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朴大統領の運命はどうなる!悲惨な末路を辿った韓国の歴代大統領

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
国民に謝罪する朴槿恵大統領

朴槿恵大統領の支持率は10月31日の10.4%(世論調査会社のリサーチビュー)から11月1日には9.2%(ザ・オピニオン)と、ついに一桁に落ちた。「大統領は辞任すべき」も37.7%から67.3%と一気に急増した。世論は完全に朴大統領を見放した。「死に体」となった朴大統領の運命はどうなる?

(参考資料:「崔順実逮捕」で収拾か?エスカレートか?「朴大統領スキャンダル」の行方

振り返れば、過去の歴代大統領の多くは悲惨な末路を辿っている。

初代の李承晩大統領(1948.7-1960.4)は人気がなかった。それでも12年という長きにわたって権力を維持できたのは米国の後ろ盾があったからだ。しかし、1960年4月19日に発生した大規模な学生デモによって倒され、国を追われ、米国への亡命を余儀なくされた。

次の尹ボソン大統領(1960.8-1962.3)は野党の幹部だったこと、長老だったことから李承晩政権崩壊後に国会で大統領に選ばれた。国民による直接選挙ではなく、間接選挙で選ばれた大統領である。リーダシップはほとんど発揮できず、実権は首相の張勉に握られていた。結局、1961年5月に政局混乱に乗じた軍部によるクーデターによって辞任に追い込まれた。

軍事クーデターを主動した朴正煕大統領(1963.12-1979.10)は今の朴槿恵大統領の父親である。「漢江の奇跡」と称される経済成長を成し遂げ、長期政権を築いた。しかし、晩年は釜山、馬山での労働者の騒乱や人権抑圧に反発する民衆の大規模デモに直面。79年10月26日、事態収拾を話し合う宴席の場で最側近の中央情報部(KCIA)部長によって射殺されてしまう。暗殺直後の12月12日、全斗煥保安司令官ら陸軍士官学校11期生らを中心に粛軍クーデターが発生し、軍部が実験を握った。

4人目の崔圭夏大統領(1979.12-1980.8)は朴正煕政権下で国務総理というNo.2のポストに就いていたことから大統領権限を代行した。「ポスト朴」を競う金大中、金泳三、金鍾泌ら政治指導者らによる民主化の動きを警戒した軍部が80年5月17日、戒厳令を敷き、政権を掌握。これにより崔圭夏は任期僅か8カ月でその座を追われた。崔圭夏は所詮、全斗煥が大統領になるまでのワンポイントに過ぎなかった。

全斗煥大統領(1980.9-1988.2)は2期(8年)勤めたが、2期とも国会議員の投票による間接選挙で選ばれ、国民の審判を一度も受けることはなかった。軍政を敷き、民主化運動を封じ込めたが、1987年に発生した大規模民主化デモで3選(長期政権)を断念。クーデター仲間でもある陸士同期の盧泰愚にバトンタッチして院政を敷くつもりだったが、盧泰愚の裏切りにあい、山寺での隠遁生活を強いられてしまった。さらにその後、金泳三政権下で内乱罪と不正蓄財罪で死刑宣告された(無期懲役に減刑され、その後金大中政権下で恩赦された)

盧泰愚大統領(1988.2-1993.2)は全斗煥とは違い、国民による直接選挙で三人の金(金大中、金泳三、金鍾泌)と競い、選ばれた大統領である。全斗煥から後継者に指名されたにもかかわらず、全斗煥を遠ざけた。全斗煥の兄弟、親族の不正蓄財を暴き、投獄した。強権の全斗煥政権との違いを浮きたたせようとしたが、所詮軍人政権には変わりなかった。ソウル五輪(1988年)を機に高まった民主化の波に次第に追い詰められていった。それでも5年の任期を全うし、青瓦台を去ったが、次の金泳三政権下でこれまた親族が不正蓄財で投獄され、本人も270億円を超える不正蓄財などの罪で懲役17年(その後、恩赦)の刑を食らい、収監されてしまった。不正蓄財の発覚は、親戚や兄弟、そして、息子、妻や側近らが次々と捜査対象となったことで外堀を埋められたことによる。

