アサド政権の崩壊を国民に知らせない北朝鮮
シリアのアサド政権崩壊から1か月が過ぎたが、北朝鮮の外務省も労働新聞などのメディアもシリアの政変、アサド政権の崩壊について一切触れていない。当然、国を追われたアサド大統領がロシアに亡命したことも伏せられたままである。
北朝鮮とシリアとの関係はイランとの関係以上に繋がりが深い。先代のハーフィズ・アサド大統領と金正恩(キム・ジョンフン)総書記の祖父、金日成(キム・イルソン)主席は義兄弟のような関係を結び、2代目のバッシャール・アサド大統領も金正日(キム・ジョンイル)前総書記も世襲で権力を継承したこともあって両国は強い絆、連帯感で結ばれていた。一般的には知られていないが、シリアの執権党、バース党がモデルにしたのが、他ならぬ朝鮮労働党であった。
北朝鮮は1973年のイスラエルとの第4次中東戦争ではシリアに援軍を派遣し、2007年にイスラエルの奇襲攻撃で破壊されたシリア北部の核施設建設には技術支援を行い、2011年に内戦が勃発した時は武器の供与だけでなく軍事顧問団まで派遣するなどアサド政権を全面的に支えてきた。一時は北朝鮮の特殊部隊が派遣され、アサド大統領の警護を担ったこともあった。
アサド政権は北朝鮮へのこうした義理と恩があって、中東諸国の中にあって唯一韓国を承認してこなかった。換言すれば、北朝鮮にとってのアサド政権のシリアは、かつての兄弟国であったチャウシェスク政権下のルーマニアのような存在だった。
本来ならば、毎年元旦には両国指導者間の賀状交換が恒例になっているのだが、今年はアサド政権が崩壊したことで当然のごとく、金総書記はシリアに年賀を出していない。
北朝鮮がシリアについて触れたのはアサド政権崩壊3日前の12月5日の外務省スポークスマンの朝鮮中央通信への回答が最後となり、この日を境にシリアに関する報道は北朝鮮のメディアから消えた。国営の朝鮮中央通信も労働新聞も伝える中東情勢はイスラエルのパレスチナのガザ地区攻撃とレバノン爆撃に関する情報のみだ。
外務省スポークスマンは朝鮮中央通信社記者の質問に「シリアでテロリストの無謀な軍事的妄動によって情勢が刻一刻悪化している」として以下のような回答を寄せていた。
「シリアの山間の奥地に群がり、辛うじて余命を維持していたさまざまなテロリストがこの頃、外部勢力の政治的操りと軍事的支援の下、シリア政府と軍隊が統制している諸地域を不意に攻撃して平和的都市と村を破壊し、罪のない民間人を殺りくしたのは、何によっても正当化されない極悪な反人倫犯罪である」
「シリアの合法的な政府を『悪魔化』し、シリアに不安と恐怖をもたらすとともに、ガザ地区とレバノンでの集団大虐殺シナリオをシリアで再現することで中東地域の情勢を引き続き破局的な状況へ追い込もうとする敵対勢力の卑劣な陰謀策動の所産である」
「我々はシリアで強行されているテロリストの無謀な軍事的妄動とそれを黙認、助長している背後勢力の不純な企図を強く糾弾するとともに国の自主権守護と領土保全、危機解決のためのシリア政府と人民の正義の闘いと中東地域で強固な平和と安定を実現しようとするアラブ諸国の努力に全面的な支持と連帯を表する」
北朝鮮はまさにこの直後にシリア政府が崩壊し、アサド大統領がロシアに亡命するとは夢にも思っていなかったであろう。青天の霹靂だったと言っても過言ではない。
北朝鮮は1989年にルーマニアの政権が崩壊し、金主席と義兄弟関係にあったチャウシェスク大統領が処刑された時はショックを受けたものの表向きは「対岸の火事」として平静を装っていた。その後に判明したことだが、内部学習を通じて人民に「チャウシェスクは当初、自主独立路線で社会主義を良くやったが、官僚主義に陥り、不正蓄財を働き、その上に国民に発砲したため処刑された」と伝えていた。
また、もう一つの中東の友好国だったリビアのカダフィー政権が2011年に崩壊した際にはリビアが2003年に核開発の全面破棄を受け入れたことを取り上げ、「米帝国主義の威嚇・恐喝に負けて、戦う前にそれまで築いてきた国防力を自分の手で破壊し、放棄したことによる自暴自得」と説明していた。
金正恩政権は代々支え続けてきたこのアサド政権の崩壊については国民にどのような説明をするのか実に興味深い。