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柔道・五輪メダリスト田知本遥さんと向翔一郎選手が富山で「金・銀」対談

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
故郷・富山の報道陣から取材を受ける柔道の田知本遥さんと向翔一郎選手(筆者撮影)

 柔道の五輪金・銀メダリストが故郷・富山の選手らを前に、自身の競技人生を語った。富山県柔道連盟創立70周年記念柔道セミナーは9月3日に開催され、リオデジャネイロ五輪金メダリストの田知本遥さん(32)=同県射水市出身=と東京五輪の混合団体での銀メダル獲得に貢献した向翔一郎選手(26)=ALSOK所属、同県高岡市出身=が対談した。2人は「柔道をやめたいと何度も思った」「実はすごく緊張するタイプ」など本音で語り合い、2024年パリ五輪への思いも明かした。同セミナーには小・中・高校生選手約260人が参加した。対談の一部を紹介する。聞き手は富山短大教授の高木綾子さん。

富山県射水市のアルビス小杉総合体育センターで開かれた県柔道連盟創立70周年記念柔道セミナー
富山県射水市のアルビス小杉総合体育センターで開かれた県柔道連盟創立70周年記念柔道セミナー

――富山への帰省は、いつ以来ですか。

 田知本:新型コロナウィルスの感染拡大後初ですので3年ぶりぐらいです。コロナ禍の間は研究に打ち込んでいましたが今は子育てをしつつ、子どもに柔道を教えています。

 向:東京五輪が終わった後に何度か富山へ帰ってきていました。昨日は新潟の小学校で柔道を教えてきました。

――柔道を始めたのはいつで、きっかけは何だったのでしょうか。

田知本:小学1年生ごろです。地元の小杉スポーツ少年団で始めました。柔道の選手だった父の影響です。仲のいい友達がピアノを習い始めて一緒に遊ぶ機会が減ったので「私も習い事をしたい」と。連れて行かれたのが柔道場でした。

「中学からは自分の意志で強くなりたいと練習に打ち込んだ」と話す田知本遥さん
「中学からは自分の意志で強くなりたいと練習に打ち込んだ」と話す田知本遥さん

「柔道をやめたい」と言ったこともありました。しかし「6年生になるまでは続けなさい」と両親から言われました。中学校に入ってからは自分の意志で「強くなりたい」と練習に打ち込みました。皆さんも迷うことはあるかもしれませんが、小学生の間は続け、中学校に上がる前に自分の意志を確認するのもいいと思います。

 向:柔道を教えていた父に姉が習っており、その影響で始めました。小学生までは新潟で、中学時代は東京に出て続けていましたが、その中学校をやめることになったので富山に帰ってきました。小学生の時からずっと「やめたい」と思うことはありましたが、父や道場の先生が厳しかったので、やめられませんでした。

続けていたら見えてくるものがある

 ずっと「やめたい」と思いながらも大学までたどり着き、少しずつ結果を残せるようになってきたので前向きに取り組むようになりました。続けていたら見えてくるものがあると今になって分かります。

 大学1年で全日本ジュニア選手権を制し、初めて日本一になったのです。すると「もしかしたら(五輪に)行けるんじゃないか」という気持ちになりました。両親やいろいろな人が喜び「恩返しができた」と思ったので「もう少し頑張ろう」と。すると五輪という目標が具体的になってきたのです。達成感を得て、また違った目標が見えてくるものです。

 ここにいる小学生の皆さんは「今、勝たなくてはいけない」と思っているかもしれません。でも最終的に五輪に出られる方がいいと思いませんか? だから「勝てなくても、とりあえず続けること」に意味があると思います。

「柔道を続けることに意味がある」と語る向選手
「柔道を続けることに意味がある」と語る向選手

――田知本さん、向選手の話を聞いていかがですか。

 田知本:目の前の課題に向かっていくことが大切だと思います。私も10代のころ、五輪は漠然とした目標でした。しかし、目の前のことを精一杯、その日限られた時間でやっていく中で、顔を上げたら全国大会で優勝することができていました。「やめたい」と思うことは誰にもあると思います。そういう中でも続けることで夢の実現につながるはずです。