金泳三大統領(1993.2-1998.2)は文民大統領であることから就任当時の支持率は歴代大統領No.1の83.0%もあった。クーデターで政権を奪取した元・前職大統領らの不正を暴き、国民から圧倒的な支持を受けた。しかし、金泳三政権が支持されたのはそこまでだった。1997年にタイで始まったアジア通貨危機(IMF危機)の余波が韓国に及び、財政が破綻してしまった。ソウル五輪の開催で先進国に仲間入りしたと思っていた国民にとっては屈辱的だった。その結果、金泳三の株は一気に急落し、支持率は最低の6%に急落。金泳三は全斗煥、盧泰愚の不正蓄財を暴いたとき、「私はビタ一文もらわない」と豪語していたが、退任後、次男と妻方の親族がもらっていたことが発覚。収監されてしまった。

金大中大統領(1998.2-2003.2)は韓国初の野党大統領である。米国での亡命生活が長かったこともあり国際的に名声も高かった。民主化政権に相応しく、就任当初の支持率は71%とこれまた高い支持率だった。IMF体制から脱却し、経済を再建させたことなど滑り出しは順調だった。しかし、後半は支持率が落ち、レームダック化してくると、次第に地盤の全羅道出身者を登用するようになり、地域主義に偏っていった、任期を残り1年を切った2002年に息子や親族のスキャンダルが次々と明るみに出て、支持率は24にまで急落。退任後、3人の息子と妻方の親族は収賄罪で有罪となり、投獄された(長男は身体障害者ということで収監を免れた)

盧武鉉大統領(2003.2―2008.2)は大統領選直前までは泡沫候補扱いされていたが、本命候補を破っての当選だった。弁護士出身、それも人権問題を扱っていたこともあって庶民的な大統領と歓迎された。やはり就任当初の支持率は、金泳三や金大中ほどではないが、それでも60%もあった。しかし、少数与党であったために国会で多数を占めていた野党によって弾劾されてしまった。国会の弾劾決議の可否を審議する憲法裁判所の判決前に行われた総選挙で圧勝したことで、弾劾は取り下げられたが、大統領の職務の一時停止を余儀なくされた不徳の大統領である。経済や対米関係の悪化など晩年はマイナス面が多く、退任時の支持率は12%。次の李明博保守政権下で兄が収賄で逮捕され、続いて妻、そして自分にまで司直の手が伸びるや崖から飛び降り命を絶ってしまった。「悲劇の大統領」として韓国の歴史に刻み込まれている。

李明博大統領(2008.2-2013.2)は現代グループの現代建設の社長からソウル市長を経て大統領となった韓国初の経済出身大統領である。大統領選挙は圧勝だった。二代続いた革新政権に国民がうんざりしていた結果だ。就任当時の支持率は52%。しかし、盧武鉉前大統領の弔問に行った時「お前が盧武鉉を殺したのだ。帰れ!」と支持者から怒りをぶつけられた。最高経営者としての経済手腕を買われていたが,思うようにはいかなかった。外交も「竹島上陸」で日本との関係が悪化し、北朝鮮との関係も「金剛山観光客射殺事件」や「哨戒艦撃沈事件」「延坪島砲撃事件」などで修復できず、加えて、身内と側近に不正疑惑が持ち上がり、マスコミから叩かれた。任期最後の年の2012年7月には国会議員だった兄が不正資金を受け取った疑いで逮捕され、晩年の支持率は17%と就任当時の3分の1に減少した。退任後、朴槿恵政権下で野党から李大統領の疑惑が追及されたが、就任早々「セウォル号沈没事故」など様々な事故や事件が発生し、朴槿恵政権にその余裕はなかった。先頃まで話題となった「ロッテ・スキャンダル」は李明博前大統領追及の烽火とみられていたが、不発に終わっている。今後、朴槿恵大統領がレームダックを回避するため前任者をスケープゴートにする可能性はまだ残されている。従って、李前大統領はまだまだ枕を高くして寝られそうにもない

さて、朴槿恵大統領(2013.2―)は一体、誰の道を辿るのだろうか

(参考資料:「死に体」の朴大統領 弾劾か?下野か?居座りか?

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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