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フィクションの中のセリフが人と社会を傷つけるとき ― 漫画「島耕作」問題を考える

志田陽子武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。
語られた言葉はフィクションの中のセリフだが、影響を受けるのは実在の人々である(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

できごと

講談社発行の漫画週刊誌「モーニング」46号(10月17日発売)掲載の「社外取締役 島耕作」(作:弘兼憲史)の中に、辺野古の米軍新基地建設に関連した登場人物のセリフがあった。講談社には市民による抗議があり、SNS上にも漫画がデマを広げているとの指摘が上がった。

問題となったセリフの要点は、「抗議する側もアルバイトでやっている人がたくさんいますよ 私も一日いくらの日当で雇われたことがありました」という部分である。

この件について講談社は10月21日付で、以下の謝罪文を公表している。

「モーニング」46号掲載の『社外取締役 島耕作』(作:弘兼憲史)におきまして、米軍新基地建設に関連し、「抗議する側もアルバイトでやっている人がたくさんいますよ 私も一日いくらの日当で雇われたことがありました」という登場人物のセリフがありました。

本作執筆にあたり作者・担当編集者が沖縄へ赴き、ストーリー制作上必要な観光業を中心とした取材活動をいたしました。その過程で、「新基地建設反対派のアルバイトがある」という話を複数の県民の方から聞き作品に反映させました。しかし、あくまでこれは当事者からは確認の取れていない伝聞でした。にもかかわらず断定的な描写で描いたこと、登場キャラクターのセリフとして言わせたこと、編集部としてそれをそのまま掲載したことは、フィクション作品とはいえ軽率な判断だったと言わざるを得ません。

読者の皆さまにお詫びするとともに、編集部と作者の協議の上、単行本掲載時には内容の修正をいたします。

モーニング編集部

弘兼憲史

講談社モーニング 公式サイト掲載「モーニング46号(2024年10月17日発売)『社外取締役 島耕作』に関するお詫びとお知らせ」

https://morning.kodansha.co.jp/news/5670.html

筆者はこの件で21日に琉球新報から取材を受け、談話を提供した。この談話は22日の琉球新報・23面(紙版)に掲載されたが、新聞の常としてかなり圧縮したものになっているので、Yahoo!に筆者の圧縮前のコメントに加筆して投稿することにした。

漫画内のセリフの位置づけ

問題となったセリフを、直前・直後の部分も入れて引用する。

「あ あそこが辺野古か!」

「はい 水面上にフェンスが張り巡らされて 外に何隻か漁船が泊っているのが見えますか?」

「あ 見えるな あれは何?」

「あれは反対派の抗議船が来ないか監視しているアルバイトの漁船です 結構いいおお金になるみたいですよ」

「へえー そんなアルバイトがあるんだ!!」

「抗議する側もアルバイトでやっている人がたくさんいますよ 私も一日いくらの日当で雇われたことがありました」

「抗議活動をしている人達の中には県外から来る人もいると聞いたことがある」

「反対する人が多い理由のひとつに基地移転のサンゴ礁などの自然系が破壊されるのではないかという懸念があります」

(モーニング46号電子版p.18-20より)

 辺野古基地建設反対運動の話題はここで終了し、この後の登場人物の関心は日本のセメント業界の話題へと移っていく。辺野古問題は、正面から取り組む話題としてではなく、本題に入る前の世間話として使われている。島耕作たちがゴルフに興じたあと、ゴルフ場のテラスで昼食をとりながら、辺野古の埋め立て工事の様子に目を止め、「あれは何?」と尋ね、この地域に熟知している女性が答えることで、この会話が進んでいく(正確にはこの女性は「ここでキャディをやったことがあるのでこの(ゴルフの)コースは熟知している」人物設定で、この地域の基地建設問題について熟知しているとは書かれていないが、漫画の中ではしっかり者で知的・有能な人物として描かれ、この場面で語り役となっている。

ここで主人公・島耕作は聴き役として相槌を打ちながら、この女性の語りを肯定し、読者にこの女性の語りが信頼すべきものであるという印象を与えている。この女性の語りは、この作品中、疑問のあるもの・立ち止まって考察すべきものとしてではなく、この漫画そのものの語り(ナラティブ)として読者に伝わる。

比較として、過去にプライバシー侵害と認定され差止めまでが認められた例として、小説『石に泳ぐ魚』事件判決(2001年最高裁判決)がある。これはモデル小説中のモデルが誰だかわかる書き方となっていたこととともに、作中の登場人物のセリフの中にそのモデルに対する過酷で侮蔑的な内容が含まれていたことも問題となった。しかしこれらのセリフは《日本社会の生きにくさ》を表すために配置された登場人物による言葉であって、小説作品ないし作者自身の地の言葉とは異なる。この点について筆者は裁判所の判断に若干の疑問を感じたが、それでもやはり総合的に見てこれらの表現はモデル本人を精神的にいたく傷つけ、日常生活を害するほどの負担を与えてしまっているということで上記の判断となったことには、権利救済の問題として理があると考えている。

