「アラジン」で個人記録更新。50歳のウィル・スミスが経験した、良い時、悪い時
「僕は、ホリデーをその日に祝わないんだ。妻へのバレンタインのプレゼントを、9月に贈ったこともある」。
11年前の筆者とのインタビューでそう語っていたウィル・スミスは、今月、50歳の誕生日プレゼントを、10ヶ月遅れて渡されることになった。現在公開中の「アラジン」が、彼のキャリアで最高記録となる世界興収8億7,800万ドルを達成したのだ。
これまでの記録は、「インデペンデンス・デイ」の8億1,700万ドル。数字はインフレ調整をされておらず、また「インデペンデンス〜」の時代と違い、「アラジン」の成績には中国も貢献している。それでも、これが快挙であることに違いはない。この6年間、DCのスーパーヒーロー映画「スーサイド・スクワッド」を除けばすべての出演作が赤字だったことを考えれば、なおさらだ。
出れば必ず北米興収が1億ドルを突破した2000年代初め、スミスは、トム・クルーズやブラッド・ピットを差し置いて、“世界一の映画スター”と呼ばれていた。黒人なのに、白人や、ほかの人種からも愛される、いわゆる“クロスオーバー”を果たしたのも画期的だったが、アクション、コメディ、SF、シリアスな感動作など、何をやらせても見事にこなすところもすごかった。だが、誰もがある程度の浮き沈みを経験するハリウッドで、そんな状態がいつまでも続くわけはない。誰にでも回ってくるその順番は、2013年の「アフター・アース」で、回ってきてしまったのである。
勝つのが好きなのでなく、負けるのが嫌い
スミスはフィラデルフィアの生まれ。退役軍人で、自営業者だった父から、まじめにお金を稼ぐことの大変さと大切さを教えられて育った。
「子供の頃、僕は、家業を手伝い、氷を袋に詰めて、スーパーマーケットに配達していた。現金商売だから、自分が運んだものがお金になり、それが家族の食べ物になるというのを実感できる。そうやって、僕はいつも、職業と家族を養うということを、結びつけて考えてきたんだよ」(2013年の筆者とのインタビューより)。
また、父はたびたび、「山のてっぺんに旗が立っているなら、なんとしても登って手に入れてこい」とスミスに言った。それも後押ししたのか、スミスは、自他共に認める負けず嫌いとなる。
「誰が言ったのか忘れたが、『勝ちたがる人は多いが、負けるのが嫌いな奴に注意しろ』という言葉を聞いたことがある。そのほうが厄介なんだよ。僕はまさにそれ」と言う彼は、自分の映画を必ず1位にさせてやるというだけでなく、他人が「無理だろう」と思うことにあえて挑戦し、成功させてきた。ロマンチックコメディ「最後の恋のはじめ方」に挑んだ理由のひとつも、それだ。
「黒人が主演する恋愛映画は、海外でコケると言われてきたよね。僕のお相手役(エヴァ・メンデス)はヒスパニックだし、統計的に見ると、この映画がヒットする可能性は低い。僕は、あえてそこに挑んだのさ。そして映画は世界で4億ドルを売り上げてみせた」(2008年の筆者とのインタビューより)。
ゴルフで負けると悔しくて眠れず、タイガー・ウッズのコーチを雇ってプライベートレッスンを受けた。アメリカで最も影響力を持つオプラ・ウィンフリーが勧める本も、全部読んでいる。そのがんばりぶりについて、息子ジェイデンは、「そこは父の長所でもあり、短所でもある」と言った。
だが、40代を前にした頃から、本人の中にも少し変化が生まれてくる。ジェイデンと父子共演をしたことも影響したようで、「幸せのちから」の時には「僕は最近、キャリアより人生を重視し始めた。キャリアは人生のひとつの側面にすぎない。今の僕は、自分のおかげで誰かの人生が少しでも良くなったというようなことをやるべく生きたいと思っている。仕事を通じてもそれをやりたい」、「アフター・アース」の時には「今作で、僕は、ヒット映画を作ることより、ジェイデンとの間に強い絆を作ることをより重視したよ。それは、僕にとって、とてつもない変革を意味する。1日の終わりに、ジェイデンが疲れているのを見て、『今日はもう十分だ。帰ろう』と言ったこともあった。ほかの人が何か言おうとしても、『いいんだ、彼はもう今日は終わり』と言い張ったよ。今、僕は、表面上で何か達成することよりも、内面のつながり、人間関係を大事にするんだ」と述べている。
一周して原点に立ち戻る
それでも、本当に映画がヒットしないこと、しかも連続でそうなることは、想定外だっただろう。「フォーカス」は鳴かず飛ばず、オスカー狙いとされた「コンカッション」ではノミネーションを逃し、「素晴らしきかな、人生」も、3,600万ドルの予算に対し、北米で3,100万ドルしか売り上げなかった。Netflixで配信した「ブライト」もあまり話題にならなかったのを見て、スミスは、しばらく休みを取ると決める。その心境を、スミスは、「アラジン」の記者会見で、このように語った。
「行き詰まっていたんだよね。僕は、自分が人生でできること、キャリアでできることというものをいつも考えてきたのに、それが尽きてしまったように感じたんだ。人生、創造力が崩れていっているような。それで、2年休むことにしたのさ。主に、勉強するため。それと、心の旅のために。『アラジン』は、そこからの復帰作。これをやってみて、自分にはまだ演技への情熱があるのかどうかを確認しようという気持ちが、僕の中にはあった」。
そんな彼に映画を作ることの喜びを思い出させてくれたのが、音楽だった。「アラジン」で、スミスが演じるジーニーは、「A Friend Like Me」という曲を歌う。レコーディングの初日、その曲に昔のヒップホップのビートを感じた彼は、そこからどんどんクリエイティビティを発揮していった。それまでの恐れは一気に吹き飛び、「自分にはジーニーを演じられる」と感じたのだと、彼は振り返る。
そもそも、音楽はスミスの初恋だ。俳優としてデビューする前に、彼はラップミュージシャンとしてエンタメ業界に足を踏み入れているのである。言ってみれば、彼は一周して自分の原点に立ち戻ったのだ。それも、50歳という節目の年に、である。
そして今、彼は、新たなスタート地点に立った。もちろん、これからも良いことばかりとは限らない。だが、それは彼がずっと昔から知っていること。過去にも彼は、「辛い時は、これは冬なのだ、やがて春が来るのだと思って耐える。その間は、種が死なないようにケアしながら、来るべき収穫に備えればいい。春は絶対来るのだから、リラックスしていればいいんだ」(2008年)と語っている。彼が信じたとおり、春は、本当にまたやって来た。この後には、夏が来る。秋を迎える時、スミスのキャリアは、甘く、大きな果実を、どれほどたくさん実らせてみせるだろうか。