柔道を通して世界中に友達ができた

――柔道をやっていて今につながっていることは何でしょう。

田知本:今、競技生活に一区切りつけたからこそ良かったと感じるのは、柔道を通して世界中に友達ができたことです。柔道は日本が発祥だから私たち柔道家は各国で尊敬の念を持って迎えられます。また、組み合うことは、ほかの競技ではなかなか経験できない相手との距離感です。柔道を通じて出会った仲間と戦いながらも互いを高め合うという深い関係性を築いています。皆さんは勝ち負けも大事ですけれど、仲間や経験を大事にしていってほしいと思います。

――さて、五輪について伺いたいと思います。振り返っていかがでしょう。

田知本:今もはっきり覚えています。2016年リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得したのは6年も前の話なんですね。すごく嬉しかったです。でも爆発的というより静かにかみしめる喜びを感じました。「どういう心境だったのかなあ」と振り返ると、歩んできた過程や、いろいろな人と戦ってきたことの末にある喜びを感じていたのだと思います。

リオ五輪の女子70キロ級決勝で戦う田知本遥選手
リオ五輪の女子70キロ級決勝で戦う田知本遥選手写真:アフロスポーツ

 2012年のロンドン五輪にも出ましたけれど、そこでは悔しい思いをしました。リオ五輪は苦しんだ経験を経て臨んだからこそ覚悟を決めていましたので、究極の心境でした。(試合の)次の日のことは考えていませんでした。

東京五輪は個人戦で負けたので悔いが残る

――向選手、東京五輪の思い出を語ってください。

 向:混合団体は、ほかのメンバーのおかげで銀メダルを取ることができました。でもその前の個人戦で負けたので悔いが残っています。個人戦で金メダルを取ることが目標でしたから。田知本さんの話を聞いて覚悟の差が「金メダリストと今の自分の違いなのかなぁ」と思いました。

 日本武道館は全日本学生選手権などの会場ですから五輪という感じがしませんでした。けれど混合団体の前は選手村で宿泊しました。選手村の雰囲気を感じて初めて「自分は今、五輪に出場しているんだ」と実感することができたのです。その時、後悔の念が生まれました。「何で、もっと必死にならなかったんだろう」と。でも「混合団体というチャンスがある。何とかするしかない」と気持ちを切り替えました。個人戦で負けてからの3日間は今までの16年間の柔道人生で一番辛かったかもしれません。

東京五輪の柔道・混合団体で銀メダル獲得に貢献した向翔一郎選手
東京五輪の柔道・混合団体で銀メダル獲得に貢献した向翔一郎選手写真:エンリコ/アフロスポーツ

 田知本:選手村は広くて本当に一つの村みたいです。食堂や自動販売機などがそろっていて、お金を出さなくても生活できる仕組みなのです。東京五輪は全てが初の経験だったはずです。五輪というものは、試合会場だけのことではなく、選手村やその期間中の全ての経験を指します。今回、母国開催だったので良かれと思い、選手の負担を減らすために、会場のみの行き来だった東京五輪が初出場だった選手は正直、パリ五輪で本当の真価が問われると思います。ですので、次のパリ五輪では向選手なりのやり方を見つけてリラックスして戦い、違う輝きのメダルを取ってきてくれるのではないでしょうか。

:実はパリ五輪を意識しすぎて自分に重圧をかけ過ぎることを避けています。自分らしさを忘れないで向翔一郎らしく過ごしたいと思っています。パリ五輪に向けて一つ一つの大会で優勝していくことを目標に掲げ、試合が終わるごとに次の目標が見えてくると考えています。

田知本:これからの向選手に期待したいと思います。

――さて、今日はお2人に続こうと頑張っている小学生の柔道選手がたくさんいますので、これまでの挫折をどうやって乗り越えたか。アドバイスをいただけたらと思います。

田知本:挫折はいっぱいありましたね。ない選手はいないのではないでしょうか。挫折やスランプをどう受け止めるかは人によって違うと思います。「アンラッキー」か、「自分を強くしてくれるからラッキー」と思うか。私も「アンラッキー」と思った時期がありました。

「我に七難八苦を与えたまえ」

 でも、戦国武将の山中鹿介(幸盛)が、「『願わくは、我に七難八苦を与えたまえ』と三日月に祈った」と聞かされ、気持ちが変わりました。誰だって楽な道を行きたいです。でも彼は「困難を乗り越えた時に強くなる」と知っていたのです。私も「考え方を変えよう」と決心しました。ロンドンからリオまでの二つの五輪の間、「この言葉を胸に(挫折や試練を)乗り越えてやろう」と自分を励ましました。

