闇営業騒動から1年。“伝説の広報マン”が語る真相と課題
昨年6月、吉本興業の闇営業問題が大きな話題となりました。いったいあの騒動とは何だったのか。原因、そして、残した課題とは。同社元専務で“伝説の広報マン”として2011年の島田紳助氏の引退会見など数々の修羅場をくぐってきた竹中功さん(61)が1年の時を経て口を開きました。
吉本の歴史で初めてのこと
僕も35年吉本にいましたから、去年の騒動の時はいろいろなメディアからコメントを求められることもあったんです。ただ、ほとんどコメントはしませんでした。
というのは、芸人と会社が完全に“vs”の対立構造になっていたんです。僕の知る限り、100年以上の吉本の歴史の中でもなかったことです。これがたまらなく残念だったし、ショックでもありました。
もちろん、経営に関わっているわけでもなく、吉本を離れた自分が渦中に口を挟むべきではないという思いもあってしゃべらなかったんですけど、それと同時にショックという思いもあって、しゃべらなかったんです。
そら、芸人が会社に対して「ギャラが安い!」とか文句言うことはこれまでもナンボでもありました。ただ、そんなことを言いつつも、裏方がいて、芸人がいて、そこが噛み合って仕事が成立している。その関係性があっての文句でした。
あくまでも吉本は「適当なマネージャーと芸人が徒党を組んで面白いことを考える会社」やったんです。それが揺るがぬ大前提でした。
宮迫(博之)くんとか(田村)亮ちゃんがやってる会見を見て、気持ちがいいわけがないし、その後に岡本(昭彦)社長の会見も加わって、さらに言い合いの構図になってしまった。解決のためにあれは必要だったのか。それは強く思ってました。
特に、騒動の中で“ファミリー”という言葉が出ましたけど、これがね、本当に象徴的だったと思っています。芸人と会社ではファミリーという言葉への意識が全く違っていた。厳密に言うと、芸人の中でもファミリーという言葉への認識がまちまちだった。会社側があの言葉を使ったことによって、いろいろな隔たりが浮き彫りになったと思います。
吉本興業の商品は芸人です。人間です。そこにはいろいろな思いも生まれる。言葉の使い方一つで商品が輝くこともあれば、その逆もあります。
例えば、芸人と会社の関係を説明するにしても、別の言葉で説明してたらみんながしっくりきて、共有できてたと思うんです。
「笑かせまくったヤツが億万長者になる。吉本はそれを後ろで支える会社です」という言葉使いをしていたら、芸人もそこは「そら、そうや」となっていたはずです。
その概念を言われて、異を唱える芸人はいないはずです。売れてる芸人も、まだ世に出てない芸人も、みんな等しく胃の腑に落ちたはずです。
吉本の“体つき”が変わった時期
闇営業に端を発して、途中からは吉本のゴタゴタが次々に出てくる展開にすり替わってもいきました。
どうして、あんなことが起こったのか。吉本を人間に例えると、急に体が大きくなりすぎて、中身や関節の成長が追い付かない。それによる不具合が顕在化したんだと思います。
トップの人たちの経営方針なので、僕がどうこう言うことじゃないんですけど、企業としての膨張とそれを手掛ける人たちの膨張力。これが合わなかった。
明らかに吉本の“体つき”が変わってきたのは、今から7~8年前だと思います。そのあたりから吉本が国とか自治体との結びつきを強めていった。公からのお金も入ってくるようになってきた。
フジテレビ「ワイドナショー」に安倍晋三さんが出たことがありましたけど、僕がもしマネージャーだったり担当者だったら、出演には反対してました。ましてや、安倍さんが出てくる時に立って出迎えて、途中で退席する時にみんなで立って見送るなんて考えられへん。
吉本は芸人という、体制にモノを言ったりもする商品を扱っているわけですから、いわゆる“おかみ”と握手するような立ち位置ではなかった。吉本が国と関係性が近くなって、そことの関係を重視しだすと、本来、自分たちが扱っている商品の色と乖離が生まれる。
芸人はそのあたりの空気を敏感に察知しますから。そのあたりで、いわば、肉離れみたいなことが体のあちこちで起こりだしたんだと思います。
あとね、騒動の中で友近のいろいろな話も雑誌などでも報じられましたけど、よしんば、友近と何かギクシャクがあったとしても、商品ですから。吉本は商品を傷つけるようなことをしてはダメです。
社員は毎月25日になったら給料がもらえるんです。芸人は裸一貫じゃないですか。友近の印象が良くない状況で置いておいたらダメですよ。それをも笑って、結果、守るのが吉本ですよ。もし、それができてないとしたら、それは吉本が芸人という商品を扱う上での愛が足りんのです。
楽屋の意味
会って、しゃべる。基本はそれです。芸人と社員が話す。特に、アホみたいなことを話す。約1000人の社員で6000人と言われるタレントを見る。所帯が大きくなってどうしても合理化というワードが至る所に出てきますが、その中でも会って、しゃべる。
よく「吉本には劇場があるから、芸人が鍛えられて強くなる」と言われます。これも正解です。ただ、これにはもう一つ意味があって、劇場には必ず楽屋があります。この楽屋という空間が芸人をさらに鍛え、そして、社員とのコミュニケーションが生まれる場でもあるんです。その構図が会社としての吉本を強くしていったんです。
今は合理化が進められ、用事がないと芸人としゃべらないし、しゃべる内容も無駄なことがどんどんそぎ落とされている。そこを今一度見直さないとダメだと思います。芸人と会社に距離があるとするならば、歩み寄るのは社員ですよ。自ら歩み寄ってしゃべる。それを一番やりやすいのが楽屋です。僕が言うのもナニですけど、楽屋があるということの意味を今一度噛みしめるべきだと思います。
「竹中さん、それは昭和の産物や」と言われるかもしれません。でも、通信手段も飛躍的に進歩し、SNSなど発信のツールもこれでもかと出ている中ですけど、今こそ、実は強いのは車間距離ならぬ“人間間距離”を取るのがうまい人です。それを鍛えるのが楽屋です。そこで要らん話をするんです。
吉本興業はコミュニケーション能力が低い社員を作っちゃだめです。社員一人一人がしっかりと芸人とつながっていれば、1000人で6000人の芸人を見て、良い関係を築くことはできるはずです。なんなら「芸人を50000人まで増やそうかと思ってますねん」くらいのことが言える会社であってほしい(笑)。本当に、そう思います。
(撮影・中西正男)
■竹中功(たけなか・いさお)
1959年2月6日生まれ。大阪市出身。同志社大学法学部法律学科卒業、同志社大学大学院総合政策科学研究科修士課程修了。81年、吉本興業入社後、宣伝広報室を設立し、月刊誌「マンスリーよしもと」初代編集長を務める。芸人養成学校「吉本総合芸能学院(NSC)」の開校や「ダウンタウン」らを輩出した「心斎橋筋2丁目劇場」の運営に関わる。映画「ナビィの恋」「無問題」「無問題2」も製作。その後「吉本興業年史編集室」「創業100周年プロジェクト」「東北担当住みます専務」などを担当し、よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役、よしもとアドミニストレーション代表取締役などを経て、2015年に退社する。現在は広報、危機管理などに関するコンサルタント活動など。今月、吉本興業での実体験をもとに綴った著書「吉本興業史」を上梓した。