ろくでなし子さん再逮捕は幾ら何でもひどすぎる
ろくでなし子さんの再逮捕と、北原みのりさん逮捕というニュースには驚いた。幾ら何でもこれはひどすぎる。前回の釈放後、ろくでなし子さんがあくまでも闘うという姿勢を見せていろいろな発言をしてきたことへの威嚇なのだろうが、表現に関する問題でここまで警察権力がやり放題というのは無茶苦茶だ。
そもそも前回の逮捕についても相当乱暴だったが、その後も起訴でもなく不起訴でもなくという状態を維持しておいて、今回のように言うことを聞かないとさらに強権を発動するというのは、相当卑劣だ。実は、警察がいきなり強制捜査に入ってから処分が決まるまで何カ月も経過するという、こういうやり方は、先頃最高裁判決が出たビデ倫事件もそうだし、篠山紀信さんの写真集摘発事件もそうだった。
逮捕後の勾留は23日が限度で、そこで起訴か不起訴か決められるのだが、ろくでなし子さんのように釈放された場合は、起訴か不起訴か結論を出す期限というのがないので、警察の出方次第という状態がずっと続くことになる。容疑をかけられた側からすると、起訴されるならそれで裁判で闘うという決意にもなれるのだが、どうなるかわからないまま何カ月も経過するというのもかなりの苦痛だ。その間、恭順の意を示さない者に対しては、今回のように見せしめが行われるわけで、警察権力の行使のしかたとしてもひどすぎると言うほかない。
前述したビデ倫事件は、2007年8月に日本ビデオ倫理協会という自主規制審査団体にワイセツ図画販売幇助といった容疑で強制捜査が入ったものだが、7カ月も経た08年3月に関係者が逮捕され起訴される。その間、関係者の事情聴取が執拗に行われ、その一連の捜査自体が大きな圧力となって、裁判で判決が出る頃にはビデ倫という組織自体が壊滅してしまっていた。
かつて大島渚監督が健在だった時代には、表現に権力が介入することに対しては、大きな反対の声が上がり、ワイセツをめぐって大論争が起きたものだが、ビデ倫事件など裁判の過程でマスコミも取り上げなくなり、先頃の最高裁判決の報道などほとんどベタ記事扱いだった。表現に権力が介入するといったことに対して、ジャーナリズムの意識も鈍感になってしまったのだ。
ろくでなし子さんの主張や表現に対しては賛否いろいろな意見があるのは当然だろう。しかしその言論や表現に対して、警察が暴力的規制を行うことについては反対だという、そういう社会的コンセンサスがかつてはあったと思う。最近はそういう社会的空気が希薄になってしまったために警察がやり放題になっているといえる。
前回の逮捕時もそうだが、今回もネットで不当逮捕に抗議する署名運動が行われているのがせめてもの救いだ。
前回の釈放後、『創』9・10月号に、ろくでなし子さんへのインタビューを掲載したものを、昨日、「ヤフーニュース雑誌」に無料公開した。ぜひ読んでいただき、今回の逮捕について関心を持ち議論してほしい。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141204-00010000-tsukuru-soci