――その言葉をどこかに書いたり、書いた紙を貼ったりしたのですか。

田知本:紙に書いて部屋に貼ることで自信になりました。また、試合ごとに目標と日付を書いた紙を貼るようにしていた時期がありました。目標は結果とは別に「この技を絶対に出す」など必ず自分が達成したいテーマを書いたのです。「テーマだけは絶対、実行しよう」と。すると勝ちに執着しなかったにもかかわらず、10大会中9大会で優勝できました。

対談に耳を傾ける小・中・高校選手
対談に耳を傾ける小・中・高校選手

:真面目ですね、田知本さんは。私は挫折を挫折だと思わないと決めています。また、うまくいかなくても「やめよう」とは思いません。「相手や周囲が自分(の考え)について来ることができていないんだ」と思うようにしてきました。そう考えることで気持ちが楽になります。田知本さんの話を聞いて目標を口に出したり、書いたりすることは大事だと、よく分かりました。私も周囲から「無理だ」と思われていることでも、あえて口に出すようにしています。「自分は必ずできる」と思う気持ちがあるからです。

オンとオフの切り替えが大事

――向選手は究極のポジティブですね。どうすればなれますか。

:こればっかりは性格なので何とも言えないんですけれども、ポジティブになれない時はリフレッシュすることが大事です。いつも柔道について考え、考え過ぎて落ち込んでしまうのではなく、たまには思いっきり遊ぶ。適度に勉強もして、遊ぶ時は思いっきり遊んでいいんじゃないですか。オンとオフの切り替えが大事です。私はそうすることで考え方をポジティブにしています。

 周りから何を言われても、自分のことを一番、愛してあげてください。それが大事だと思います。自分を批判する人がいても「周りが自分について来れていないんだ」という強い気持ちが救いになります。

――影響を受けた人は誰ですか。

:今までいろんな人が自分に影響を与えてくれましたが、最近では日本代表監督の井上康生さんです。東京五輪の個人戦で負けた後、「混合団体では向の力で、金メダルを取って帰したい」と言って下さいました。調子が悪かったからほかの選手を出すという選択肢もあったはずなのに、自分にメダルを持たせようとしてくださったのです。その時「恩返しをしたい」という気持ちになりました。井上監督の存在の大きさを感じました。

井上康生監督と記念撮影する向選手ら
井上康生監督と記念撮影する向選手ら写真:森田直樹/アフロスポーツ

緊張しても「いいこと」と思う

――試合の時は緊張しますか。

田知本:緊張します。この体育館でも皆さんぐらいの年齢の時から何度も試合をしてきました。ちょうどあのあたり(右手前)で膝を抱えて、自分の試合までにまだ30試合ぐらいあるのに座って緊張していたことを今も覚えています。親から言われて印象に残っているのが、「緊張しているのはいいこと」という言葉です。緊張は「良いパフォーマンスをしたい」と思っている証拠だし、「勝ちたい。でも負けたらどうしよう」と思うから緊張するのです。それからは緊張しても「いいことなんだ」と思えるようになりました。考え方を変えてみてはどうでしょうか。

:私も子どものころは緊張しました。しかし、大学生の時に突然、緊張しなくなったのです。私たちが取り組んでいるのはあくまでもスポーツで、負けたからといって死ぬわけではないのです。競技人生は短く、人生のある期間、真剣に柔道に打ち込んでいるのであり、競技をやめた後の人生の方が長いのです。「柔道は自分の全てだ」と思って覚悟を決めることも大事だけれど、「負けたからといって死ぬわけではない」と思えば、緊張もしなくなります。

――強い選手とはどういう選手のことを言うのでしょうか。

田知本:難しい質問ですね。私のことを言うわけではないのですが、やはり覚悟を決めて畳に上がる選手は強いと思います。自分が劣勢で不利な状況でも顔に出さず、ぶれない覚悟を持った選手は強いと思います。悔しい時も「どうやって挽回しようか」「こうしたらもっと良くなるかもしれない」と考えた時間が畳の上で生きるし、畳を降りた後の人生でも役に立つのです。強い選手は強い人になっていくのだと思います。

