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ポスト・トゥルースは、伝説のプロレス団体UWFを例に考えるとわかりやすい。

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
柳澤健さんの1984年のUWFは、傑作。なぜ伝説、神話が生まれるかがよく分かる

フジテレビF1中継の主題歌、パチンコ屋でよくかかっていることでも知られるT-SQUAREの”TRUTH”、待望の続編発売が決定!その名も”POST TRUTH"だ・・・!

最初に強く言っておく。もちろん、これは嘘だ。フェイク(偽)ニュースもいいところだ。しかし、熱狂的なファンは信じてしまうかもしれない。ポスト・トゥルースとは、そういうことなのだ。「ファンなら、こんなの嘘だと気づくだろ」という批判がありそうだ。彼らがこんなタイトルをつけるはずがない、と。もっとも、ファンも何種類かパターンがある。熱狂的、盲目的な信者であるからこそ信じてしまうかもしれない。

オックスフォード辞典によると「ポスト・トゥルース」とは「世論形成にあたり、『感情や個人的な信念』が優先され『事実』が二の次になる状況」のことである。フェイク(偽)ニュース「だけ」が「ポスト・トゥルース」ではない。「ポスト・トゥルース」的なものは「感情や個人的な信念」が影響する。これがポイントだ。様々なメディアで取り上げられているのでご存知の方もいることだろう。先日も、TBSラジオの人気番組「文化系トークラジオLife」でも特集が組まれていた。

個人的な興味関心の範囲で言うならば、長時間労働是正の問題などの議論も、すでに「ポスト・トゥルース」化していると感じることがある。見ている事実が立場によってそれぞれ違う。いや、事実を見ていないことすらあり得る。理想やルサンチマンが混じり合う。ゆえに、クラスタによってもはや事実が二の次になり、それぞれが部分的な事実や、ベストプラクティスとされるものを取り上げて意見を言う。

ここで、注目したいのが、人はなぜ「感情や個人的な信念」を優先して、「事実」を二の次にしてしまうのか?という問いである。これまた個人的な興味関心から思い出したのは「プロレス」である。

2017年の日本においては、プロレスはほぼショーだとして認識されている。海外においては世界最大のプロレス団体WWEは、株式上場に伴いショーであることをカミングアウトをした。日本のプロレス団体においても、真剣勝負でなくてはありえない展開が散見されるようになった。もっとも、これは別に悪いことではなく、ファンもそれを承知の上で楽しんでいる。ショーだとわかっていても感情移入し、興奮し、時に涙する。「真剣勝負」や、時には「強さ」からすら解き放たれたがゆえの面白さがある。

この何をもってショーや真剣勝負かという定義も、これも厳密に議論するには時間がかかるのだが、ここではその作業を華麗にスルーして論じる。

ただ、このプロレスだが時代によっては、さらには団体によっては「真剣勝負」だと信じられていたことがある。その例の一つが、80年代にブームとなった団体、UWFである。厳密には、UWFには新旧の団体が存在していたし、そこから分派した団体も含めてU系と捉えられている。前田日明、藤原喜明、高田延彦、船木誠勝、鈴木みのる、田村潔司などが在籍していた。桜庭和志、高山善廣もUWFから生まれた団体、UWFインターナショナル出身だ。旧UWFには初代タイガーマスクであり、修斗(初期はシューティング)の創始者である佐山サトルが在籍し、中心人物となっていた。

特に新生UWFは、ロープには飛ばず、プロレスにありがちな凶器攻撃なども廃し、キック、サブミッション(関節技)、スープレックス(投技)を中心とした格闘技志向の団体だった。様々な層を巻き込み、一大ブームになっていった。メディアも「真剣勝負」であることをうたい、煽った。

この流れから、同団体や、中でも中心メンバーである前田日明に対しては、何も言えないような雰囲気が漂っていった。まさに神格化とも言えるものである。正直、新生UWFの試合をみて「面白い」と思ったことはあまりない。地味だと思ったし、メディアが煽るほどの過激さも感じなかった。前田日明には独特の怖さ、凄みを感じるものの、やや動きが緩慢にも見えた。ただ、これを面白いと思えない、真剣勝負に関する知識が足りない自分が悪いのだと猛反省していた。熱狂的なファンも周りにおり、何か文句を言うと猛烈に批判されそうで怖かった。

もっとも、「真剣勝負」という割に不可解な展開もあった。

1989年8月13日、横浜アリーナで高田延彦と船木優治(現:誠勝)が対決した。

最初に船木がキックや骨法仕込みの掌底のラッシュを仕掛け高田がダウンする。しかし、ダウンした後、明らかにカウントテンを超えているのに試合が再開される。高田が完全にダウンした後に船木は後頭部を蹴り続けるなどの行為をしているのだから、本来なら反則であり、イエローカードものだ。しかも、最後は古典的なプロレス技の「キャメルクラッチ」で高田が船木を仕留め試合が終わる。うつ伏せになった相手に馬乗りになって、顎を両手で持ち上げて相手の上半身を反らせる技だ。幼い頃のプロレスごっこの体験から、この技はよっぽどの実力差か、相手の協力がないかぎり決まらないことくらい、素人でもわかる。

私はこの試合の数年後、高校時代に近所のTSUTAYAでこのビデオを借り、実家で見た。「色々おかしい・・・」と思ってしまったのだった。自分の中でのUWF幻想、真剣勝負幻想が揺らいだ瞬間だった。

実はこの試合に関して、同じように疑問を抱いていた青年がいた。北海道大学1年生、柔道部の中井祐樹である。そう、のちに修斗に入門し、バーリ・トゥードのリングでジェラルド・ゴルドーやヒクソン・グレイシーと死闘を繰り広げ、その後、柔術家、指導者となる、あの中井祐樹だ。札幌で行われたクローズドキャプションによるライブ中継を学生にとっては大金である3,000円を払ってみた中井。この瞬間、彼はプロレスと決別した・・・。

この出来事で、あの日の中井祐樹のようにUWFを疑ったもの、決別した者もいたようだが、やはり何も言えない雰囲気が漂っていたのだと思う。

団体も選手もメディアもファンも、みんなで「真剣勝負」幻想と、熱狂をつくりあげていた。これぞ、ポスト・トゥルース的なものではないか。

いや、もちろん、それはプロレスの話であってそれをポスト・トゥルースと一緒にするなと言いたくなる人もいるだろう。わかる。心の中にいる善良な自分が「苦しいこじつけじゃないか」と問いかけている。しかし、「世論形成にあたり、『感情や個人的な信念』が優先され『事実』が二の次になる状況」とは例えばこういうことじゃないか。身のまわりで起きつつある、ポスト・トゥルース的なものを考えるキッカケにはなる。

柳澤健氏の傑作『1984年のUWF』(文藝春秋)を読みつつ、そんなことを考えた。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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