「スクールセクハラ」を使うことが不適切だと思わない理由
「スクールセクハラ」という言葉を使った報道に対し、言葉の響きが軽く聞こえるという疑問の声が上がったと報じられています。
<参考記事>
「スクールセクハラ」言葉が軽い?報道に疑問の声 「先生に胸を触られた」と小6女児が提訴(ハフィントンポスト/1月31日)
胸触られて「スクールセクハラ」 「言葉が軽い」と疑問視されるも...専門家「適切で当然」(J-castニュース/1月31日)
一般的な感覚として、「スクールセクハラ」あるいは「セクハラ」という言葉の響きを「軽い」と捉えるのは理解できます。
一方で、ハフィントンポストやJ-castニュースで報じられている通り、「スクールセクハラ」は20年前から使われており、特定NPO法人「スクール・セクシュアル・ハラスメント防止全国ネットワーク」(1998年発足)は、スクールセクハラを「人権侵害行為であり、犯罪です」と定義しています。
私は「性暴力と報道対話の会」など性暴力について考える活動に参加していますが、性暴力被害支援に関わる人たちの間で、「セクハラ」あるいは「セクシャル・ハラスメント」を「軽い被害」と考えている人には会ったことがありません。ただ、「セクハラ」が「性的嫌がらせ」と訳されていることもあり、一般的には、「接触を含まないような軽い嫌がらせ」と捉えている人も多いのかもしれません。
以前、ある新聞社の記者が企画会議で「スクールセクハラ」の話をしたところ、会議に参加していた十数人から笑い声が上がったと聞いたことがあります。その場にいた記者にとっては耳慣れない言葉だったのかもしれません。記者でさえそのような認識なので、一般と専門家や支援者の認識にズレがあるのは仕方ないとも思います。
次のような証言を読むと、「セクハラ」を軽い言葉にしてしまったのは、マスコミの報道姿勢にも問題があるように感じます。
■そもそも被害を軽視した言葉ではない
性犯罪や性暴力を巡る報道では、過去にわいせつ行為を「いたずら」、強姦を「乱暴」「暴行」などと言い換えることがあり、「被害を矮小化する」と批判が繰り返されました。
一点気をつけておきたいのは、「スクールセクハラ」は、このような例と同じではないということです。
もちろん、性的な加害を矮小化する意図を持って「スクールセクハラ」という言葉を使おうとする人がいればそれは問題ですが、この言葉を使い始めた人たちにそのような意図はなく、むしろ学校内の性被害が見過ごされていた時代から問題を訴えていた人たちが使っていた言葉だということは、知っておきたいポイントだと思います。
「セクハラ」も同様で、使い始めた人に被害を軽視する意図はなく、むしろその逆です。
■被害者は「レイプ」と言えないことがある
2014年に発売された『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』(幻冬舎)の著者、池谷孝司さんにお話を聞いた際に、この言葉を使う理由をたずねたことがあります。全文はリンク先にあります。
被害者が自分で被害を口にできないというのは、重要な指摘だと思います。実際に私も、「触られた」「嫌なことをされた」という訴えを詳しく聞くと、レイプや強制わいせつだったという話を聞いたことあります。
性的な被害は口にしづらいからということもありますし、自分の心を守るために「レイプ」や「強姦」の言葉を避ける被害者もいます。
また、被害者は自分の身に起こったことが犯罪だと認識するのに時間がかかる場合があります。特に被害者が子どもであったり、加害者が身近な人の場合は、なおさらです。
今月、小学校4年生の女の子が実の父親から虐待を受けて亡くなる事件がありました。彼女は小学校に「父親からいじめを受けた」と訴えていたそうです。大人からすれば「虐待」ですが、彼女の表現では「いじめ」だったのです。
同じように、「性的虐待」や「強制わいせつ」の言葉で自分の被害を説明できる子どものほうが少ないはずです。無理やりキスすることは状況によっては「強制わいせつ罪」になることを、大人でも知らない人はいるのではないでしょうか。
■被害の矮小化はいけないが、被害を告げるハードルを低くすることも重要
1年ほど前、内閣府が作成した「デートレイプドラッグ」啓発のための特設サイトで、「気がついたらセックスの最中だった」「複数の人とセックスをさせられ動画も撮られていた」といったケースを挙げていたことについて、ネット上で「セックスではなく、レイプと表現するべきなのでは」と疑問の声が上がったことがあります。
この特設サイトでは、「レイプ」や「強姦」、もしくは「強制性交」といった言葉は使われていません。
確かに、レイプ事件のサバイバーが「レイプはセックスではない」と語るのを私も聞いたことがあり、その主張の意味は理解しています。
けれど私は、この特設サイトの判断を適切だと感じます。
繰り返しになりますが、被害者の中には自分の被害を「レイプ」「強姦」と認識していない人がいます。また、そういった言葉を避けたい人もいます。「レイプ」ではなく、「無理やりセックスされた」という表現で聞かれて初めて、「自分もそういうことがあった」と思えるケースは少なくありません。見知らぬ人からより知り合いからの性被害が多いことも含め、性暴力がどんなものかが、あまりにも知られていないことが原因です。
3年に1度行われる内閣府調査では、「無理やり性交された経験の有無」を聞きます。この調査の最新の結果では、女性の13人に1人、男性の67人に1人が「ある」と答えています。レイプ被害を聞く調査の中で、恐らく最も数が多く出ている調査だと思います。
これがもし、「強制性交等罪の被害に遭った経験がありますか」という質問だったとしたら、この数字にはならないはずです。「強姦」や「レイプ」でも同様です。(※)2017年の刑法改正後、強姦罪は強制性交等罪に名称を変更。
被害を矮小化するために軽い言葉を使うのは避けるべきです。一方で、被害を訴えやすくするためには、被害に遭った人が使いやすい言葉に合わせる工夫が必要です。性被害をどのように表現するのかについては、両方の視点から考えていきたい問題です。どちらが適切かは、どのような場面かによって異なります。
最後になりましたが、文中で紹介した池谷孝司さんの『スクールセクハラ』は、性被害が学校の中で隠匿されていく構造を、取材に基づいて明らかにした一冊です。「さわや書店フェザン店」が激推ししたり、教育社会学者の内田良先生が「わたしのノンフィクション」に選んだ一冊でもあります。「スクールセクハラ」の語が軽いと感じた人にも、そうでない人にも、ぜひ読んでほしい一冊です。