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教育界でも「働き方改革」が問われた2017年―なぜ、日本の先生は忙しいのか?

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(写真:アフロ)

6、7割が過労死ラインという異常な職場

今年、2017年ほど、学校に「働き方改革」の必要性が叫ばれた年はない。文科省や教育委員会等の調査結果が相次いで公表されたことで、日本の小中高の多くが”ブラック”な職場であることが明らかになった。

文部科学省「教員勤務実態調査」(2016年実施)によると、小学校教員の33.5%、中学校教員の57.7%が週60時間以上勤務、つまり月80時間以上の過労死ラインを超える時間外労働をしている。これは既に報道されているとおりである。

しかし、ほとんど報道されていないのだが、このデータは自宅残業を含んでいない数値である。調査結果によると、小中学校とも先生たちは、平均して週4、5時間程度自宅残業している。これを加えたラフな推計をすると、過労死ラインを超える人の割合は、小学校教諭の57.8%、中学校教諭の74.1%に跳ね上がる

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同じように計算すると、月120時間以上残業している人は小学校で17.1%、中学校で40.6%もいる。

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従業員の6割も7割もが過労死ラインを超えている業界は、学校を置いて他にはない

次の表は「労働力調査(2016年度)」をもとに週35時間以上働いている人を対象に比べてみた 。これを見ると、日本の小中学校の長時間労働は異常な多さだ。

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※パートなど非常勤を含めると比率が変わってくるので、週35時間以上の人を集計した。

どうして忙しいのか、改善しないのか?

なぜ、先生たちはこんなにも忙しいのでしょうか?

先日あるテレビ局の取材で聞かれたことだ。この手の取材や質問はけっこういただくのだが、答えるのは非常に難しい。世の中は、われわれが思っているほど単純ではない。教員の多忙の問題は、多くの糸が複雑に絡み合っている。

それに、教員の長時間労働の問題は、なにも今に始まったことではない。10年以上前から深刻だった。この10年の間に、ITは一層発達し、まだまだ十分ではないとはいえ、教師の仕事もある程度は便利になった。

文科省も放置していたわけではない。2007年に「学校現場の負担軽減プロジェクトチーム」を設置し、教育委員会や学校等に対して学校現場の負担軽減のための取組を促してきたし、「学校現場における業務改善のためのガイドライン」(2015年8月)、「学校現場における業務の適正化に向けて(通知)」(2016年6月)なども出している。

それなのに、データから確認できるのは、学校の多忙は改善するどころか、悪化しているのである。なぜなのか?

発達障がいや貧困家庭をはじめとして、ケアが必要な子どもが増えていることの影響なども大きい。しかし、もっと大きな根本的な背景もあるように思う。様々な要因があるが、ここでは3点に要約しよう。

※より詳しくは拙著『「先生が忙しすぎる」をあきらめない』も参照いただきたい。

1)子どもたちのためになるから(学校にあふれる善意)

長時間労働の問題がなかなか改善しないのは、子どものためによかれと思って仕事を増やしているからだ。たとえば、平日の時間外や土日をつぶしてでも、部活動指導や宿題等の丁寧なチェック・添削、補習や模擬試験監督などを行っている教師は多い。

過労死ラインを超える水準で働いている小中学校教員の1日(週60時間以上働く人の平均像)を、そうでない人の1日(週60時間未満の人の平均像)と比較すると、授業準備、成績処理(通知表などの作業に加えて、採点、添削等)、部活動、学校行事などで差が大きく、かつ1日に占める比重も大きいことがわかった(文科省・教員勤務実態調査)。また、どの教員にもほぼ共通していたこととして、給食、掃除、昼休みの見守りなどの集団的な生徒指導の時間も1日に占める比重は大きい。

しかし、これらの仕事はいずれも、子どもと向き合っている時間であり、子どもたちのためになる。だから、なかなかやめられないし、「働き方改革」などと言われても、いまひとつ、当の教員たちにとっては、削れないものを削れと言われているようで、ピンとこない。

愛知教育大学等の調査(2015年)によると、教員の仕事について97~98%の小中高教員が「子どもの成長にかかわることができる」と答えている。子どもの成長に関わるならと、仕事の量も種類も増やしてきた。

会議が非効率なことや事務作業が多いことも多忙の原因とよく言われるが、調査データを見る限り、これらは1日に占める比重は先ほどのものと比べると、小さい。会議等も働き方改革で改善が必要なのは確かだが、もっと時間をかけているものにもメスを入れる必要がある。

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出所)筆者撮影

2)前からやっていることだから(伝統、前例の重み)

2つ目の背景は、学校も教育行政も、伝統、前例をなかなか見直せていないということがある。つまり、スクラップ&ビルドではなく、ビルド&ビルドである。

学校には”〇〇教育”があふれている(キャリア教育、食育、外国語教育、主権者教育などなど)。行事も一部見直しは進んでいるとはいえ、まだまだ大きな負担がかかっている学校も多い。

なぜ、伝統、前例を見直せないのか?

