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“育成だけで7年”“下町のダルビッシュ”ソフトバンク2投手に非情の通告

田尻耕太郎スポーツライター
今年9月の三軍戦の吉本(右から2人目)。降板後、複雑な表情でマウンドを見ていた

日本シリーズ開幕の朝、ヤフオクドームで・・・

10月28日、プロ野球最高峰の戦いである日本シリーズ開幕の朝。

第1戦の行われるヤフオクドームで非情の通告が行われた。

福岡ソフトバンクホークス育成選手の伊藤大智郎投手と吉本祥二投手の2名に対して、球団は来季の契約を結ばないことを通告した。

伊藤大は今季が7年目。‘10年育成ドラフト3位で入団しており、7シーズンものあいだ育成枠で過ごしたホークスでのプロ野球人生だった。

育成3位で入団。同期育成4位が千賀だった

同期の育成4位が千賀滉大だ。同じ愛知県出身で、同じ右投手。この日の日本シリーズの第1戦先発が有力な右腕。厳しいプロ野球界の現実とはいえ、あまりにも明暗がはっきり分かれる形となった。

伊藤大も有望視された投手だった。特に‘14年オフ、就任が決まったばかりだった工藤公康監督から高い評価を受けた。翌春は一軍のオープン戦に呼ばれ、3月12日の巨人戦(ヤフオクドーム)に登板して亀井善行から内角直球で空振り三振を奪うなど強気な投球スタイルで1回を打者3人できっちり抑えた。

支配下登録の声も聞こえてきたが、右肩の不調を訴えた。それが運命の分かれ道となってしまったのか、今年は4月に右ひじのトミー・ジョン手術を受けて、今季はマウンドに立つことが出来なかった。

トライアウト受験は未定

「育成なのに7年もいられたのは稀だと思います。球団には感謝しています。期待の中で結果を残せなかった。毎年そうでしたが、今年は特に危ないなと思っていました」

現在もリハビリの最中だが、経過は順調で、筑後の練習時には明るい表情を見せてくれたことも多かった。

「今は遠投もクリアして、20m位の距離を強く投げる段階まで来ています。ただ、トライアウト(11月15日)には間に合うかどうか・・・。家族もいるし、相談して決めたい。今後は未定です」

最速154キロも故障が多く・・・

伊藤大に続いて球団事務所から出てきたのは吉本祥二だった。

吉本はドラフト2位で入団し、当初は背番号「33」を背負った。同期1位の武田翔太が「九州のダルビッシュ」と呼ばれ、2位の吉本は東京の足立学園高校からの入団ともあって「下町のダルビッシュ」との異名をとった。

 しかし、やはり故障に泣かされた。入団4年目からは育成選手に。この‘15年シーズンには自己最速となる154キロをマーク。ストレートの力強さはチーム内でも随一だった。

工藤監督もそれを高く評価して、今春のキャンプではA組に大抜擢。しかし、結果を残せなかった。

「マウンドに上がるのがつらかった」

「今年の後半には覚悟もしていました。仕方ないという感じもしています。ドラフト2位で入り、初めの頃は一軍で活躍してやるという気持ちもありましたが、同期の武田の活躍を見ていると悔しい反面、自分の実力も知りました」

 そして、今季・・・。

「シーズンの後半はマウンドに上がるのがつらかった。精神的に折れてしまっていました。イップス気味でした。マウンドに上がると、もう自分じゃなくなったような、そんな感覚になってしまいました。今は正直、前向きに野球を続ける気持ちにはなれていません。今の気持ちのままならば、トライアウトは受けないと思います。この後コーチの人とかと相談して最終的に決めたいと思いますが」

 過ぎてみればあっという間だったという6年間。「人間的に忍耐強くはなったと思います。これからのことは、まだ自分の中で整理できていないけど、ここで野球を出来たのは普通の人にはできない経験。生かせれば」と話した。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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