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もうすぐドラフト・その6[社会人編]……関谷亮太

楊順行スポーツライター
都市対抗の三菱重工神戸・高砂戦、5回の降板に「Why?」のメモが……

スコアブックに「Why?」とある。

今年の都市対抗、3日目だ。三菱重工神戸・高砂との初戦に先発を託された関谷亮太は、初回の先頭打者にヒットを許しながら無失点で切り抜けると、2回は得意のチェンジアップで2三振。3回は三者凡退に抑え、二死から走者の出た4回も、やはりチェンジアップで三振に切り抜けていた。それが、5回。マウンドを、救援に譲ることになる。

徐々に調子を上げているように見えたのに、なぜ? スコアブックの「Why?」はそういう意味だ。関谷が明かす。

「初回の投球練習の初球で、両足がつってしまって……」

いっちゃ悪いが、なんとも情けない。そういえば、指名解禁となる今シーズン前に会ったときも、あまり景気のいい話は出なかった。

「社会人1年目は、正直、ほとんど満足できていないんです」

1年目からエースとして起用され、都市対抗2次予選は全4試合に先発して防御率0・47。ダイナミックなフォームから投げ込む140キロ台後半のまっすぐと、落差の大きいチェンジアップを武器に東京ドームでも初戦に先発し、8強進出に貢献した。日本代表としても、アジア大会で10回を無失点と、存在感を示したのだ。だが、満足はしていないという。

「ベストの状態だった(明治)大学4年の春から夏に比べ、昨年は投球の精度がいまひとつでした。過去と比べることは嫌いなんですが……自分のなかで、達しておきたかったところまで達していなかった」

まあ、それだけ目ざすところが高いといえるのだが。

高校時代に観戦したチームとの縁……

もともと、社会人野球とは縁があったのかもしれない。日大三高1年だった07年、東京ドームで、都市対抗の決勝を観戦した。東芝と、JR東日本の一戦。JRの齋藤達則が、日大三高・小倉全由監督の甥という縁もあっての見学だ。お客さんの多さと声援の大音量、そして、

「小倉監督に"見ておけ"といわれたのは、全力プレーです。高1からすれば、選手たちはオジサンなんですが、そのいい大人たちが、体を張ってプレーしている。こういう野球があるんだ、と思った」

その試合ではJRが惜敗したが、まさかそのチームでプレーすることになるとは、当時の関谷は思ってもいなかっただろう。

小学校2年で、野球を始めた。4年まではラグビーもかけもちしていたが、練習は野球優先。それでも、ありあまる身体能力でラグビーの試合にも出ていたため、「一生懸命練習している子に申し訳ない」と野球に専念した。背筋の強さを示す躍動感のあるフォームは、もしかしたら、ラグビーで培われたものかもしれない。

日大三中では、桑田真澄氏がオーナーだった麻生ジャイアンツの1期生としてプレーした。当時は、野手兼投手。投手に転向した日大三高で2年夏からエースとなり、3年夏に甲子園に出場すると、明治大に進んで3年になるころ、才能が開花した。

「大学では、2学年上に野村さん(祐輔・現広島)がいて、とにかくレベルが高かった。野村さんが卒業してやっと、投手陣は横一線の争いになりました。そこからは、ランニングではつねに先頭を走るようになり、トレーニング室に毎日こもり、とにかくなんでも自分から率先してやるようになった。また、インステップ気味だったフォームを矯正したり、理にかなったフォームを目ざしていました」

たとえば、やや横振りだった腕がタテになり、チェンジアップの落差が増したのはその成果だ。3年春、先発二番手として初勝利を挙げると、卒業までの2年間で10勝。4年の日米野球では、アメリカ打線を11回3分の1で17三振と、チェンジアップの威力を見せつけた。

そして社会人の強豪・JR東日本に入社した昨年は、岡山大会でホンダ熊本に完封勝利を記録。 「社会人は、簡単には打ち損じてくれない威圧感があります」とレベルの差を感じながら、全4試合に先発した都市対抗2次予選では、19回1失点という安定感を見せている。日本代表としても、アジア大会で銀メダルを獲得した。それでも「満足できない」というのだから、どれだけの理想像を描いているのだろう。

プロに入ってからが勝負

今季の都市対抗予選ではやや精彩を欠きながら、 優勝した6月末の北海道大会では先発、救援とフル回転で優秀投手賞に。強豪のエースに恥じない活躍を見せた。社会人入りして以来、都市対抗と日本選手権では8強入りが最高成績だ。

「大学4年のとき、また都市対抗の決勝を観戦したんですよ。ただJR東日本はこのときも、JX-ENEOSに1対3で負けている。僕が見た2回の決勝どちらも、チームは負けているんですよね。だから……」

と飲み込んだ言葉は、今月末から始まる日本選手権への意気込みか。そして、「チームの勝利に貢献すれば、プロ入りはあとからついてくる」ともいった。

「高校、大学卒業時は志望届を出さなかったんですが、自信を持ってプロに行きたかったから。学生時代は、まだ弱気だったんです。でも、社会人になって多くのことを教わり、いろんな経験をして、自信がついてきました。以前から、プロ入りで終わりではなく、入ってからが勝負と思っていたので、もしプロに行けたら、1年目から頑張りたい」

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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