これに対して、今回の件は、くだんのセリフは、作品ないし作者の言葉として理解できる。考えてみると、そもそもの設定として、企業の社外取締役レベルの人物がセメント関連の事業を目論んで沖縄に来て、交渉候補者と辺野古近辺でゴルフをしているという設定でありながら、辺野古基地問題をまったく知らず、漫画内でただ「うなずき役」を演じているというのは不自然で、読者として違和感をもつ。が、「島耕作は意外に不勉強な人物で、思い付きで事業の夢を見ては下調べもせずに現地に来て、出会った人に社会人として必要な知識を教えてもらうという成長ドラマの中の聞き役キャラなのだ」と理解することは一応できる。そしてそうであればなおさら、主人公に知識を教える語り役の女性のセリフが、この作品のナラティブなのだ、ということになる。

繰り返されてきた「日当」デマと嫌がらせ

この「日当アルバイト」の話は、以前から繰り返されている問題で、テレビの報道番組の中でこれが語られたことについては、裁判が起こされ、司法判断も出ている。沖縄・辺野古基地建設反対運動について2017年にMXテレビの番組「ニュース女子」が放映したDHCテレビジョン(現・虎ノ門テレビ)制作の内容について、市民団体「のりこえねっと」代表がこれを名誉毀損として訴えた裁判である。一審・東京地裁は、番組の内容が《暴力や犯罪行為もいとわない者らによる基地反対運動を、原告が経済的に支援し、あおった》とするものだったと認め、この内容を裏付ける根拠(重要部分についての真実性の証明)がないとして、この番組が原告の名誉を傷つけたと判断した(2021年)。この一審判決を、二審・東京高裁(2022年)も、上告審・最高裁(2023年)も、支持した。

これはメディアの「表現の自由」と、報道対象となった人々の人格権とが衝突した場合について考えさせられる、大きな問題だったので、メディア関係者にはぜひ知っておいてほしい事例である。

また、この件は、この名誉毀損訴訟とは別に、BPO(放送倫理・番組向上機構)によって放送倫理検証委員会(以下「BPO委員会」)による検証も行われ、「重大な放送倫理違反がある」との指摘を受けた。ここで指摘されたことのうち、本稿で参考になるのは以下の点である。

・持ち込み番組の完成パッケージについてテレビ局が考査を行わなかった。

・番組は、抗議活動を行う側に対する取材をおこなっておらず、それをテレビ局も問題としなかった。

・「日当」という表現の裏付けを確認しなかった。

・侮蔑的表現のチェックを怠った。

テレビやラジオなどの放送事業者には、放送法によって、真実報道などの報道倫理ルールが課されており、この倫理に照らして問題があるときには上述のBPOが調査検討をおこなう。出版業にはこうした法令による規制はなく、また今回の問題は報道ではなくフィクションを含む漫画であるため、こうしたコンプライアンスの要請は、法的なものではなく社会的なものにとどまる。こうした違いがあることはたしかだが、しかし出版メディアの社会的意義から考えて、放送メディアの倫理のうち人格権にかかわる問題については、ぜひ参考にしておいてほしいところである。

このような背景があることを考えていくと、今回の件は、フィクションの中のセリフではあっても、「不適切表現」の事例に当たる。まず、上記の背景にあるように、実在する人々の評価や人格を具体的に貶める表現になっているからである。また同時に、この表現は、社会の民主的プロセスに歪みを生じさせる可能性が高いからである。したがって、今回の件については、当事者の人格権(名誉)と、社会へのデマ拡散の影響を回復する手立てとして、おわびと訂正は必要だった。

この表現がなぜ人の評価や人格を貶める表現となり、社会の民主プロセスを歪める可能性があるのか、そして表現者が修復すべきは何なのかについては、稿を改めて論じたい。

武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。

東京生まれ。専門は憲法。博士(法学・論文・早稲田大学)。2000年より武蔵野美術大学で 表現者のための法学および憲法を担当。「表現の自由」を中心とした法ルール、 文化芸術に関連する法律分野、人格権、文化的衝突が民主過程や人権保障に影響を及ぼす「文化戦争」問題を研究対象にしている。著書に『文化戦争と憲法理論』(博士号取得論文・2006年)、『映画で学ぶ憲法』(編著・2014年)、『表現者のための憲法入門』(2015年)、『合格水準 教職のための憲法』(共著・2017年)、『「表現の自由」の明日へ』(2018年)。

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