気象予報士に著書出版。苦悩の中から「ネイビーズアフロ」みながわがつかみ取った“かわいげ”を作る方法
合格率5・8%の狭き門を突破し、10月に気象予報士資格試験に合格した漫才コンビ「ネイビーズアフロ」のみながわさん(32)。さらに、初の著書「誹謗中傷対策講座 どんな悪口も一瞬でポジティブ変換!」も11月21日に上梓しました。神戸大学卒業の高学歴芸人としてデビュー当時から注目を集めてきましたが、その中での苦悩と見出した答え。“かわいげ”を作る方法とは。
ポジティブに返す意味
初めての著書と気象予報士資格試験合格。偶然にも、ほぼ同じタイミングで二つのことを発表させてもらう流れになりました。
本でいうと、2年ほど前ですかね、吉本興業の中で本を出したい芸人を募集する出版オーディション的なものがあったんです。ありがたいことに、以前からコラムなどを誉めていただいていたこともあって、個人的に文章を書く練習もしてはいたので、渡りに船という感じで応募し、幸い、出版に至りました。
書く内容もいろいろ精査したんですけど、出版社の担当者さんが僕がSNSでやっていた、イヤなコメントが来た時にそれをどうポジティブに返すかというネタに興味を示してくださって。そこをフィーチャーした本になりました。
もともと、2020年にNHK上方漫才コンテストで優勝し、SNSに“優勝から〇日”という投稿を毎日アップしていたんです。そこに「ブラックマヨネーズ」の小杉さんが「いつまでやってんねん!」という愛あるコメントをいただき、小杉さんのコメントに対してどう面白おかしく返すか。そんなことをSNS上でやっていたことが、誹謗中傷的なコメントにどう対処するかというネタにつながっていき、それが結果的に本にもなった。本当にありがたいことだと思っています。
以前は実際にイヤなコメントが来るとしっかり落ち込んでいたんですけど、そういうものをネタにしていっているうちに、どんなコメントでもこちらが笑いを織り交ぜて返すとポジティブな流れを生む。新たな感覚が自分の中で生まれていったのは日々感じていました。
本来ダメージになることも笑いにできる。笑いにすると、新たな価値まで生まれてくる。そう考えるようになったきっかけの一つが、同期の「霜降り明星」粗品がYouTubeなどでたびたび僕らのことをイジったことだと思っています。
なんばグランド花月の“ハズレの日”の香盤表として「ネイビーズアフロ」をトップバッターとして載せていたこともありましたし、みながわは吉本のエラい人に媚を売って仕事を取っているというニュアンスのことを粗品が言う流れもありました。
イジリの領域とはいえ、あれだけ売れてる同期に言われたら、へこむところもありました。あったんですけど、へこむだけではなく何とかこれを使えないかと。そこで思い出したのが、吉本の社員さんが作った資料の中で僕らの寸評を書いてくださっていたことだったんです。
「『吉本興業の社内案件に引っ張りだこのネイビーズアフロ』と書いてあった。こんな文言見たことがないし、そうなると、確かに“吉本のイヌ”という評判から逃れようがない」
そんなエピソードトークにして番組で話したところ、今田耕司さんやなるみさん、小籔(千豊)さんがすごく笑ってくださいまして。全てをポジティブに返す威力を再認識した気がしたんです。
「頑張る」を積み重ねる
気象予報士の資格は2020年、新型コロナ禍の緊急事態宣言が出た頃から取得を考えてはいました。劇場もストップして仕事がゼロになった。そんな中、インスタグラムの配信で中高生の皆さんから分からない数学の問題を送ってもらって、僕が解いて解説する動画をアップしていたんです。
それを見た吉本新喜劇のレイチェルさんが「それだけ勉強ができるなら、みんながびっくりするような資格を取ったらいいんじゃないか」とアドバイスしてくださって。あまりに難しすぎて勉強を中断した時期もあったんですけど、去年、足の骨折とレギュラー番組が3つ終わったことで期せずして時間ができたこともあり、もう一回、勉強を始めたんです。
レイチェルさんの言葉が大きなきっかけになったんですけど、根底には芸人としての葛藤があったと思います。もう芸歴10年が過ぎたので関西の賞レースには出られない。あとは「М-1グランプリ」で結果を出すしかないけれど、なかなか結果が出ない。このままではダメだ。何か別の強い芯が必要。そう考えていたのも正直な話、あると思います。
ただ、資格や本というのは芸人の本筋からはそれていること。そこをやることに手いっぱいになって、芸人としての軸がブレては本末転倒。ブレているようなニオイがわずかでも出たらアウト。それは強く自分に言い聞かせて、単独ライブも変わらず毎月やる。仕事の出力も絶対に落とさない。「え、いつの間に、そんな勉強していたの?」と思われるくらいじゃないとやる意味もない。
