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キタサンブラックを巡る北島三郎オーナーと調教師の縁、今は亡き後藤浩輝騎手との逸話

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
キタサンブラック。鞍上は武豊騎手、左端はオーナーの北島三郎氏

クジに当たったオーナーとの縁

 丁度7年前の2015年2月22日。

 東京競馬場で1頭の3歳牡馬がデビュー2連勝目を飾った。

 「最初に見たのは1歳の時でした。肉がつききっていなくて、ヒョロッとしたイメージというのが第一印象でした。その後、2歳の暮れに入厩したけど、その時もまだ華奢な体つきに変わりはありませんでした」

 「ただ、細いというだけで、痛いとか痒いとか、そういった面は全くない丈夫な馬でした」と管理した調教師の清水久詞が評したこの馬がキタサンブラック。後に武豊とのコンビで有馬記念(GⅠ)や春秋の天皇賞(いずれもGⅠ)、ジャパンC(GⅠ)などGⅠを7つも制す名馬だった。

2017年有馬記念を制したキタサンブラック
2017年有馬記念を制したキタサンブラック

 ご存知のように同馬のオーナーは日本国民なら誰もが知る歌手の北島三郎氏。同オーナーと清水との出会いは全くの偶然。比喩的な表現ではなく、本当に「籤に当たった」のだと清水は言う。

 「2009年に調教師試験に合格し、当初は1年間の技術調教師を経てから開業する予定でした。ところがその年、現役の調教師が急逝され、3人の技術調教師のうち2人が急きょ前倒しで開業する事になりました」

 籤引きの結果、清水の開業が決まった。そして、亡くなられた調教師から引き継いだ馬の中に北島オーナーの馬がいた。

 「それからの縁でキタサンブラックもやらせていただく事になりました。幸運でした」

キタサンブラックの北島三郎オーナーと清水久詞調教師(右)
キタサンブラックの北島三郎オーナーと清水久詞調教師(右)

血統より実馬を重視

 こうして育てる事になったキタサンブラックを、15年1月31日の新馬戦でデビューさせた。舞台となったのは東京競馬場の芝1800メートル。母の父が名スプリンターとして有名なサクラバクシンオーだったが、この距離でデビューさせる事に指揮官は迷いを持っていなかった。

 「自分の場合、血統はあくまでも参考程度に考えていて、あくまでも実馬を重視して使うところを決めています。キタサンブラックの走りを見る限り長い距離でも問題ないと判断したので、1800メートル戦でデビューさせました」

 この柔軟な考えが、後に同馬をGⅠ7勝馬へと導いて行く。

 その思惑通り、新馬戦で強い勝ち方をすると、2月22日に走った2戦目は更に距離を延ばして2000メートルとした。そして、結果ここを連勝。それも、後のGⅠ馬らしい圧勝劇を演じてみせたのだ。

 「(3000メートルの)菊花賞を勝っても春の天皇賞(3200メートル)に行く時に『距離は大丈夫か?』と言われたものです。さすがに天皇賞を勝った後は誰も距離については触れなくなりましたけど……」

2015年の菊花賞(GⅠ)を制した際のキタサンブラック
2015年の菊花賞(GⅠ)を制した際のキタサンブラック

デビュー戦に騎乗した今は亡きジョッキー

 清水は距離に関して苦笑交じりにそう続けた。

 ところでこの初戦と2戦目には距離以外にも1つ、大きく変わったところがあった。2戦目で手綱を取ったのは北村宏司。後にキタサンブラックと菊花賞(GⅠ)を勝つコンビがここで形成されたのだ。ちなみに初戦で騎乗したのは後藤浩輝だった。

 キタサンブラックの2戦目となった2月22日、後藤は京都競馬場での騎乗が決まっており、乗り替わりとなった。その京都で後藤は2勝をあげたのだが、それから僅か5日後、彼は帰らぬ人となってしまった。果たしてその日、京都へ行かず、東京でキタサンブラックの2戦目に騎乗していたら、彼の人生とキタサンブラックの馬生はその後、どうなっていたのだろう……。考えてもせんない話ではあるのは分かっているが、そう思わずにはいられない。

在りし日の後藤浩輝騎手。キタサンブラックのデビュー戦では彼が騎乗していた
在りし日の後藤浩輝騎手。キタサンブラックのデビュー戦では彼が騎乗していた

 あれからもう7年目。キタサンブラック産駒のイクイノックスが昨年の東京スポーツ杯2歳S(GⅡ)を優勝。これが産駒の初重賞制覇となった。種牡馬キタサンブラックの活躍に、果たして後藤が空の上からエールを送っていると信じたい。

昨年の東京スポーツ杯2歳S(GⅡ)を優勝したのはキタサンブラック産駒のイクイノックスだった
昨年の東京スポーツ杯2歳S(GⅡ)を優勝したのはキタサンブラック産駒のイクイノックスだった

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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