どこまで「妊活」するか。受験や就活の経験が役に立つ
●今朝の100円ニュース:卵子凍結 保管期限 ルールなく混乱(読売新聞)
結婚して1年が過ぎた。僕は来月で37歳、妻は今月に36歳になる。今のところ子どもはいない。特に子ども好きではないので「ぜひほしい」とは思わないけれど、「これからも絶対に要らない」とは言い切れない。社会的な義務を果たしていない気もするし、老後に寂しい思いをするのも避けたい。クールだった友人知人が子どもができた途端に子煩悩になる姿を見ると、「やっぱり子どもは家族の希望と幸せに直結するのかな」という気持ちにもなる。妻もほぼ同意見で「いなければいないで今はいいけれど、5年後10年後に後悔するかもしれない。それは嫌だな」と述べている。
老親からは帰省するたびに「早く作ったら。子どもはいいわよ」と勧められる。露骨だなあ。まあ、実の親から「子どもなんて作らないほうがいい。私はあなたを産んで後悔している」と面と向かって言われるよりはいいけれど……。
読売新聞の記事に登場する不妊治療施設の医師によれば、「あくまで25~35歳の自然妊娠が理想」らしい。とすると、僕たち夫婦は「自然妊娠」の範囲からすでに超えてしまっている。どうするのか。子どもはさっぱりあきらめて別の幸せや社会貢献を模索すべきか。妊娠に向けて努力するにしても、どこまでやるのか。
記事で紹介されているのは、不妊治療の最前線とも言える卵子凍結の保管期限問題だ。将来的な妊娠・出産を目指して凍結した卵子だが、永遠に保存できるわけではない。日本生殖医学会の指針案では「生殖可能年齢を過ぎた場合は破棄できる」としているが、具体的な年齢は設けていないことが治療現場の混乱を招いているらしい。個々の施設が卵子の保管期限を「45歳の誕生日まで」と決めても、納得できずに別の施設に卵子を移す利用者が少なくないようだ。
35歳どころか45歳になっても「可能性」が残っている限りはあきらめきれない。その心情には共感できる。今後、医療技術と晩婚化が進んでいけば、「いくつになっても子どもは作れる!」という認識が広まっていくだろう。しかし、そのために費やす時間や精神的苦痛やお金は計り知れない。
重要なのは医療制度のルール作りよりも個々の家族における基準作りだと感じる。そのときに役立つのは、受験や就職活動での経験だ。「大学に行くお金はない。高校を出たら働く」「大学に行くなら実家から通える国公立。学費の高い私立は無理」「一浪しても無理だったら第一志望はあきらめる」「志望企業に入れなくても留年せずに卒業して一人暮らしを始める。生活費は自分で稼ぐ」など、僕たちはそれぞれの家族の価値観や状況による限界を受け入れ、その範囲で努力してきた。だからこそ、結果にも納得することができた。自分たちは何を求めていて、どこまで努力できるのか、どの時点であきらめるのか。今までもやってきたことだ。子作りに関してもできないはずはない。