【深読み「鎌倉殿の13人」】武蔵の豪族、稲毛重成とはいったい何者なのか
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の21回目では、村上誠基さんが演じる稲毛重成が登場した。重成は北条時政の娘を娶っていたが、何者なのか詳しく掘り下げてみよう。
■稲毛重成とは
稲毛重成は、小山田有重の子として誕生した。生年不詳。小山田氏は、武蔵国小山田荘(東京都町田市)を名字の地とし、本拠とした豪族である。
もともと重成は、父と同じ小山田を姓としていたが、のちに稲毛を名乗るようになった。重成は武蔵国稲毛荘(神奈川県川崎市)を名字の地とし、本拠に定めたからである。
治承4年(1180)、源頼朝が打倒平家の兵を挙げると、重成は一族の畠山重忠らとともに、最初は平家方に与していた。のちになって、重忠らとともに頼朝に従うようになったのである。
■頼朝との関係
とはいえ、頼朝と重成の関係は、いったん破綻していた。養和元年(1181)、重成が領していた多摩郡の所領は、平太弘貞のものだったことが露見した。
これに怒り心頭に発した頼朝は、重成に怒りをあらわにした。武士にとって、所領の問題は、極めて重要だったからだ。しかし、この翌年に重成は許され、以後も頼朝との良好な関係を保った。
■平家追討と重成
平家追討が本格化すると、重成は弟の重朝とともに大活躍した。寿永3年(1184)、重成は源範頼(頼朝の弟)に従い、木曽義仲の追討で軍功を挙げた。
平家滅亡後、事態は急展開し、頼朝と弟の義経が決裂した。文治5年(1189)、重成は奥州征伐の軍勢に加わると、藤原氏の討伐に貢献したのである。
重成が北条時政の娘を娶ったというのには、もちろん大きな理由があった。時政は頼朝の舅であり、もっとも信頼できる側近だった。そんな時政の娘を妻としたのだから、重成は頼朝から大きな信頼を得ていたと考えられる。
■まとめ
重成は重忠とともに、武蔵国に基盤を持つ有力な豪族だった。頼朝が頼りにしたのは、当然のことだったといえる。ドラマには、重成以外の御家人が続々と登場する予定である。折に触れて取り上げたいと思う。