「ロマのホロコースト」ユダヤ人に比べると情報が少なく進まない"ポライモス"の記憶のデジタル化
2023年11月にアウシュビッツ絶滅収容所博物館が、ホロコースト時代のロマ(ジプシーやシンティと呼ばれることもある)の迫害や差別、殺戮に関するポッドキャストでの配信を紹介していた。アウシュビッツ絶滅収容所博物館ではポッドキャストでもホロコースト時代の歴史やアウシュビッツ絶滅収容所での様子などをコンテンツとして配信している。アウシュビッツ絶滅収容所博物館は「ロマはナチスドイツの第三帝国の敵とみなされていましたので、迫害されて徹底的に殺害されました。23,000人のロマがアウシュビッツに収容されましたが91%が殺害されました」と紹介。
1944年8月2日から3日にかけてアウシュビッツ絶滅収容所に収容されていた2,897人の男女のロマがガス室で殺害されたことから、8月2日は「ロマのホロコースト記念日(Roma Holocaust Memorial Day)」である。なお、ロマの言葉でホロコーストのことを、食いつくすという意味の「ポライモス」という。
▼アウシュビッツ絶滅収容所でのロマの迫害についてポッドキャストでの配信を伝える公式SNS
ユダヤ人に比べると非常に少ないロマのホロコーストの記憶のデジタル化
ロマはユダヤ人と同じかそれ以上に欧州では差別、迫害されてきた。そのためナチスドイツのユダヤ人差別政策に反対する人は多くいたが、ロマの差別や迫害に対しては傍観していた人も多い。ドイツでは第一次大戦後に社会の混乱を招くという理由で警察はさかんにロマを取り締まった。そしてナチスが政権を掌握してから2年後の1935年にはドイツ国内のロマを排除するための法律、いわゆるニュルンベルク法を公布した。欧州では歴史的にもナチスの登場以前からロマは差別されてきた。西欧に住んでいたユダヤ人は各国に同化していたので、見た目ではユダヤ人かドイツ人かの区別はできなかったし、ユダヤ人も宗教がユダヤ教で自分はドイツ人と思って生活をしていた。だがロマはどの国においても全く同化しないで、独自の生活習慣で生活していた。現在のようにテレビやインターネットのない時代に、浅黒い肌のロマの存在は不気味だと捉えられていた。欧州の人は、馬車で移動しながら生活をして動物の芸を見せたり、物を売ったり、ダンスを踊ったり、スリをしたりするロマを興味と恐怖の両方の目で見ていた。
そして「ユダヤ人は世界を牛耳っている」という根拠なき陰謀論があり、「ロマはスパイ」という説が欧州では流布されていた。そのため「国籍を持たないで移動しながら生活をするロマはスパイだ」という"なんとなく市民が納得してしまうような"議論によってナチスドイツによるロマの迫害と虐殺が正当化された。
ロマの被害者数は25万~50万人くらいと言われている。だが、戦後にユダヤ人がイスラエルという国家を樹立して裁判を行い補償を求めたりしたが、ロマは戦後になっても国を持たなかったため、補償などが行き届かず、実際にはロマの犠牲者数を正確に算出することはできなかった。また「死の天使」として悪名高かった医師のヨーゼフ・メンゲレは特にロマに高い関心を示して、ロマを使っての残虐非道な人体実験も行っていた。
戦後に、ナチスの戦争犯罪を裁く裁判においても、ナチスは「ロマは犯罪者として罰せられたのであり、ロマだから殺害したのではない」として、ロマの大量虐殺を正当化し、成功した。実際にニュルンベルク裁判でロマの大量殺害は裁かれることなく、ロマの証言者は一人も召喚されなかった。第二次大戦が終わった後もロマのためにはほとんど何もなされなかった。戦後もロマの賠償などを支援する国家もなければ、ロマ自身による自主的な抗議運動も行われなかった。さらにナチスの収容所から解放されたロマが戻ってくると「厄介者がまた帰ってくる」とヨーロッパの全ての地域の地元住民に嫌がられていた。ロマに対するナチスの大量虐殺は1982年になってようやくドイツのシュミット首相によって公式に認められた。だがロマに対する対応は何も変わらなかった。
▼英国ホロコースト・メモリアル・デイ・トラストが制作したロマのホロコーストの紹介動画
生存者の子どもやユダヤ人が伝えるロマのホロコースト
第二次大戦時にナチスドイツが約600万人のユダヤ人、政治犯、ロマなどを殺害した、いわゆるホロコースト。戦後約80年が経過しホロコースト生存者らの高齢化も進み、多くの人が他界してしまった。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。またホロコーストの犠牲者の遺品やメモ、生存者らが所有していたホロコースト時代の物の多くは、家族らがホロコースト博物館などに寄付している。特に新型コロナウィルス感染拡大によるロックダウンで多くの博物館が閉鎖されてしまってからは展示物のデジタル化が加速されており、バーチャルツアーで世界中の人が閲覧できるようになっている。
欧米では主要都市のほとんどにホロコースト博物館があり、ホロコーストに関する様々な物品が展示されている。そして、それらの多くはデジタル化されて世界中からオンラインで閲覧が可能であり、研究者やホロコースト教育に活用されている。いわゆる記憶のデジタル化の一環であり、後世にホロコーストの歴史を伝えることに貢献している。
だが、そのほとんどがユダヤ人の生存者で、ロマの生存者の体験は非常に少ない。収容所でのロマの様子を語るのも、収容されていたユダヤ人が伝えることも多い。ホロコースト映画も毎年制作されているが、その多くがユダヤ人を主人公にしたもので、ロマを扱ったものはほとんどない。ロマを扱ったホロコースト映画やドキュメンタリーは当時の情報も少ないことから、これからもほとんど制作されないだろう。アウシュビッツ絶滅収容所博物館が配信しているポッドキャストでもほとんどがユダヤ人に関するもので、ロマの情報はユダヤ人に比べると少ない。
2023年8月2日の「ロマのホロコースト記念日」には英国のホロコースト博物館センターでホロコースト時代にロマの迫害や差別、収容所での扱いなどを見てきたユダヤ人らが当時のロマの様子を証言するというイベントが開催されていた。迫害されていたユダヤ人らが強制収容所にいた当時のロマの様子などを伝えていた。ユダヤ人はホロコーストの悲惨な歴史を後世に伝えるために記憶のデジタル化に積極的である。そのためホロコースト時代の証言をあらゆるところでしてきている。
ロマの生存者自身による「記憶のデジタル化」はユダヤ人生存者に比べると、ほとんど進んでいない。新たな生存者がこれから動画などで当時の様子を証言することはもうないだろう。現在のロマのホロコーストの記憶をデジタル化して伝えている動画、映画、ドキュメンタリーのほとんどが歴史家が当時の様子を文献や写真を元に語っている。南カリフォルニア大学のショア財団ではホロコースト時代の生存者の証言のデジタル化やメディア化などの取組みを行っている。そのなかにはロマの生存者の子どもが親から伝えられたホロコーストの体験や記憶を動画で語るものもいくつかあるが非常に少なく貴重だ。
ロマのホロコーストをテーマにした代表的な映画は1988年に制作されたポーランドとアメリカの映画で、ポーランドにいたロマの実話を元に制作された「And the Violins Stopped Playing」だ。支配したナチスの親衛隊がロマに対して「外で用をたすな。家の中にトイレを作れ」と指示するシーンなど当時のロマの生活や習慣などがうかがえる。
▼「And the Violins Stopped Playing」トレ―ラー
▼ロマの子息が親世代のホロコーストを伝える貴重な動画