース、東京ではほとんど報じられていないので、ここで書いておこうと思う。大きな問題提起をしている大事な出来事だ。なぜ東京の新聞・テレビがきちんと報じないのか不思議なほどだ。

 2019年5月に自ら控訴を取り下げて1審の死刑判決を確定させてしまった寝屋川中学生殺害事件の山田浩二死刑囚の確定判決を覆す決定を12月17日、大阪高裁が行った。極めて異例のことだ。このままであれば、幕を閉じたと思われた裁判が始まることになる。

 死刑確定後、山田死刑囚は接見禁止の処遇に置かれ、一部を除いて外部との通信も面会もいっさい断たれていた。それが17日に解除になったようで、さっそく私のところに12月18日8時消印のはがきが届いた。決定を受け取ってすぐに知らせてきたようだ。この記事の冒頭に載せた写真で黄色で書かれている部分を引用する。

 「重大発表があります。12月17日(火)控訴取り下げ書提出の無効が認められました。控訴審の再開に一歩前進しました。外部交通制限解除です」

 「死刑確定期間中の外部交通の制限はめっちゃガチガチに厳しかったです」

これによって「山田死刑囚」は再び「山田被告」に戻ったわけだが、呼称は「死刑囚」のまま書いていこう。

 寝屋川事件は2015年の夏の深夜に中学生男女が連れ去られ、遺体で発見されたものだ。当時、いたいけない二人の動画が連日テレビで放映され痛ましさに多くの人が胸を痛めた。警察に逮捕された山田元被告は1審の大阪地裁で2018年12月に死刑判決を受け、控訴していた。その死刑判決の心情をつづった手記を月刊『創』(つくる)に掲載したのが、私と山田死刑囚とのつき合いの始まりだった。

 その彼がなぜ自ら控訴を取り下げたのか。詳細は『創』2019年7月号に本人が手記を書いているのだが、さきほどヤフーニュース雑誌を見たら既にリンクがはずされていたので再びアップした。下記からアクセスしてほしい。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191222-00010001-tsukuru-soci

私が死刑判決への控訴を取り下げた理由 山田浩二

ついでにその前に書いた山田死刑囚の手記も紹介しておこう。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191222-00010000-tsukuru-soci

寝屋川中学生殺害事件・山田浩二死刑囚獄中手記

一度確定した判決を覆した大阪高裁の英断

 その手記で詳述しているが、5月18日夜にボールペンの返却をめぐって係官と口論になり、パニックに陥った山田死刑囚がその夜のうちに控訴取り下げをしてしまったのだった。

 控訴取り下げをニュースで知った私は大阪拘置所に駆け付けて、死刑確定の意味や、今後誰とも接見できなくなることなどを説明した。本人も冷静になってから自分のやった取返しのつかない行為を後悔しており、弁護人を通じて、控訴取り下げ無効の申請手続きを行ったのだった。

 山田死刑囚は、私が接見した時に、自分がパニックになった経緯を振り返り、事件の時もこうだったと述懐していた。私は5月23日、24日と2日にわたって接見したのだが、2日目に別れる時には何やら「今生の別れ」という雰囲気になった。そして最後に彼は「また会えるといいですね」と言ったのだが、それは言外に「たぶん難しいとは思うが」というニュアンスを含んでいた。

 一度確定した判決を覆すのが簡単ではないことは、明らかな冤罪と思える事件でもなかなか再審が認められないのを見ればわかることだ。私は、1本のボールペンをめぐる喧嘩という、そんなことで死刑が決まってしまうというのには納得がいかないとして山田死刑囚を説得した。ただそれを覆すのが簡単でないということも自覚していた。知り合いの法律専門家に聞いても、難しいだろうという意見が多かった。

 ただ最も納得がいかないのは、そんなことで裁判が開かれず真相が闇に葬られてしまうことだった。山田死刑囚は取り調べ段階で黙秘を貫いたこともあって、捜査は全く不十分で、1審判決にも動機は不明と書かれていた。それを考えると、何よりもこれでは犠牲になった中学生が浮かばれないと思った。

 だから今回の大阪高裁の決定には、驚くと同時に敬意を表したいと思う。この極めて異例の決定について、大阪の新聞などは大きく報じているのだが、なぜか東京ではほとんど報道されていない。あまりに異例のことだけに、その意味の重大さを新聞・テレビが認識できていないのではないかとさえ思える。

検察側がすぐに特別抗告

 大阪での報道を紹介しよう。控訴取り下げの時にも丁寧な報道を行った毎日新聞大阪本社の12月18日付の記事の一部だ。私にその日、取材を兼ねて連絡してきたのもその記事を書いた記者だ。

 《村山裁判長は今回の決定で、被告には精神障害の影響や、死刑判決の重圧による変調はみられないと判断。「自己の権利を守る能力が著しく制約されていたとは言えない」とした。一方で、ペンの返却を巡って自暴自棄になったとする経緯については「あまりに軽率」「常識では考えがたい」と指摘。被告には死刑判決を受け入れようとする心情が見受けられないとした。

 さらに、死刑が「人間の存在を奪う究極の刑罰」であり、上訴権が軽率な判断で放棄されないよう定めた刑事訴訟法の規定を重視。「被告の不服に耳を貸さず、直ちに判決を確定させることには強い違和感とためらいを覚える」として、今回に限って控訴審を再開すベきだと結論づけた。

