元阪神・橋本大祐のセカンドキャリアは二刀流!? 兵庫ブルーサンダーズ監督と鍼灸整骨院院長として奮闘
(前回の話はコチラ⇒「セカンドキャリアは二刀流!? 兵庫ブルーサンダーズ監督と整骨院院長、2つの顔を持つ元阪神・橋本大祐」)
■硬式野球部監督のオファー
阪神タイガースにドラフト3位で入団するものの、1軍での登板機会に恵まれないまま腰痛を発症して3年で引退。その後、セカンドキャリアにトレーナーの道を選択し、鍼灸師と柔道整復師の国家資格を取得した。
「だいすけ鍼灸整骨院」を開業し、順調に経営するかたわら、メジャーリーガー・斎藤隆投手やドミニカにいた前川勝彦投手、大相撲の白鵬関、女子バレーボール「レッドソア」などのトレーナーとしても様々な経験を積んだ。
そして「だいすけ鍼灸整骨院」では治療だけでなく、野球をする子どもたちに正しいフォームの指導も行ってきた。
そんなある日のことだった。鍼灸や柔整を教える「近畿医療専門学校」の広報が、同校の生徒募集のチラシを置かせてほしいと訪ねてきた。そのとき、壁に飾ってあった現役時代の写真が目に留まったようで、野球話に花が咲いた。
すると後日、「うちの野球部の監督をしてもらえませんか」とのオファーが来た。「野球に関わりたい」というのは当初からの思いだった。しかも硬式野球ということで受けることにした。
とはいっても野球自体のレベルは高いわけではなく、当時は「トレーナとしての繋がりが広がるかな」くらいの気持ちで、どちらかというと指導者というよりもトレーナーの比重のほうが重かったという。
同校が教育提携をしているということもありインパルス(兵庫ブルーサンダーズの2軍)と練習することが多く、自ずとインパルスの投手も見ることになった。
続けていると2018年8月、今度は1軍のブルーサンダーズ投手陣も教えてほしいと依頼され、引き受けた。
そこで、「もっとレベルの高い指導をしないといけない。さらに勉強しなければ」と、自らセミナーを探して貪欲に通うようになった。
「トレーナーのセミナーでも投げ方とかの講習があって、こういう腕の使い方をしたらいいとか、股関節をこう動かしたらいいとか」。
これまで得た知識とリンクさせ、取捨選択しながら自分なりのピンチング理論を培っていった。
■兵庫ブルーサンダーズの投手コーチから監督に
昨年は正式にブルーサンダーズの投手コーチに就任し、多くの投手の育成に力を注いだ。そして今年、前監督の山崎章弘氏が読売ジャイアンツの巡回コーチに就いたことにともない、監督の職を禅譲された。
縁が縁を呼び、現在は「兵庫ブルーサンダーズの監督」と「だいすけ鍼灸整骨院の院長」の“二刀流”の日々を送る。「だいすけ鍼灸整骨院」も大阪市鶴見区から今年、チームの拠点である三田市に移転した。
長年愛された地から離れるのは断腸の思いだったが、「チームが地域密着を目指している中で、自分も三田の人々に愛され必要とされたいというのと、選手のケアもじっくりできるように」と、決意した。
朝から往診に出かけたあと、グラウンドで試合や練習に汗を流し、終わるとすぐにユニフォームを脱いで整骨院で勤務する。そしてまた、往診にも出る。
一日の中で「監督」になったり「院長」になったりと、2つの顔が交錯するのだ。
■「監督」と「院長」
では、自身の中で「監督」と「院長」の比重はどうなのだろうか。
「完全に切り替えている感じかな。たぶんグランドにいるときと整骨院では雰囲気が違うかもしれないなって、自分では思っている。整骨院にいるときのほうが、よくしゃべる(笑)」。
選手たちも試合や練習が終わると、こぞって「だいすけ鍼灸整骨院」にやってくる。言葉を交わして本音を打ち明け、さらには監督の手を介しての施術で気持ちを通い合わせる。
「この選手、こういうところがあるんやとか、グラウンドでは見えない性格も見えたりする。それをまた野球にも活かすことができる」。
チームにとって、たいせつなコミュニケーションの場にもなっている。
「昨年はケガ人が出たときに治療する場所がなかった。球場で鍼を打ったりして、じっくり治療ができなかった。それに選手が知らない整骨院に行って、変に投げ方をいじられても嫌だなというのもあった」。
なにより選手の体を第一に考えているのだ。もっとも身近にいて、しっかりとケアをしている。
さて今季の戦績だが、兵庫ブルーサンダーズはここまで開幕5連敗と、まだ歯車が噛み合っていない。
「若い選手が多いんで、一番難しいといわれている『勝ちながら育てる』『育てながら勝つ』ということを目指している。だから少々失敗しても使い続けたいし、結果だけを気にするなと言っている。今はまだ結果を気にして硬くなっているので、いい意味で開き直らせたいなとは思っている」。
また新人監督として、自身も「去年は試合中、ピッチャーのことだけ考えてたらよかったけど、やはりバッターのことを考えながらピッチャーのことも考えるって、なかなか難しいなというのがある。それにももっと慣れていかないといけないと感じている」と、悪戦苦闘中である。
■記憶に残る原風景
橋本監督には、今でも忘れられない原風景がある。小学生のころだ。
少年野球チームに入りたかったが、「(同級生と比べても)めちゃくちゃ小さかった。まだ骨も体もできていないから」と故障を心配する親に反対された。
社会人野球の選手だったお父さんがキャッチボールの相手をしながら教えてくれたが、昼間は一人で“野球”をした。
「家を出たらプレイグラウンドっていうのがあって、そこにでっかい壁があった。小学生、中学生、大人のバッターの絵とストライクゾーンが描いてある。それを目がけて投げるんだけど、自分で実況しながら(笑)。『第1球、投げました!』『ストライク!』とか。『1番○○』とか巨人のバッターを想定して(笑)」。
根っからのタイガースファンだったから、敵は自ずと読売ジャイアンツになる。大祐少年は飽きることなく、“一人野球”に熱中した。このおかげか、コントロールはかなりよかった。
「よく掛布さんの真似もしていた。でも下敷きは岡田さんやったなぁ(笑)」
いかにも…な大阪の子どもだ。
甲子園球場にもよく通った。「友だちのお父さんが会社の年間指定席をくれて」と月に2~3回は甲子園で声を嗄らして応援した。
今でこそチームのレプリカユニフォームを着るのが定番の応援スタイルだが、「当時は法被だった(笑)」と、タテジマの法被が甲子園での“戦闘服”だった。
だから「今でもタイガースは憧れ」だという。日々、仕事の合間に試合をチェックしては一喜一憂する。古巣の状態にはやきもきするし、監督の先輩として矢野燿大監督にも注目している。
■愛弟子たちにプロの世界を見せたい
そんな橋本監督の目標はかわいい教え子たちとのリーグ優勝であり、一人でも多くの選手をNPBに送り込むことだ。
「選手が自分の力を発揮したら、結果は自ずとついてくると思う」。
選手の力を信じ、それをバックアップすることに注力するだけだ。
「タイガースに入ってくれたら?それは嬉しい。でも、どこに入っても嬉しい。う~ん。いや、タイガースじゃないほうが、純粋に楽しめるかな(笑)」。
気持ちは揺れるが、どこの球団であれ、選手の夢を叶えてやりたい思いでいっぱいだ。そしてそれはまた、自身の夢でもある。
夢に向かって―。橋本監督は今日も選手たちと一緒に悩み、考え、歩んでゆく。