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ことしも戦力外通告が始まりました。《10/1 阪神ファーム》

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
1日に来季の戦力外が告げられた黒瀬選手。また必ず、この笑顔が見られますように。

きのう1日、鳴尾浜球場で予定されていたオリックスとの練習試合は雨天中止となりました。10時頃から少しずつ降り始めて時おり止んだりもしていたのですが、午後は予報通りの雨。試合は無理だったでしょうね。私は仕事の都合で、鳴尾浜に着いたのは13時すぎ。ウエートルームから出てきた横山投手に会ったとき「この雨は?」と聞いたら「僕で~す」と即答されました。ほんとに?「はい、先発予定!」…さすがです。ちなみに5日から始まるフェニックスリーグでは“開幕投手”を務めるそうですよ。

渡辺投手は引退を決断

朝9時前、みんなが練習のためグラウンドに出てくる中で、姿の見えない選手がいたとの連絡を受けました。きのう1日は、来季の契約を結ばない旨を球団から告げられる“戦力外通告”が解禁となった日です。スタンドでご覧になっていたファンの方々にも、それは伝わったことでしょう。いなかったのは加藤投手、渡辺投手、黒瀬選手の3人です。加藤康介投手(37)については何も発表がないので、今回は書けなくてすみません。

鳴尾浜最後の公式戦(9月26日)で整列したところ。右端が渡辺投手です。
鳴尾浜最後の公式戦(9月26日)で整列したところ。右端が渡辺投手です。

渡辺亮投手(33)は、13時から球団事務所で現役引退の会見を行いました。13時35分にはもう鳴尾浜に来て、柴田選手や室内で打っていた西田選手らと話をし、その後は寮の中で監督やコーチ、選手たちと会ったようです。会見で「この小さな体でよくやったと思う」「やり切った。悔いはまったくない」と語ったように、スッキリした表情でした。逆に、握手を交わす後輩たちの方が複雑な面持ちです。それはそうでしょうね。

10年間、ありがとうございました。

現役続行を目指す黒瀬選手

午前に球団事務所で“通達”を受けた黒瀬春樹選手(30)は、11時頃に鳴尾浜を訪れ挨拶して帰ったとのこと。直接は話を聞けなかったのですが、いや…直接話さなくて済んで少しホッとしている自分もいました。やはり当日は辛すぎます。また機会があるはずなので、何か聞けたら書かせていただきます。ということで、今回は教えてもらった当日のやり取りをご紹介しましょう。

前日の9月30日は神戸サブ球場で行われたオリックスとの練習試合に出場していた黒瀬選手。“連絡”があったのは、その夜だったようです。自宅で電話を受け、家族にも伝えました。きのう1日、鳴尾浜にスーツ姿で現れて取材に応じ「球団事務所に行ってきました。しょうがないです。実力がなかった。寂しいですけど…」と、しんみりとした口調だったそうです。

9月30日、オリックスとの練習試合での打席。
9月30日、オリックスとの練習試合での打席。
試合後にみんなでハイタッチ。中央が黒瀬選手です。
試合後にみんなでハイタッチ。中央が黒瀬選手です。

今後について「まずはトライアウトを受ける予定です。今のところなので、変わるかもしれないんですけど」と話しています。そして「これまで野球しかやってこなかったし、野球しか知らない。できるだけ野球を長くやりたいです」とのこと。

前日の練習試合では7回に代打で出場した黒瀬選手。結果的にタイガースの選手として最後となってしまった打席は、9回無死満塁でサードのエラーを誘う打球を放って走者を還しました。そのあとさらに追加点が入り、田上選手の左前タイムリーで生還。15対4の大勝に貢献しています。今思えば試合後、勝利のハイタッチをしている顔に笑みがなかったかも…。

甲子園でヒット、感謝の思い

「僕が感謝する側なのに、本部長のほうからも感謝されました。トレードで来てくれてありがとうと。西武から呼んでもらって、僕のほうが感謝したいです」と、この日の球団事務所で高野本部長との会話を振り返りました。2011年5月に移籍してからの思い出を聞かれ「タイガースのユニホームを着て甲子園での試合にも出られた。1軍で、甲子園でもヒットを打てました」と答えています。2013年8月1日、甲子園の中日戦で放ったのがセ・リーグ初ヒットでしたね。

鳴尾浜での試合後、チームメイトと談笑しながら引き揚げてくる黒瀬選手。
鳴尾浜での試合後、チームメイトと談笑しながら引き揚げてくる黒瀬選手。

県岐阜商高の先輩であり、西武時代もお世話になった中日・和田一浩選手に「連絡はしました。詳しいことがわかったら、また知らせてくれと言われた」そうです。オフの自主トレも一緒にやっていたんですよね。そんな大先輩も今季でユニホームを脱ぐことになりました。黒瀬選手は現役続行を目指す予定です。また相談に乗ってもらうこともあるでしょう。

ことしは2月の安芸キャンプ初日に右ふくらはぎの張りで別メニューとなったのですが、その後に内野手の離脱が相次いだこともあって2月下旬からの練習試合には頑張って出ました。でもやはり無理をしたのか、ウエスタン公式戦は4月からの出場となってしまった今季。本人は何も語りませんが、悔やまれるシーズンだったかもしれません。その悔いを晴らす機会がありますように。もう一度、1軍でその姿が見られますように。

ことしの12球団合同トライアウトは11月10日(雨の場合は11日)に、静岡の草薙球場で行われます。

「ずっとライバルだった」

9月30日に現役引退の会見を開いた関本賢太郎選手について、“同期”の濱中治ファーム打撃コーチに話を聞いてきました。

「タイガースに入った時、10年はやろうなって2人で言っていたんですよ。それは2人ともクリアできましたね。でも19年もやるとは思ってなかったですねえ。僕も15年もできるとは。セキは僕に負けたくないと思っていたでしょうし、僕もセキには負けたくないと思いながらやってきました」

同い年で同期入団で、常に比較されてきた2人ですからね。「内野と外野だったけど同じ野手として、ずっとライバル関係でした。セキより長くやらなあかんと思ったし、セキも同じだったはず。僕が先に辞めて、解説で球場へ行くと『違和感あるわ~』と言ってたんで」。なるほど、関本選手にとっては“濱中選手”でなくちゃいけなかったんですね。きっと。

今回の決断については「ちょっと前から、引退はほのめかしていたんですよ。福岡で一緒にご飯を食べた時に話をして、気持ちの上で限界を感じていたみたいです。やっぱり、ことしは2度もファームに落ちたこともあったんでしょう」と濱中コーチ。9月4日、5日のウエスタン・ソフトバンク戦(ヤフオクドーム、雁の巣)で遠征した福岡のことですね。「(同8日に)1軍へ上がる時も『こんな気持ちのまま上がっていいのかな』と言っていました」

ところが「そう言っといて、そのあと10打数6安打ですよ!どうすんの?と思った」と笑います。でもすぐ真顔になって「そしたらメールが来たんです」と。やはり気持ちはもう決まっていたんですね。「お疲れ様と言いました。本人もホッとしているでしょう。まだ1軍にいるし試合もあるけど、10月4日が終わったらゆっくりしてほしいですね。体を酷使してきたので、休んでほしい」と労います。

最後にもう一度「ほんとによく頑張ったと思います。なかなかできないですよ、19年間も」と繰り返したあと、濱中コーチはこう締めくくりました。

「セキがこれから何をするのかはわからないけど、いつかは同じフィールドで、コーチとして同じユニホームを着たいという思いは、正直あります。いいライバルだった。今でもそうです」

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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