元少年A『絶歌』神戸連続児童殺傷事件:質問疑問に答える:出版は正義に反する。しかし内容は心に迫る
■元少年A著『絶歌:神戸連続児童殺傷事件』内容
Yahoo!ショッピングで入手して、一気に読みました。この出版は、正義に反します。しかし同時に、私の心は揺すぶられました。読み終わった後、しばらくは誰とも話したくないと感じたほどに。
本書の内容には、殺人時、遺体損壊時の凄惨な記述はありません(第三者が読めばそう思うだけで、頭部を校門まで持って行く様子を淡々と記述する部分などは、関係者にとっては十分ひどい描写でしょうが)。動物虐待のシーンは、ぞっとするほどグロテクスです。少年時代の異常な性行動も赤裸々に語られます。でも、本書は猟奇的な本ではありません。
単純に高評価などできません。たくさん売れるといいなどとは全く思いません。万人に勧められません。けれど・・・。
■元少年A『絶歌:神戸連続児童殺傷事件』出版への反応
「少年A」、酒鬼薔薇少年の手記「絶歌」。非難轟々(ごうごう)です。もっともです。その一方、大きく売れています。書店の対応も識者の声も様々です。
- 「元少年A」の手記に憤る芸能界 「遺族了解得ずに刷るのか」「言い訳がましい内容で不愉快」(夕刊フジ )
- 連続殺傷事件の手記「絶歌」が週間売り上げ1位に 販売自粛の書店も(産経新聞)
- 「元少年A」手記出版を「擁護」する人たち 長谷川豊、武田鉄矢らが語る意義とは(J-CASTニュース)
- 「元少年A」手記は「匿名」でいいのか 小倉智昭「実名出版するぐらいの責任はあってしかるべき」(J-CASTニュース)
神戸連続児童殺傷 「手記」の対応、地元で割れる (神戸新聞NEXT)
神戸市須磨区の地元書店では、店頭には置かず注文のみという書店もあります。図書館は、購入した上で利用に関しては今後検討するところもあれば、貸出制限はしないと語る図書館もあります。
様々な意見があり、迷いがあります。(上記記事の日付はすべて6月16日)
■フジテレビ「ホウドウキョク」で
フジテレビのネット番組「ホウドウキョク」の「あしたのコンパス」に、16日夜電話で生出演しました。「絶歌」出版がテーマです。
「ホウドウキョクは最新のニュースや動画のオリジナルニュース解説を〜いつでもどこでも視聴することができる、マルチデバイス対応のニュース専門局です」。
「(あしたのコンパスは)次世代を担う論客が話題のニュースを掘り下げる新感覚の討論・解説番組。専門家、有識者らの様々な視点を提示、指針を示します」。(サイト解説文より)
地上波よりも、CSよりも、さらにつっこんだ内容を、自由に放送できると思います。
電話出演でしたが、25分も語ることができました。さすがネット番組です。出演者の国際政治学者三浦瑠麗さんの質問に答える形で、語りました。このページでは、番組内で質問疑問に答えて語ったことを中心に、本書「絶歌」の内容から、みなさんと問題を共有したいと思います。
■元少年A著『絶歌:神戸連続児童殺傷事件』出版について
この出版は、正義に反すると思います。反道徳的です。ご遺族は傷ついています。世間は怒っています。ただしそれでも、彼には出版する権利があると思います。権利とは、ここでは表現の自由とか法的な話ではありません。彼は、とんでもない凶悪事件の殺人者ですけれども、彼にも生きる権利はあると思います。今回の出版は、彼にとっては、「生きること」だと感じました。
■元少年Aはなぜ本を書いたのか
内容を読んで、金目当てや、承認欲求、自己顕示欲ではないと私は感じました。たとえば銀行強盗が、ルパン気取りで自分の手口を自慢するのとは違います。有名になりたい、目立ちたいのとも違います。受け入れてほしいというのとも違うと思います。
彼はただ、表現したかったのだと、感じました。
この本を書く以外に、この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした。許されないと思います。理由になどなっていないと思います。本当に申し訳ありません。〜二人の人間の命を奪っておきながら、「生きたい」などと口にすること自体、言語道断だと思います。〜自分には生きる資格がない〜「辛い」「苦しい」などと口にすることは、僕には許されない〜書くことが〜たった一つの「生きる道」でした。(「絶歌」p289-294)
生きる道とは、生計を立てるという意味ではありません。犯行時死刑を望んでいた少年Aが、命の素晴らしさなど感じなかった少年Aが、自分には生きる資格はないと考えれば考えるほど、自分でも嫌になるほど「生きさせてほしい」と感じるようになってきたのです。
彼は、生きる辛さを感じながら、「自分が奪ったもの」の意味を知り始めています。
■元少年Aは、治療されたのか、更生できたのか
少年Aは、性的サディズムでした。誰かを傷つけることに性的快感を感じていました。一般に、このような性嗜好異常は簡単には治りません。医療少年院に入るシーンで、彼は語ります。
僕は、鑑定医たちが「数パーセントのわずかな可能性」と観測した「更生」へと向かっておぼつかない足取りで歩いて行った。(p156)
