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鮭の母川回帰? 監督として別のチームへ去っていったコーチ2人が、このオフに相次いで戻ってきた

宇根夏樹ベースボール・ライター
ロン・レネキー(右はギャレット・アンダーソン)Sep 28, 2004(写真:ロイター/アフロ)

このオフ、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの三塁コーチだったアンディ・グリーンがサンディエゴ・パドレスの監督に就任したように、コーチが別のチームの監督になることは珍しくない。なかでも、ジョー・マッドンバド・ブラックロン・レネキーの3人は、マイク・ソーシアが監督を務めるロサンゼルス・エンジェルスでコーチを務め、そこから別のチームの監督に就いた。

ベンチコーチをしていたマッドンは、2005年のオフにタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)の監督になった。投手コーチだったブラックは、2006年のオフにパドレスの監督に就いた。レネキーはマッドンに代わって三塁コーチからベンチコーチに転任後、2010年のオフにミルウォーキー・ブルワーズの監督に就任した。

その流れが、逆転している。レネキーとブラックがエンジェルスへ戻ってきた。5月にブルワーズから解任されたレネキーは、今オフ、エンジェルスの三塁コーチに就任した。6月にパドレスから解任されたブラックは、コーチではないものの、GM特別補佐としてエンジェルスのフロント・オフィス入りした。

エンジェルスにはかつて、ティム・サーモンという選手がいたが、レネキーとブラックの復帰は、鮭の母川回帰ではないだろう(ちなみに、現在のエンジェルスではマイク・トラウトがプレーしている。トラウト=鱒だ)。レネキーは8月に三塁コーチとしてロサンゼルス・ドジャースに入団し、オフにはブラックとともにドジャースの監督候補に挙がっていた。さらに、ブラックはワシントン・ナショナルズの監督就任が報じられた。USAトゥディのボブ・ナイテンゲールによれば、ブラックとナショナルズは就任についての合意には達したものの、そこから、ナショナルズが提示した1年160万ドルの契約に対し、ブラックが2年以上の契約を求め、決裂したという。ブラックの代わりにナショナルズが新監督に迎えたダスティ・ベイカーの契約は、2年400万ドルだった。

今後、マッドンがエンジェルスへ戻ることも考えにくい。今シーズンからシカゴ・カブスの監督となったマッドンは、チームを7年ぶりのポストシーズンへ導き、最優秀監督に輝いた。ソーシアの受賞2度に対し、マッドンはこれが3度目だ(ブラックは受賞1度、レネキーは投票2位が最高)。もし、マッドンがエンジェルスに復帰することがあるとすれば、それは監督としてだろう。

ただ、鮭や鱒の話は別にしても、2002年にワールドシリーズ優勝を成し遂げた当時のコーチ2人が、エンジェルスへ戻ってきたのは事実だ。特に、ソーシアとレネキーの関係は深く、始まりは40年近く前に遡る。ソーシアは1976年のドラフトでドジャースから1巡目指名を受けた。レネキーのプロ入りはその翌年。こちらもドジャースのドラフト1巡目指名だった。2人は1977年にマイナーリーグのチームで一緒になったのを皮切りに、メジャーリーグでも、1980年代前半にチームメイトとしてプレーした。ソーシアはエンジェルスの監督に就任した1999年のオフに、レネキーを呼び寄せて三塁コーチに据えた。

2人は当時と同じエンジェルスの監督と三塁コーチとして、来シーズンの開幕を迎える。これは、ソーシアが長きにわたって監督を務めているからこそ、実現したことだ。ブルース・ボウチー(サンフランシスコ・ジャイアンツ)とバック・ショーウォルター(ボルティモア・オリオールズ)に加え、ベイカーの監督キャリアもソーシアより長いが、20世紀から同じチームでずっと指揮を執り続けているのはソーシアだけだ。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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