浦和から欧州へ旅立つ“日本の宝” GK鈴木彩艶 西川周作の約束、早川隼平が受け取った置き土産
■8月6日、シントトロイデンへの移籍を発表 11年在籍した浦和に“別れ”
マイクの前に立ち、まずは四方のスタンドにそれぞれ体を向け、丁寧にお辞儀をした。スピーチを終えると再び四方を向いて深々と挨拶。浦和レッズからベルギーリーグのシントトロイデンに期限付き移籍することが発表されたGK鈴木彩艶は、横浜F・マリノス戦の終了後にピッチに出て、ファン・サポーターに別れの挨拶をした。
「この大きなクラブで約11年間、サッカー選手としてはもちろん、人として大きく成長することができたと思います。この移籍が良かったと思ってもらえるよう、世界のピッチで闘っていきたいと思います」
約3分間、率直な想いを、丹念に練った文章でよどみなくスピーチした。
スタンドに手を振りながらスタジアムを一周している時は、浦和サポーターからはもちろんのこと、横浜FMのサポーターからも「頑張れよ!」と激励の声や拍手を受けた。
いずれ日本を背負うべき選手。誰もが期待を寄せるポテンシャルを持つ男は、最後に浦和ゴール裏からの「ザイオン!」コールをしかと受け止め、ピッチを後にした。
「お前が守るのはゴールと若いレッズの未来だ。翔け彩艶」
手書きの横断幕の言葉を胸に刻んだ。
■18歳でリーグ戦先発も、奪えなかった正守護神の座
埼玉スタジアム誕生から20年目という節目の年だった2021年。浦和ユースからトップチームへ昇格したばかりの18歳の彩艶は、3月2日のルヴァンカップ・湘南ベルマーレ戦に先発し、公式戦デビューを飾った。3月27日のルヴァンカップ・柏レイソル戦で埼スタデビュー。5月9日にはJ1リーグ・ベガルタ仙台戦でリーグ戦デビューを果たし、2-0の無失点勝利に貢献した。
彩艶は「(小学5年生だった)11歳のとき、このスタジアムの雰囲気とプレーする選手たちに夢見て浦和レッズジュニアに入った。仙台戦に無失点で勝利したときは、ジュニアのときからやってきて良かったと思ったし、このクラブの大きさを改めて感じた瞬間だった」と語っていた。
仙台戦は、この試合の2カ月前の3月に、3年4か月ぶりの日本代表選出を果たしていたGK西川周作が控えに回り、ベンチに座っていたという点でも特別な試合だった。当時の指揮官であるリカルド・ロドリゲス監督が「練習やルヴァンカップでの彩艶のパフォーマンスを評価した」と起用理由を話したように、西川の負傷でチャンスが回ってきたわけではないことに価値があった。
だが、世代交代を思わせる時期は長く続かなかった。仙台戦から6試合連続でリーグ戦の先発を任されたが、東京五輪に向かうU-24日本代表に活動に絡んだコロナ禍中の特別ルールが不運に作用するなど不慮の事態も降りかかった。東京五輪はメンバー入りしたものの、守護神の座を手にすることは叶わず、五輪以降は浦和でも出番を失った。
レギュラーの座を獲得すると意気込んでシーズンをスタートさせた2022年もリーグ戦の出場2試合、カップ戦2試合。7月には森保一監督が率いる日本代表に選出され、EAFF E-1 サッカー選手権の香港戦で代表デビューを飾っており、能力に疑いはない。しかし、マチェイ・スコルジャ監督が就任した今季はカップ戦に5試合出場したが、リーグ戦は出場機会がなかった。
横浜FM戦後に報道陣の囲み取材に応じた彩艶は、西川について、「越えなければいけない存在でした。越えて、試合に出場してから移籍したいと考えていましたが、それを達成できなかったことで自分の力不足を痛感しています」と、率直に思いを語っている。
■西川周作「ジョアンGKコーチの教えが世界に通用することを彩艶が証明してくれる」
横浜FM戦後は、西川にも話を聞くことができた。西川は彩艶の人間性がチームに与えた影響をこのように語った。
「彼と数年一緒にやって来られたことは、自分のためにもなったし、チームのためにもなったんじゃないかと思う。彼の存在価値は、近くにいてよく分かっている。練習に対する姿勢や試合に対する姿勢もそうだし、試合が終わった後の片付けも一人でやっている。しかも、自分が先発した試合でも片付けをする。普通はできないことを彼はブレずにずっとやっている。きょうも、みんなが脱いだものを綺麗に片付けていた。試合に出る出ないに関係ないんです」
そう言った西川は「人間的にも本当に素晴らしい姿を見せてくれた。だからこそ、みんなが『ザイオン、頑張ってこいよ』と、気持ちよく送り出しているのだと思う」と続けた。
さらに西川は、シンプルなはなむけの言葉にとどまらず、彩艶との“約束”があることも明かした。
それは、シントトロイデンでの彩艶のプレーを映像で観戦し、分析や感想を伝えること。浦和では2022年に就任したジョアン・ミレッGKコーチの門下生であるGK4人が、普段から試合翌日に重要な局面に関して見解を述べ合うディスカッションの時間を設けている。その目線をこれからも持ち続けるという約束だ。
「彩艶には、ベルギーで試合に出たら、どんな時間に試合があっても必ず、彩艶がどういうプレーをするかを見るよと伝えています。ジョアンコーチの教えを受けながら浦和で2年間(約1年7カ月間)やってきたことをどう生かしているのか、世界に通用するのか。それを彼自身が証明してくれると思います。浦和でのジョアンのGK塾の授業が間違ってないんだというところを、世界で証明してほしい。僕はJリーグで証明します」(西川)
■17歳の早川隼平が学んだ「人と群れず、自分の準備に時間を費やすこと」
自身が育った浦和の育成組織のことを日頃から気に懸けている彩艶は、惜別のスピーチで「アカデミーの選手たちの目標となれるよう、そしてなり続けられるように、闘っていきます」とも語っていた。
浦和のアカデミーで彩艶の3つ下になる早川隼平は、彩艶から受けた影響が大きい選手の1人だ。
「自分はジュニアユースからだったので、アカデミー時代は(重なっていたのは)少しの間でしたが、そこでの行いも人一倍違うところありました。練習場に来る早さもそう。人と群れるのがダメとは言わないが、群れる時間を少なくして自分の準備に費やす時間にするなど、学ぶところがあります。そういうところが凄いなと思うし、それでプレーもあんなに凄いんですから」
早川は、彩艶が惜別のスピーチを立派にやり遂げた様子を見て、ロッカールームで思わず「(スピーチが)凄かったです」と言ったそうだ。彩艶から返ってきたのは「ああいう場でしっかり話せるようになれよ」という茶目っ気のあるアドバイス。横浜FM戦は早川にとって記念すべきJ1リーグ初先発の試合。ここから大きく成長していくに違いない。
彩艶は最後に「世界のピッチで浦和人としての誇りを胸に闘ってきます。約11年間、本当にありがとうございました。行ってきます!」と声を張って言った。覚悟を決めた力強い声だった。