平安京さんぽシリーズ② 伝説に彩られた一条通を歩く(後編)
一条通後半は大宮通との交差点からスタート。この交差点から南西に広がっていたのが、豊臣秀吉が造った聚楽第で、ここからは聚楽第の北側を歩くことになる。
次に出てくる浄福寺通を少し北に進むと浄福寺の赤門が出現。こちらが浄福寺の東門で、天明の大火(1788年)を潜り抜けた門だ。一説には天狗が降り立って団扇で火を防いだとされ、門を潜ると右側には天狗の化身ともされる護法魔王尊が祀られている。
境内を西へ進むと本堂の横に突き当たる。少し複雑な造りに見えるのは、二つの建物を中でひとつに繋ぎ合わせているからだ。江戸後期に再建された際に、お堂の大きさに対し、江戸幕府から制限をかけられており、それをすり抜けるための苦肉の策であったとか。当時の苦労が偲ばれる。
浄福寺南の参道を通り、再び一条通へ。この一帯は「西陣京極」と呼ばれてきた。映画や劇場、飲食店が並んでいたかつての繁華街で、その名残が見られる。
平安京の中心部を貫いていた千本通(当時は朱雀大路)を過ぎると、当時の右京エリアに入る。突き当りには地元で人気の「とようけ屋 山本」という豆腐屋さんがあり、少し南に進むとかつて北野天満宮の参道であった中立売通と合流する。
そこから西へ進むと、大将軍商店街へ。こちらは地域活性化を図って「妖怪」を大々的にPR。平安時代は辺境の地であったこの辺りを、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)したとされ、『今昔物語』などにも登場する。そのため。現在は「妖怪ストリート」と銘打って、各店舗が独自の妖怪を作って店の前に飾っている。
商店街を抜けると出てくるのが大将軍八神社。平安京遷都の際に四方に祀られた大将軍社のひとつで、唯一場所を一度も動かずに都を守り続けてきた。通常非公開ながら、神社の宝物館に所蔵する神像はなんと80体。全て重要文化財に指定されている。
さらに進むと「椿寺」の名で親しまれる地蔵院へ。こちらには豊臣秀吉が贈ったと伝わる五色の散り椿(2世)があり、春には見事な花を咲かせる。また墓地には『忠臣蔵』で登場する天野屋利兵衛の墓もある。
西大路通までたどり着くとここで一旦終了。まだ歩けるという方は、さらに西へと進むと、妙心寺の北門前までが一条通となっている。
この一条通の散策は、平安時代を基盤としながら、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治と各時代の変遷を感じることができることが最大の魅力。そしてこの魅力は大小あれど、ほかの通りにも共通している。このシリーズを通して、各通りの特徴を知り、京都の新しい散策を楽しんでみて欲しい。