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観光地・能登を襲った地震から10年〜発生が少ない地域でも備えを怠らないで

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(ペイレスイメージズ/アフロ)

人口減少・高齢化が進む中山間地で発生した能登半島地震

2007年3月25日9時42分に能登半島の西方沖でマグニチュード(M)6.9の地震が発生しました。海底の活断層がずれ動いた逆断層型の地震です。地震当日は日曜日で、私は、愛知県の知多半島にある東浦町で防災講演会をしており、強い揺れに見舞われたことを記憶しています。能登半島の揺れは、七尾市、輪島市、穴水町が震度6強、志賀町、中能登町、能登町が震度6弱でした。志賀町には原子力発電所がありましたが、幸い、問題は発生しませんでした。

石川県は、1993年2月7日にM6.6の能登半島沖地震が起きていたものの、大規模地震の発生する可能性が低いとされていた地域です。この地震では、過疎化・高齢化が進行している中山間地域が被災し、石灯籠が倒れてお一人が犠牲になったほか、重傷91人、軽傷265人の負傷者が発生し、686棟の住家が全壊しました。中でも大きな被害となったのは輪島市門前地区や、和倉温泉がある七尾市、穴水町などでした。

總持寺祖院のある門前町

大きな被害を出した輪島市門前町は、その名前の通り、曹洞宗の大本山總持寺の門前町として栄えた町です。地震の前年、2006年2月1日に隣接する輪島市と合併しました。輪島市の財政力指数は0.260で、過疎化が進むまちです。

曹洞宗には、大本山が2つあります。ひとつは福井県にある永平寺、もうひとつは横浜市鶴見にある總持寺です。永平寺は1244年に道元禅師が創建し、總持寺は瑩山禅師が1321年に能登に創建しました。しかし、1898年4月13日に總持寺で大火があり、1911年に總持寺は横浜に移転しました。このため、再建された能登の總持寺は、祖院と呼ばれるようになりました。地震では、總持寺祖院の多くの建物が大きな被害を受けました。

總持寺祖院から4キロ離れたところにある黒島は、江戸時代には北前船の拠点でした。總持寺は輪住制によって、総本山の住職を全国各地の末寺の僧侶が75日づつ交替で勤めることになっていました。輪住制を勤める僧侶は、檀家や弟子など百人を超える人を連れて黒島を訪れました。彼らは、輪島塗の器を各地に持ち帰ったので、輪島塗が全国に知れ渡りました。今でも、總持寺祖院の周辺では、当時の繁栄の跡が伺えます。

温泉地

大きな被害を受けた七尾市には、高級旅館・加賀屋で有名な和倉温泉があります。和倉温泉では、地震で大半の旅館が被災して、ほとんどの旅館が営業停止になりました。ですが、多くの旅館は4月1日までに営業を再開しました。しかし、道路などが開通しないとお客さんは来ません。

金沢と被災地とを繋ぐ能登有料道路は51カ所で被害を受けましたが、迂回路を作るなどして、1ヶ月後には供用されました。また、2003年に開港した能登空港も、震災翌日には運用を再開しました。のと鉄道も3月30日には再開しています。これらによって、被災地支援も容易になりました。ライフラインも、停電戸数 約16万戸の停電、1万3千戸の断水がありましたが、停電は翌日に、断水も2週間程度で解消されました。

石川県には、和倉温泉以外にも加賀四湯と呼ばれる粟津温泉、片山津温泉、山代温泉、山中温泉があります。地震による風評被害で、観光客が激減しました。このため、観光風評被害対策を実施し、石川県は観光客を呼び戻すため、「能登ふるさと博」、「加賀四湯博」などを開催しました。また、石川県能登半島地震復興基金、被災中小企業復興支援ファンドなどの設立支援も行われました。

阪神淡路大震災以降整備された災害対応が生きた地震

地震発生時の政権は、前年の9月26日に発足した第一次安倍政権でした。安倍総理は、地震発生直後の9時45分には緊急参集チームを招集し、合わせて「被害状況の確認と住民の安全確保に万全を期すように」との指示を出しています。午後には溝手防災担当大臣を団長とする政府調査団を自衛隊ヘリで被災地に派遣し、17時には災害対策関係省庁連絡会議が輪島市役所で開催されました。阪神淡路大震災以降に整備された危機管理体制が機能をうまく発揮しました。

また、能登半島地震と新潟県中越沖地震を受けて、生活再建支援法が2007年11月に改正され、住宅再建にも利用できるようになり、両地震にも遡及適用されました。この法律は、「自然災害によりその生活基盤に著しい被害を受けた者に対し、都道府県が相互扶助の観点から拠出した基金を活用して被災者生活再建支援金を 支給することにより、その生活の再建を支援し、もって住民の生活の安定と被災地の速やかな復興に資すること」を目的として阪神淡路大震災後の1998年に議員立法により成立し、2000年鳥取県西部地震の後2004年に改正されました。地震時には、全壊世帯、大規模半壊世帯等の被災世帯に最大300万円の支援金を支給されます。支援金は、被災者生活再建支援法人の基金(都道府県が相互 扶助の観点から拠出)から支給され、1/2に 相当する額を国が補助することになっています。

日本海側で頻発する地震

能登半島地震当時、日本海側では余り地震が発生しないと思われていましたが、1993年の能登半島沖地震以降、1993年7月12日北海道南西沖地震(M7.8)、2000年10月6日鳥取県西部地震(M7.3)、2004年10月23日新潟県中越地震(M6.8)、2005年3月20日福岡県西方沖の地震(M7.0)、2007年3月25日能登半島地震(M6.9)、2007年7月16日新潟県中越沖地震(M6.8)、2016年10月21日鳥取県中部の地震(M6.6)と、マグニチュード7クラスの地震が8個も発生しています。

南海トラフ地震の発生前後には西日本の内陸で多くの地震が発生する活動期を迎えると言われています。地震の発生していない場所では、備えを怠らないでおく必要がありそうです。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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