 大阪高検は、不服申し立てを検討するとみられる。畝本毅・高検次席検事は「予想外の決定だ」とのコメントを出した。》

 今回の決定の意味の大きさは前述したが、このまま裁判が開かれることになるかどうかはわからない。検察側は20日、最高検と協議のうえ、特別抗告を行ったという。再審をめぐっても高裁の再審開始決定が最高裁で覆される例があるように、山田死刑囚の裁判が開かれるかどうかは予断を許さない。

 もうひとつこの事例で注目すべきは、異例の展開を見せるこの件をめぐって、その審理の間、山田死刑囚の処遇がどうなるかということだ。山田死刑囚は、死刑確定後、いつも死刑執行の恐怖におびえていた。死刑執行がいつ行われるかは、当日の朝に死刑囚本人に知らされる。だから確定死刑囚は毎日、死の恐怖に怯えて過ごすことになる。

確定死刑囚として山田死刑囚が語った恐怖

 その山田死刑囚の心境を描いたイラストは以前紹介した。彼が「死刑囚の表現展」に応募したものだが、そこでこう書いていた。

 「毎晩寝る前に『明日のこの時間に生きていられるだろう?』…そんな事ばかり考えてしまって不安や心配、恐怖に胸を潰され、掻きむしられてしまって眠れません!」

 「怖いよぉ…」「苦しいよぉ…」「淋しいよぉ…」

 「助けて下さい! 助けて…助けて…」

 これが確定死刑囚の心境だ。そしてそれが死刑執行の日まで繰り広げられることになる。

死刑廃止のための大道寺・赤堀政夫基金提供
死刑廃止のための大道寺・赤堀政夫基金提供

 

 控訴取り下げによって5月に死刑判決が確定してからの山田死刑囚をめぐる経緯も少し紹介しておこう。私も以前、幼女連続殺害事件の宮崎勤元死刑囚の判決が確定した後、拘置所に特別接見許可願を行って認められた経験がある。死刑囚の接見は、昔は家族と弁護人以外いっさい認められなかったが、今は知人についても拘置所の判断によって許可されることがある。

 山田死刑囚の場合は、彼のもとに以前から通って接見を重ねていたキリスト教関係者に特別接見許可が出され、その神父とは手紙のやりとりが行われていた。私も大阪拘置所に接見許可願いを提出したが却下されていた。

 さて、12月17日に接見が許可される未決囚に近い処遇に戻ったことを知った新聞記者が18日に接見に行ったところ、山田死刑囚が拒否したという。5月の控訴取り下げ騒動の時もそうだったが、接見は1日1組と決まっているため、私が接見に行くまで、山田死刑囚はマスコミの接見依頼を全て断っていた。今回も恐らくそうなのだろう。私も『創』次号の校了作業で身動きがとれなかったが、この記事を書き上げた後、大阪に駆け付けるつもりだ。

今後、裁判は開かれるのかどうか

 検察側の特別抗告を受けて、高裁決定が覆されれば、山田死刑囚は再び接見禁止になる。死刑台との距離がこんなふうに変遷する状況は、本人にはかなり精神的負担になっていると思う。でも裁判再開の可能性がわずかでも見えたことは大きな光明だ。

 裁判が開かれても再び死刑判決が出る可能性はあるが、きちんと審理を尽くしたうえでのことと、ボールペン1本めぐる口論でそうなったのとでは、納得の行き方も違う。

 私は多くの凶悪事件の裁判を傍聴していて思うし、2020年1月から始まる相模原事件の裁判でもそう感じるのだが、被告を裁くという点では何らかの結論は出るものの、事件の真相解明という点では納得できない裁判事例が少なくない。

 典型的なのは、被告本人がもう死んでしまいたいと思った裁判で、私が関わった奈良女児殺害事件の小林薫元死刑囚(既に執行)がそうだった。事実を争う気など被告にはないから、裁判が真相解明の場になっていない。死刑判決を受けた瞬間、被告は法廷でガッツポーズをしたのだが、これが本当に被告人を裁いたことになっているのかと疑問を感じたものだ。

 その意味では、寝屋川事件については、ぜひ裁判をきちんと開いて、真相は何だったのか、なぜ山田死刑囚はふたりの尊い命を奪ってしまったのか、可能な限り解明してほしい。

 山田死刑囚と接見でき次第、またこのレポートを続けることにしよう。

[追記]この後、12月23日に山田被告に接見できた。下記に報告を書いたのでぜひご覧いただきたい。本人は弁護士の指示もあってマスコミ取材は断るつもりと言っているから、これ以外はしばらく詳しい情報は公にならないかもしれない。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191224-00156238/

 寝屋川事件・山田浩二被告が確定死刑囚から「被告」に戻って面会室で語ったこと

 ここまで書いた一連の控訴取り下げ騒動については、ヤフーニュースに何本も記事を書いているので参照してほしい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190523-00127078/

 死刑判決の控訴を取り下げた山田浩二死刑囚に接見。到底納得できないと思った

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190524-00127258/

 寝屋川事件・山田浩二死刑囚が控訴取り下げ後二度目の接見で語ったこと

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190531-00128236/

 寝屋川事件・山田浩二死刑囚が控訴取り下げの無効申し立てを行うに至った経緯

 死刑囚の控訴取り下げについては、今回の経緯をもとに、この際、法曹界できちんと議論してほしい。あまりに異例のことだけに前例がほとんどないのだが、今後、こういう事例は増えてくると思う。奈良事件の小林元死刑囚のように、死ぬことを覚悟した犯罪者、あるいは近年目につく死刑を覚悟して無差別殺傷事件などでは、元被告が真相を明らかにするのでなく、死刑になって全てを終わらせてしまおうと考えてしまう怖れが大きいからだ。

 

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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