性的サディズムを治すことはとても難しいのですが、まだ14歳の少年Aならば、治る可能性もあると、当時言われました。治療は、ほぼ上手くいったように思えます。もちろん、真実はわかりませんが。
2004年、医療少年院を仮退院。更生保護施設で保護観察官の指導を受けます。2005年、本退院。里親とともに生活し、働きます。サポートチームもつきます。医療少年院での生活、その後の生活を見ると、私は日本が国家の威信をかけて彼の更生を図ったように感じます。
2008年から彼は自分の意思で一人暮らしを始めます。そして現在に至るまで、彼が犯罪を犯したニュースは聞きません。更生は進んでいると言えるでしょう。
■神戸連続児童殺傷事件「少年A」は反省しているか
反省していると思います。当初感じられなかった悔恨の思いを、彼は医療少年院の中で感じます。さらに、年齢を重ねる中で、人間らしい謝罪や感謝の思いを持ち始めています。
ただ、では普通の人になれたかといえば、少し違うように思います。本書の一部で記述された冷静で、構成上適切な記述や、どうでも良いと感じられる細かい解説。私が読んでも、イラつきます。そんな他人事のような書き方をすれば、関係者は傷つき、世間は怒ることを、彼はまだ感じ取れないのかもしれません。
彼は彼の主観的には反省していますが、表現はまだ不器用なところがあるように思います。彼の文章力は、すばらしいのですが。
■本書「絶歌」の出版と内容が与える功罪・編集のあり方
本書を読んで、異常な欲望を持つ犯罪予備軍の人が刺激を受ける可能性はあると思います。本書を読んで、非行に走ろうとしている人が、思いとどまる可能性もあると思います。
そう考えると、専門家の解説があっても良かったかもしれません。しかし、専門家の解説も、編集部からの言葉も、一切ありません。報道によれば、彼の原稿にはあえて手を入れていないと編集者は言っています。被害者やご遺族のことを考えたり、世間の評価を考えたりすれば、少年法制度の解説などは、彼自身の言葉ではなく、「編集者注」として書くことが望ましいでしょう。
しかし、手を入れなかったことで、彼がそのような冷静な解説を書いてしまうのだということが、わかりました。
■元少年Aは結局自己中心的ではないか
たしかに、彼は自分のために書いています。謝罪と反省の言葉はありますが、出版は被害者のためではなく、自分のためだとは思います。それは名誉欲や金銭目的ではありませんが、それでもやはりひどいことだと思います。許されないことだと感じるのは、当然のことです。
しかしそれでもなお、彼には更生してもらわなければいけません。更生は彼の権利ではなく、義務です。それは、少年法の精神だとも思います(ただし、加害者の更生が進むことで傷つく被害者、関係者がいます。それほどに、犯罪被害者の心の傷は深く、贖罪は重いことなのだと思います。それをも理解した上で、なお更生を進めなければなりません)。
彼は自分の救いと「生」のために、被害者遺族と世間からの怒りを覚悟の上で、表現し、出版しました。更生は必要ですが、少年法は犯罪少年が心から反省し更生することを求めます。反省しないまま元気になれば良いなどとは考えません。
彼は反省しているように感じられます。しかし二人の命を奪った彼が、どんなに深く反省しても、反省しすぎることはありません。
■手記「絶歌」出版は誰のためになるのか
万人に勧められる良書ではありません。ご遺族らの了解を得ていないのは大問題です。しかし、それでも本書を読むことを必要としている人はいると思います。
彼の周囲には、良い家族と熱心な先生がいました。彼は殺人事件の何年も前から、動物虐待を始めています。けんかでもなく、いじめでもなく、奇妙な理由で人をひどく殴っています。
彼は先生に説教され、親とともに謝りにきます。しかし、彼の深い心の闇に光を当てられた人はいませんでした。
彼の取り調べをした警官との別れ際の最後の言葉を、彼は覚えています。
「悪かったのぅ。もっと早ぉに捕まえてやれんで」。
彼のおばさんは、少年に面会に来て泣きながら言います。
「ごめんね。ごめんね」。
大人が反省すべきだとか、社会のせいだとか、言いたいわけではありません。加害者に安易な同情などできません。
それでも、子どもたちを守り育む役割を担う人の心は、揺さぶられるのではないでしょうか。
彼は、14歳で二人の子どもを殺します。子どもが子どもを殺す最悪の事件です。
本書を読んで、嘘か本当かわからない、ごまかし、言い訳と感じる人もいると思います。本書の記述がどこまで真実なのか、私もチェックできません。ただ、彼が今この本を書いたのは事実です。
教育、医療、心理、少年司法、子どもに関わる人々にとって、意味はあると思います(今回は細かい部分の指摘は省きますが、冒頭の写真の付箋の数をごらんください)。
願わくば、単なる興味本位ではなく、単なる参考書でもなく、彼を攻撃するためだけでもなく、同情するだけでもなく、意味ある読み方ができる人々に、本書「絶歌」を必要とする人々に、この本が届きますように。
ご遺族の癒しと元少年Aの更生を祈りつつ。
*彼はホームページも開設しました(9/10)
「元少年A公式ホームページ「存在の耐えられない透明さ」全文を読んで:酒鬼薔薇事件は今も続いているのか」
ホームページが更新されました(10/13)