自分も先輩方を見ていましたし、後輩は特に敏感に感じ取るとも思っているので、そこのシビアさにはこだわっていたつもりではあります。
本と気象予報士は全く別の流れから始まったものではあるんですけど、自分の奥底にある水脈みたいなところではつながっているのかもしれません。
以前「ロングコートダディ」の兎さんからサラッと言われたことがあったんです。「お前は本当に頑張ってるよな。でも、頑張ってないと、誰もお前のことをイジらんからな」と。
僕は大喜利で突出した答えを出せるタイプでもないですし、ネタも芸人仲間が面白がるようなものではない。平場で皆さんにかわいがってもらう。イジってもらう。そこが一番似合う芸人だと自覚しています。
イジってもらうには、常に「頑張っている」というイメージを皆さんに持っておいてもらわないといけない。「頑張ってるのに、失敗してるやん」「頑張ってるのに、弱っちいやん」という構図が僕に向いているんでしょうし、そこがないとイジってもらえない。リアルな話になってしまいますけど、そこは常に考えているところではあります。
もちろん本業は漫才ですし、全てのことはそこに帰結するのが理想なんですけど、実はここ1~2年でその部分もかなり変わってきたかなと感じています。
なんばグランド花月の興行には関西以外からの観光客の方もお見えですし、僕らのことをご存じないお客さまもたくさんいらっしゃいます。
なので、漫才も「僕ら大学は神戸大学でして。ま、僕は卒業して、彼は中退してるんですけどね」というような「僕はイヤミなことを言う人間ですよ」という下ごしらえをしてから、知識をひけらかすネタに入っていたんです。ただ、最近になって、その下ごしらえをしなくてもネタがウケるようになってきたんです。
周りの芸人さんにかわいがってもらう。イジってもらうために積み重ねてきたことが血肉になってきた。これも自分で言うのはアレなんですけど、リアルに最近感じていることでもあります。
以前はうんちくをひけらかすにしても、当座の知識というか、調べたことをそのまま出していた。今は積み重ねてきたものが本当にあるので、ひけらかしにも厚みが出てきたのか。本当に自分で言うことではないんですけど(笑)、そこは強く感じる変化でもあるんですよね。
芸人の世界って、厳しいというか、真っ当というか、サボっている人は心の底から軽蔑されます。ただ、頑張っている人には本当にやさしい。何かしらの形でその世界に居続けるには、何かしら本気で頑張るしかない。
そして、頑張れば頑張るほど、周りもイジりやすくなる。実際、気象予報士の資格を取ってから、後輩からのイジリも劇的に増えました。頑張りが可視化されたほうが周りからのイジリも光る。改めて感じたことでもありました。
今出してもらっている番組にABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」があるんですけど、メインパーソナリティーの浦川泰幸アナウンサーとの絡みも、烏滸がましい話ながら、ここ1年ほどでかなり変わったと感じています。
人間味が多分に出るラジオの世界だから余計なのかもしれませんけど、浦川さんから「鼻につく!」とか「いけすかん!」とイジリのワードをいただく強度がかなりハードヒットになっている。ハードヒットできるということは、こちらの人間性に安定性というか、そういうものがやっと出てきたのかなとも思っています。
さらにもう少し奥まで考えると「この人がいると現場が楽しくなる」「うまくまわる」「助かる」。もっと、もっと、そういう存在になれたらなというのが今のテーマでもあるんだろうなと。
僕は小さなころから芸人へのあこがれがあったんですけど、正確に言うと“芸人”というよりも“吉本の芸人”になりたかったんです。「西川きよし・横山やすし」「オール阪神・巨人」といった方々を劇場で見て「この人たちの仲間になりたい」と思ったのがこの世界に思いを馳せた原点なんです。
なので、そういった方々にかわいがっていただくためにも「頑張り」を辞めるわけにはいかない。そして、いつかは吉本興業にとっても「この芸人がいるから助かる」となる存在を目指したい。ずいぶん大きな話になってしまうのかもしれませんけど、それが一番の目標でもあります。
…となると、やっぱり“吉本のイヌ”なんですかね(笑)。
(撮影・中西正男)
■みながわ
1992年9月22日生まれ。京都府出身。本名・皆川勇気。2011年に高校、大学の同窓生のはじりと漫才コンビ「ネイビーズアフロ」を結成する。オーディションを経て吉本興業所属となり、NSC大阪校33期生と同期扱い。受賞歴はコンビとしてNHK上方漫才コンテスト優勝、上方漫才大賞新人賞など。今年10月、気象予報士試験に合格した。また、11月21日に初の著書「誹謗中傷対策講座 どんな悪口も一瞬でポジティブ変換!」(飛鳥新社)を上梓した。