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食の安全と科学技術信仰ー汚染水騒動で考えたこと

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

 東日本大震災3・11から12年が経った。福島で原発が破裂して一か月後の4月中旬から下旬にかけて、福島の農村を歩いた。農地の放射能汚染がひどく、農家に「田んぼや畑に出るな」「何も植えるな」という指示が出されていた。こうして農の営みは長い中断に追い込まれた。12年が経ち、老朽原発再稼働と汚染水放水が「安全は科学的に保証されている」という言葉とともに強行されている。汚染水の海への放流も、反対と不安を表明しているのは漁民だけ、という状況が続く中で、「科学的に安全だ」という政府の”保証”に多くの人が納得しているようにみえる。

◆原発破裂12年後の現実

 原発破裂は科学技術の発展とか進歩とかいうことについての疑問を生みだしたのではなかったのか。原発破裂前、たいがいの人は原発の安全性を疑わなかった。それには理由がある。ほとんどの科学者・専門家が「原発は安全」といったからだ。だからみんな信じた。原発の安全神話は科学技術への信頼と表裏一体だった。その背後には生産性向上・効率第一という産業社会の価値観があった。それはイデオロギーとして社会を支配している。

 そしていま福島原発破裂で消し飛んだはずの原発安全神話が12年後見事によみがえっている。再稼働も汚染水放出も科学用語と数字で武装され、それはまるで神に捧げる祝詞のように聞こえる。

 農業現場を歩いていると、農業技術についても同じことだなと、つくづく感じることがある。ここでも「科学的に安全だ」という言説がまかり通っている。ドラッグストアの前には、もっとも目立つところに安売り除草剤がおかれ、生産現場では神経系をアタックするネオニコチノイド系の殺虫剤が広く使われている。EU始め米国や韓国でも排除に向けて規制を次第に厳しくしているが、日本ではその10倍以上のゆるい規制があるだけだ。人を含む生命体に損傷を与え、生物多様性を損なうなど生態系に大きな影響を与えることが分かっているにもかかわらず、政府が規制を強めないのは、この農薬がよく効き、農業の生産性向上や効率アップに多大な効果があるからだ。だから「安全」という「科学的」根拠を示して使わせる。水戸黄門の印籠である。

◆AIと生命科学で武装した農業

 2021年5月に農林水産省が策定した「みどりの食料システム戦略」(以下「戦略」)なるものがある。「戦略」はある意味で政府がこれから進める農業政策の流れを定めたものとみることができる。それなりにもっともらしく、それなりに「いいな」と思わせる中身となっていて、評判は悪くない。そのキモは以下のようなことだ。

ー2050年までに(これから30年後)合成化学農薬の使用量をリスク換算で50%低減、化学肥料の使用量を30%低減し、耕地面積に占める有機農業の面積を25%、100万ヘクタールに広げる。ー

 これだけ見れば、食べる側にとってまさに夢のような農業が出来上がる。ちなみに現在の有機農業面積は、耕地面積の0・5%程度とされている。

 この「戦略」の基本的な考え方に注目してみたい。「戦略」を形成している基本的な思想は、「生産力の向上と持続性の両立」という言葉に象徴されている。ここでいう「生産力の向上」とは、具体的にいえば。人工知能を駆使するAI農業と、遺伝子組み換えやゲノム操作といった生命操作技術を駆使する農業だ。これら最先端の技術を取り入れることで、労働生産性を高めて政府の成長戦略の一環に農業を組み入れると同時に、国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)達成に寄与することをうたっている。ここのところはまあおまけとみてよい。

 AI農業というのは、ドローンによる農薬散布、自動運転のトラクターやコンバイン、田植え機を駆使するスマート農業のことを意味する。ビッグデータの活用が前提となる。「戦略」の目玉ともいえる農薬や化学肥料の低減では、合成化学物質に代わり家畜や作物の免疫力を高めるためのゲノム操作が主流となる。土壌微生物や家畜、作物が改造され、病気や冷害、干ばつ、高温など迫りくる気候変動に強く、収量や増体率の高い作物、家畜が登場する。 「戦略」はこうした農業を「次世代有機農業」と名付けている。有機農業の技術の核心は、お日さま、土、水、そして植物や動物が本来持っている生命力を活かすことにある。つまり自然こそが、有機農業の核心なのだ。

 これは有機農業だけでなく、農業全般に言えることでもある。農業の本来の生産力とは、自然の生命力を営農の中に取り込むことによって得られるものである。ここに農業生産活動の本質がある。しかし、「戦略」が依拠するAIや生命操作技術は、自然性を排除することによって成り立つというところに本質がある。まさに正反対の技術思想であるということができる。農業から自然性を排除するということは、生命性を排除することに他ならない。自然性、生命性を排除された農業からつくられる食べものを安心して食べることなどできない。

 原発破裂の背後に科学技術神話があったと冒頭で書いた。それからの歳月はその反省から出発したはずだった。それがいま原発再稼働と汚染水放出へと事態は動いている。私たちのくらしのもっとも根源的な部分、生命を再生産する農と食の分野では、人工知能と生命操作という最先端技術に全面的に依拠する技術信仰が上からかぶせられているのである。

  この現実にどう向き合うか。農業生産の現場はAIと生命操作技術で武装し、食は加工食品、野菜もカット野菜となって農も食も身体性を捨て工業化されていくが、作る方も食べる方も生身であることに変わりはない。生身であることを自覚することから再出発するしかないだろう。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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