小学生の指導に当たる田知本さん
小学生の指導に当たる田知本さん

     ◇    ◇

 対談の後、2人は小・中・高校生選手の質問に答えながら胸を貸し、指導後はインタビューに応じた。

田知本さん「あえて、もうひとつの価値を伝えたい」

 田知本さんは2017年に引退後、筑波大学大学院に進学し研究に打ち込み、2020年に英国留学する予定だった。コロナ禍によって留学が中止となるも結婚・出産などプライベートでは大きな変化を体験。現在は東京都墨田区のスポーツ健康医療専門学校に開設した「COCO Judo Academy(ココ柔道アカデミー)」で指導にあたっている。どのような心境なのか。

「留学の予定はなくなりましたが人生って、いろんなことが起きるものです。出産を経て『子どもに対して大人がやるべきことは何か』と考えるようになりました。COCO柔道アカデミーでは柔道を通じて国内外の人々と心を通わせることを大切にしています。勝つことの大切さや素晴らしさは皆が知っていることです。だから私はあえて『もうひとつの価値』を伝えていきたいです。それは金メダリストだからこその役割だと思っています」

 現在はコロナ禍に配慮し、体験会などに力を入れている。パキスタン代表としてリオと東京の両五輪に出場したシャーフセイン・シャー選手とともに活動。子どもたちが国際的な視点を身につけるため子どもたちに柔道だけでなく英語と触れ合う機会を提供し、2人が柔道を通じてつながった国際的なネットワークを生かして海外の柔道関係者とオンラインなどで交流している。

母校・雄山中学校の柔道部員に背負い投げを指導する向選手
母校・雄山中学校の柔道部員に背負い投げを指導する向選手

向選手に「ゼロ背負いを教えて」の声が相次ぐ

 向選手に対しては、瞬時に投げ技に入る「ゼロ背負い」を教えてほしいという声が相次いだ。小学生や母校の雄山中学の後輩らに胸を貸し、技をかける時に低い姿勢になる際の足裁きや、背負う時の顔の位置と視線などについて丁寧に手本を示しながら指導した。対談では「パリ五輪を意識するのはまだ早い」としたが最後は熱い胸の内を語った。

「中学の時、よくここで試合をしたことを思い出しました。田知本さんと話し、自分たちの力で富山の柔道人口を増やしていきたいと思っています。今日、元気をもらいました。子どもたちの憧れの存在であり続けられるよう頑張りたいし、パリ五輪では東京五輪の借りを返したいです」

 向選手は「まず講道館杯(全日本体重別選手権、10月29、30日、千葉ポートアリーナ)で優勝すること」と目標を伝え、会場を後にした。

※クレジットのない写真は筆者撮影

富山県の中学生選手と記念撮影する田知本さんと向選手
富山県の中学生選手と記念撮影する田知本さんと向選手

田知本 遥(たちもと・はるか) 1990年8月生まれ、32歳、富山県射水市出身。小杉高校、東海大学卒業、筑波大学大学院修了。現役選手時代はALSOK所属。柔道女子70キロ級の選手として2011年アジア選手権で団体優勝、グランプリ・アブダビ大会優勝、2012年グランドスラム・パリ大会優勝、全日本選抜体重別選手権優勝、ロンドン五輪7位、2013年アジア選手権で団体優勝、世界団体選手権リオデジャネイロ大会で金メダル獲得、2014年講道館杯全日本体重別選手権優勝、2015年全日本選抜体重別選手権優勝、グランドスラム・パリ大会優勝、2016年全日本選抜体重別選手権優勝、リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得。2017年に現役を引退し、現在は2022年6月30日に開設した「COCO Judo Academy」(https://www.cocojudoacademy.com/)で指導にあたる。

向 翔一郎(むかい・しょういちろう) 1996年2月生まれ、26歳、富山県高岡市出身。高岡第一高校、日本大学卒業、ALSOK所属、柔道男子90キロ級の選手。2014年全日本ジュニア体重別選手権優勝、世界ジュニア選手権団体戦優勝、2016年全日本学生体重別選手権優勝、2017年全日本選抜体重別選手権優勝、講道館杯全日本体重別選手権優勝、2018年グランドスラム・パリ大会優勝、グランドスラム・大阪大会優勝、2019年世界柔道選手権銀メダル、2018年グランドスラム・デュッセルドルフ大会3位、2021年東京五輪混合団体で銀メダルを獲得、2022年グランドスラム・トビシリ大会3位。身長178センチ。

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは「東洋経済オンライン」、医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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