先ほど述べたように、「子どもたちのためになるから」ということも影響している。

加えて、伝統、前例は安全だからだ。学校教育は一般的な企業経営などと異なり、子どもを相手にしているので、子どもたちに、思いもよらないような悪影響や副作用があってはならないし、実験も容易ではない。そのため、大きな問題が発生しなかった前例に従っていたほうが無難、というわけだ。

3)とても少ない教職員数のなかで頑張っている

ここまでの話で、わたしは、何も「悪いのは教師や学校であり、自己責任だ」と言いたいのではない。

むしろ、教師の献身な姿と思いに、教育行政も、社会のわたしたちも、甘えてきたという事実に注目したい。

保護者も世間も、「子どもたちのためになることは、ぜひ、先生方、頑張ってください」と言ってきた。たとえば、ある部活を廃止・休止にする、休養日(ノー部活デイ)を増やすとなると、必ずと言っていいほど、保護者等から「なぜ、もっとやってくれないんですか?」「希望する子どもたちがかわいそうです」という声があがる。

運動会をはじめとする行事だって、去年並みか、それ以上の盛り上がりを期待する親、地域住民も多いのではないだろうか?進学校等では、子どもたちが希望する大学に行けるようにと、早朝や土日の補習、模試等も教師に依頼してきたではないか?

つまり、善意なのは、教師だけでない。周りもである。それに、よかれと思ってやっていることは見直しが進みにくい。

しかも、特に小中では、教員数は少ないなかで様々な教育活動を幅広く展開している。次の写真をご覧いただきたい。ある小学校の職員室。

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出所)筆者知人より提供資料

授業があるあいだは、校長以外は誰もいない。みんな出払うほど、ギリギリの人員数でやりくりしている。”そして誰もいなくなった(And Then There Were None)”というのはアガサ・クリスティの小説のタイトルだが、これが日本の小学校の、ごくごく日常的な風景なのだ。

次の表は、各教員がもつ週のコマ数である(教員勤務実態調査)。

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小学校では週26コマ以上が4割、21~25コマも34%もいる。中学校は担任をもつ、副担任をもつで違いはあるだろうが、21~25が5割で、26コマ以上も2割である。26コマというと、5時間×4日+6時間×1日ということなので、週で3コマ前後しか空き時間はないということだ。その空きコマも休憩ではなく、授業準備、宿題のチェックとコメント書き、各種事務、場合によっては会議なども入る。6時間目終わったあとも、授業準備や部活動、会議等もある。

また、ここでは掲載しないが、日本の学校は外国と比べて教員以外のスタッフも少ない。小中であれば、事務職員は1人配置のところも多い。カウンセラーやスクールソーシャルワーカーの派遣もあるが、2週に1度しか来ないような学校も多い。それでは、分業、分担は難しい。

つまり、「子どもたちのためになるから」、「前からやっていることだから」と言って、学校と教師に仕事を増やしてきたのは、個々の教師の意識や仕事の仕方の問題もあるが、それだけの責任にはできない。教育行政(文科省や教育委員会)もそう言って、甘えてきたのである。

加えて、公立学校の教員は、残業代が出ない特殊な制度のもとにある。部活も、土日には手当が出るが、平日は無償労働である。だから、平日の残業を増やしても、教育行政としては財布は痛くもかゆくもない。

このあたり、教師、保護者、地域、行政などの思惑や制度という糸がまこと、複雑に絡み合っているのが、学校の多忙化の背景にある。

だからと言って、学校では働き方改革はムリなのか?

では、どうだろうか、忙しい学校は、仕方がないことなのか?あきらめてしまってよいのだろうか?

確かに、立ちはだかる問題はすごく大きい。しかし、大きな問題こそ、細かく分解して見ていく必要がある。そうすると、実は、子どもたちのためになる、伝統、前例の多くも、見直せるものは多い

それに、日本では教師がやって”当たり前”のことも、海外や国内の事例を見れば、”当たり前”ではないこともある。たとえば、登下校の見守り、清掃指導、休み時間の指導、部活動などは、学校や教師が行わない国・学校もある。やや細かいデータとなるが、次の表で、×となっているのは、教師が担っていないということを意味する。日本の教師は○や△が多い。もっともマルチタスクであり、幅広く仕事をしている。しかも少ない人数で。

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もうひとつ、注目してほしいことがある。

登下校の見守り、清掃指導、休み時間の指導、部活動などについては、文科省はあれこれやりなさいと、指導要領等で細かく規制しているわけではない。たとえば、校長の判断で、”うちの中学校で体育はやりません”とはできない(学習指導要領に反する)。しかし、先ほどの活動については、基本的には、やるかやらないか、やるとしてもどこまで行うかは、各校長の裁量が大きく働く領域である。運動会の準備にどのくらい時間をかけるかなども同様である。

こういう事実をひとつひとつ確認したうえで、中教審(中央教育審議会)では、学校や教師の手から離せるものは離そう、もっと分業を進めようと、議論を進めてきた(筆者も委員として関わっている)。12月22日には、学校の働き方改革についての中間まとめを発表した。これを受けて、文科省は12月26日に緊急対策を発表した。

さて、これらの改革の動きは成功するだろうか?

いくら国が言ったところで、当の教職員や保護者、それから世間の目と行動が変わらないと、これほどの長時間労働は、なかなか改善しないであろう。

「子どもたちのためになるから」、「前からやっていることだから」とばかり言わず、

●真に学校に必要なことは何なのか。重要なことは多いとはいえ、どこに優先順位を置くべきか。

●学校教育で行うとしても、教師が行うべきか。

●教師が行うとしても、過熱していないか。生産性を上げることはできないか。

などを具体的に見直していくことが必要である。

加えて、あまりにも少ない人数でマルチタスクな現状を改めるためには、教育にもっと予算をかけて、教師1人あたりの授業コマ数の負担を減らし、勤務時間中の空きコマの中で、ある程度仕事が終わっていくようにしていく必要もある。また、教師以外のスタッフ職が、子どもたちのためになる活動に、より関わりやすくしていくことも必要だ。

今後もこのページでは、学校の働き方改革や学校の”当たり前”を見つめなおすことについて、お伝えする。

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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