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【オウム裁判】「事件に関わった者の責務」とは何か

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

オウム真理教元信者の平田信被告の第8回公判には、仮谷清志さんを拉致した際に使われたワゴン車を運転していたM元信者(48)が弁護側証人として出廷した。もっとも、証人席は衝立で隠され、傍聴席からその様子を見ることはできない。

事件当時、Mは井上嘉浩幹部(死刑囚)の部下だった。井上に命じられ、もう一名と共に、教団が偽造した運転免許を使って車2台をレンタル。最初は乗用車を運転して、東京都杉並区の井上らのアジトから現場まで向かい、その後ワゴン車に乗り換えて、拉致現場から東京・世田谷の芦花公園前路上まで仮谷さんや拉致の実行犯らを運んだ。その後、車を洗ったり内部を拭いたりして指紋などの証拠を消す作業をしたが、レンタカーの申込書に残っていた指紋から、警察がMと特定。それが報道されると、教団は彼の指紋を消す手術を行って、捜査を免れようとした。それでも逮捕され、仮谷さんの事件などで、懲役4年の実刑判決を受け、服役した。

無思考・無責任主義が多くの信者を犯罪に動員

弁護人の質問に対しM元信者は、事前には計画をまったく知らされなかった、と述べた。それまでも、井上の下で違法行為も含めた活動などに関わったが、指示をされる時には、詳細を告げられないことが多かった、という。井上からは、「言われたことだけやって、後は気にするな」と言われ、「私に言わないことは、聞いてはいけないこと思っていた」。なので、指示の目的などが分からなくても「あえて聞かないようにしていました」。あの教団内では、きわめてありがちなことだ。

「言われた通りにやっていれば、私の責任じゃないみたいな、責任逃避みたいなところがありました」

これは、元信者で最初に出廷したA子証言にも通じる。教団は、信者たちが得られる情報を限定し、考える力と機会を奪うことで、自分の行為が何をもたらすかについて思いを巡らす想像力を失わせ、責任も持たない人々を量産した。この無思考・無責任主義によって、多くの信者が犯罪に動員されることになった、と言えるだろう。

仮谷さん事件も、現場で誰かを車に連れ込むことは分かったが、犯罪とまでは考えていなかった、とM元信者。実際に実行メンバーが仮谷さんを力尽くで押し込む際、「助けてくれ」と叫ぶ声を聞いて、初めて犯罪行為と分かり、気が動転した、という。

平田被告も、事前に計画を知らされていなかったと述べており、M元信者は弁護側の主張を補強するための証人と言える。

事件の記憶はすでに曖昧

ただ、事件の状況については、M元信者の記憶はかなり曖昧だ。

平田被告の裁判では、これまで5人の元信者が証言している。事前に、捜査段階や裁判での供述を読み直すなどの記憶喚起をしていたこともあるのだろうが、19年という歳月が経過したわりには、いずれもかなり詳しい証言を行った。たとえば、仮谷さん拉致事件の実行犯の1人、中村昇幹部(無期懲役受刑囚)は、車内で実行前の謀議をした際の人の座り位置も記憶していた。

一方、M元信者は詳細をほとんど覚えていない。弁護側の問いに、謀議の時も含めてワゴン車内では平田被告の姿を見たことは「ありません」と断言したが、検察側や裁判官に確認されると、「(車内に)誰が入ってきたという明確な記憶がない」と認めた。

そもそも、「知ってはいけないこと」という意識で、深く関わらないようにしていたので、事件を計画した元幹部らに比べて情報は圧倒的に少ない。責任も、幹部に比較すれば小さい。それに、厳しい刑罰によって、日々、事件の責任と向き合わざるをえない元幹部たちとは違い、M元信者は服役を終えて社会に復帰することができた。今は、教団に関わったことは隠して、普通の生活を送っている、という。そんな彼にとっては、教団のこと、とりわけ苦い思い出である事件は、忘れたい過去だろう。日常生活を送っていれば、考えなければならないことが次々に起きる。そうこうしているうちに、事件の記憶はますます薄らいでいったのではないだろうか。

それは、仕方がないことなのかもしれない。オウムの元信者であり元受刑者であるという二重のハンディの中で、彼は必死で自分の人生を立て直してきたのだろう。彼自身の人生は大事だ。過去は過去として、充実した人生を歩んでもらいたい。

それでも、私には釈然としないものが残った。

止まった示談金の支払い

遺族は、事件の関係者を相手に民事裁判を起こしていたが、M元信者については出所後に示談に応じた。示談金は480万円。平成13年から毎月2万円の分割で20年間かけて支払うことになった。遺族とすれば、支払われるお金よりも、それを通じて彼が事件について考え続けることを期待していたはずだ。ところが、彼が支払ったのは、53回106万円のみ。約束の3分の1にも満たない。それも、3年半ほどで何の断りもなく支払いをやめ、遺族の代理人弁護士の督促でようやく再開したものの、1年も続かなかった。2007年1月を最後に、支払いもなく、それについての説明も連絡もない、という。

法廷では、弁護人に遺族に対する心境を聞かれ、M元信者は「本当に申し訳ありません」と謝罪。ぺこりと頭を下げたらしい。「この事件に関わった私の責務と思って証言しました」とも述べた。だが、閉廷し傍聴人が退出すると、彼は礼の一つもせずに遺族の横を通り過ぎて出て行った、という。

彼にとって、事件に関わった者の「責務」とは何なのだろうか。

せめて、忘れないで

元信者といっても、様々だ。心の呪縛が解ければ、その人の本来の人間性が見えてくる。過去の向き合い方や責任の取り方に違いが出てくるのは、当然と言えば当然かもしれない。中には、事件とはまったく無関係だったのに、あのような教団に関わったことが申し訳ないと、苦しい生活の中で、サリン事件の被害者に寄付を送り続けた元信者もいる。一般の元信者が、そこまでの自責の念を持つ必要は、もちろんない。

けれど、事件に関わった人は、せめて事件を忘れない。被害者遺族との約束は守る――それは、過剰な要求ではないだろう。今回の証人出廷を機に、もう一度にM元信者には考えてもらいたい、と思った。無思考・無責任主義のオウムとは違い、この社会にあっては、自分が何をなすべきかは、自分で考えることだ。

裁かれている平田被告は、法廷で入退廷のたびに、丁寧に遺族に向かって頭を下げる。彼には、今の気持ちをずっと持ち続けてほしい。そして、自分がなすべきことを自分で考え、自分の言葉で語ってもらいたいと強く願う。自ら逃亡にピリオドを打った彼が、被告人質問において、何を語るのか。それを、待ちたい。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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