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初代五輪金メダリストを目指すスポーツクライミング楢崎智亜 自粛期間中の「進化」

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
2019年クライミング世界選手権複合で優勝した楢崎智亜(写真:田村翔/アフロスポーツ)

 東京五輪からの新競技・スポーツクライミングで初代金メダリストの座を目指す楢崎智亜(ならさき・ともあ、24=TEAM au)が、五輪本番1年前となる8月5日を前にインタビューに応じた。「スピード」「ボルダリング」「リード」の3種目の複合で競う五輪方式で 行われた2019年世界選手権を制して日本代表に内定し、最高の流れに乗っていた矢先の1年延期。想定外だった出来事をどのように乗り越え、1年後に生かしていこうとしているのか。

(※楢崎の崎はつくりの上部が「立」)

■1日8時間、週5日、壁を登る

「大会がないので、冬にやっているような基礎トレーニングを中心に、週に5日ぐらい壁を登っています」

 楢崎ははつらつとした表情を浮かべていた。練習時間は毎日8時間。緊急事態宣言による自粛期間中も練習場所は確保できたため、試合がないからこそ追い込むメニューに取り組めていたそうだ。

「自分のコンディションを考えると、やっぱり今年やりたかったという思いはありましたが、延期はしょうがない。僕は切り替えが早い方なので、そう考えたら一瞬で切り替えられました」

 目の前の状況を冷静に受け止め、最善策を見つけながら毎日を過ごしてきた。

 コロナ禍の中で考えたのは、金メダルを確実なものにするために、フィジカルとスキルの両面から強化を進めていくアプローチだ。

 五輪のスポーツクライミングは、15mの壁を登ってタイムを競う「スピード」、課題が設けられた5mの壁を登り、その完登数を競う「ボルダリング」、12mの壁をどこまで登れたか、高さを競う「リード」の3種目を行い、各種目の順位のかけ算で成績が決まる。

 楢崎が得意とするのは「ボルダリング」。16年と19年にこの種目の世界選手権を制しており、ワールドカップ年間総合優勝も飾っている。反対に、単種目で見た場合に弱点と言えるのが「スピード」と「リード」だ。

「五輪にはスピードやリードのスペシャリストも出てきます。そういった選手たちと比べると、僕のスキルはまだまだ低い。各種目のトップとの距離を縮めたいと思っています」

 複合で世界チャンピオンになっても、自身の課題を見つめる目はシビアだ。

五輪の頂点を目指して拳を握りしめる楢崎智亜(撮影:矢内由美子)
五輪の頂点を目指して拳を握りしめる楢崎智亜(撮影:矢内由美子)

■「智亜スキップ」だけじゃない。「マルチン・スキップ」「サブリ・サブリ」も習得中

 それにしてもこの2年間は目覚ましい成長を遂げてきた。特に世界のライバルをあっと言わせているのは「スピード」での躍進だ。注目度が一気に上がったのは19年世界選手権。スタート直後、左のホールド(突起)を使わない「智亜スキップ」と呼ばれる革新的な技術を見せた楢崎は、それまでの自己ベスト6秒291を更新する6秒159を出して、世界を驚かせた。

 進化は止まらず、今年2月には、コース中盤に左側にあるホールドを使わず直線的に登る「マルチン・スキップ」を試合で初披露。さらに現在は、マルチン・スキップの後に繋げる「サブリ・サブリ」という動きを習得している。「スピード」で世界の強豪と渡り合うには5秒台が必要だが、楢崎は既に手応えを掴んでいる。

「この3つをやると、最短距離で登れるのです。今のところ練習で5、6本やった時の平均が6秒1、2ぐらいなので、すぐに5秒台が出ると思います」

進化の手応えは十分あると力強い(撮影:矢内由美子)
進化の手応えは十分あると力強い(撮影:矢内由美子)

 もちろん、簡単にできるものではない。特に難しいのは、ホールドを蹴る時に効率よく力を伝えることだ。

「パワーも必要ですが、どちらかというと僕は技術が大事だと思います。蹴るタイミングや壁との距離感が重要。壁との距離感を一定に保ちつつ登るというのが難しいです」

 最終種目の「リード」では持久力の勝負にもなると見ている。その対策として「レスト」という壁の中での技術習得に取り組んでいる。

「リードでは登っているうちに筋肉がパンパンになって、最後は力が入らなくて落ちてしまうのです」

 この問題を回避するための技術が「レスト」というもの。

「片手で突起を掴んで、あいた方の手を振る技術です。手を振ったときに体に血を巡らせて回復します」

 ただし楢崎の理想は、本番では何も考えずに登ること。目の前の課題に向かい、オートマチックに体を動かす領域に達するのが理想だ。「昨年の世界選手権もそうでしたが、本当に調子がいい時は、体が勝手に動く感じがあります」と言う。

■「僕が一番尊敬しているのは父」

 新型コロナウイルス問題が世の中を揺さぶっていたある日、医師として医療現場の最前線で任務に当たっている父から、自転車競技の選手の記事が送られてきた。楢崎は記事の内容こそ明かさなかったが、「何でもその道のプロフェッショナルの言葉はすごくためになります」としみじみと言う。内容だけではなく、緊迫感のある現場で任務を遂行しながら、常に自分のことを気にかけてくれる父へ、感謝の気持ちがわき上がっていたのだろう。

「父は『病院や高齢者施設で一人でも感染者を出すと周りへの影響が大きい。だから、すごくプレッシャーがある』と言っていました。僕が一番尊敬しているのは父親です。ずっと、誇らしく思っています。今でも会う度に、人生についていろいろなことを教えてくれます」

 父のことを語る楢崎の眼差しに、クライミングにも真摯な姿勢を貫くバックボーンが見えた気がする。真実一路。それが、楢崎智亜である。

画像制作:Yahooニュース
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【連載365日後の覇者たち】1年後に延期された「東京2020オリンピック」。新型コロナウイルスによって数々の大会がなくなり、練習環境にも苦労するアスリートたちだが、その目は毅然と前を見つめている。この連載は、21年夏に行われる東京五輪の競技日程に合わせて、毎日1人の選手にフォーカスし、「365日後の覇者」を目指す戦士たちへエールを送る企画。7月21日から8月8日まで19人を取り上げる。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを一部負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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