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“天国にいちばん近い島”の暗黒史――なぜニューカレドニアで非常事態が宣言されたか

六辻彰二国際政治学者
マルセーユの空港からニューカレドニアに派遣される仏軍兵士(2024.5.16)(写真:ロイター/アフロ)
  • 南太平洋にあるニューカレドニアでは暴動の拡大を理由に5月15日、非常事態が宣言された。
  • この地はフランスの海外領土で、暴動の背景にはフランスの植民地主義に対する拒絶反応がある。
  • これと並行して、ロシアの同盟国アゼルバイジャンがニューカレドニアの独立運動を支援しているという情報もある。

 大林宣彦監督、原田知世主演の映画「天国にいちばん近い島」(1984)と聞いてピンとくる人は筆者と同様50代か、それ以上の年代に多いだろう。美しい海と空の映像が印象的だったが、その舞台になったニューカレドニアは今や天国からほど遠い。

植民地としての“天国”

 南太平洋に浮かぶニューカレドニアでは5月15日、非常事態が発令された。中心都市ヌメアでは5月に入って、デモ隊と警察の間の衝突によって5人以上が死亡し、数百人が負傷するに至ったからだ。

 ニューカレドニアはオーストラリアの北東およそ1,300kmにあり、1850年代からフランスの「海外領土」に組み込まれてきた。現在ニューカレドニアでは選挙も行われ、議会や政府もあるが、フランス政府の高等弁務官の監督を受ける立場にある。

 要するにフランス政府が最終的な決定権を握っている

 だからこそ、ニューカレドニアの治安悪化を受けてフランスのマクロン大統領は1000 人以上の警察官を増派し、デモ隊の鎮圧を進めてきた。

 ではなぜ、死者を出す暴動にまで発展したのか。

 抗議活動や暴動の中心にいるのは先住民族メラネシア人(カナック)で、フランスからの独立を求める人々だ。つまり、この抗議活動や暴動にはフランス植民地主義の拒絶という意味があるのだ。

ニューカレドニアは誰のもの

 カナックには以前からフランスからの独立を求める声があった。

 カナックはニューカレドニアにもともと暮らしていた人々の子孫で、かつては人口の大半を占めていたが、現在では全人口の約4割程度にとどまる。

 この地に19世紀からフランス人をはじめヨーロッパ人が数多く移り住み、さらに20世紀初頭にはニッケル鉱山などの開発のため近隣アジア諸国から労働者が移住したからだ。

 それと入れ違いにカナックには土地の多くを奪われ、狭い居住区に閉じ込められた歴史がある。

 このフランスの手法は、ニューカレドニアの歴史に詳しい江戸淳子教授の言い方を借りれば「英国がオーストラリアのアボリジニーに、アメリカがインディアンにとった政策や、南アフリカのアパルトヘイト政策に等しい」(表現は原文のまま)。

 第二次世界大戦後、全世界的に植民地主義が下火になるにともない、カナックにも参政権が与えられた。そして1960~70年代になるとフランス本国での学生運動(パリ5月革命)やアメリカの公民権運動などの高まりを受け、カナックの独立要求も活発になった。

 フランス政府は過激な独立運動を取り締まる一方、カナックが求める土地改革に部分的に手をつけることで、その不満を和らげようとした。

 これに対して、フランス政府以上に“独立”に拒絶反応をみせたのが、ヨーロッパ系を中心とする移住者だった。彼らはフランスの一部であることを望んでいたからだ。

 そのため1980年代には独立派だけでなく反独立派の間からも、政敵の暗殺などのテロが頻発することになった。入植者の子孫が独立に断固反対して対立がエスカレートする構図は、やはりフランスの植民地だった北アフリカのアルジェリアなどでも見られたものだ。

独立の賛否を問う住民投票

 大きな転機になったのは1998年だった。

 この年、フランス政府と独立派、反独立派は自治権の拡大、移住者への参政権付与の制限、そして将来的な独立の賛否を問う住民投票の実施などについて合意したのだ。

 このうち一つのポイントになったのが、1998年以降ニューカレドニアに移住した者に参政権を付与しないことだった。

 というのは、カナックの間には、ヨーロッパ系を中心とする移住者の増加によって全人口に占める割合が下がり続けることへの警戒があったからだ。

 この合意を踏まえて、独立派の要求によって、2018年、2020年、2021年と3回にわたって独立の賛否を問う住民投票が行われたが、いずれも反対多数で否決された

 この投票結果は、カナック以外が人口の多数派を占めるようになった状況で、フランスの一部であることの利益が優先されたためだ。

 しかし、2021年の住民投票に関してはコロナ感染が拡大する状況で行われ、独立派が延期を求めているなかで実施されるなど、やや強引な選挙運営も目立った。独立派がボイコットした結果、投票率は41% にとどまったが、それでもフランス政府は住民投票の正当性を強調した。

フランスによる頭越しの方針転換

 こうして住民投票のプロセスを通じて緊張が高まっていたのだが、その最後の発火点になったのが1998年合意の見直しだった。

 先述のように、カナックの要望を反映して、これまでは1998年以降の移住者には参政権が認められていなかった。ところがフランス議会は5月、「10年以上居住した者」に参政権を認める新たな法律を可決した。

 フランスによるこの頭越しの方針転換はいかにも植民地主義的なやり方だが、ともかく参政権をもつ移住者が増えることはカナックにとって「独立は絶望的」となる。

 ヌメアなどで抗議活動がエスカレートするようになったのは、その直後からだ。

 カナックに独立派が多いのは、文化的アイデンティティなどだけが理由ではない。

 法的には移住者と対等の権利が与えられていても、経済的・社会的にカナックはニューカレドニアの傍流に置かれている。その所得水準はカナック以外の住民と比べて平均32%低い。

 また、ニューカレドニア大学の調査によると、カナックの高等教育(大学など)就学率は3%程度で、移住者の1/7以下の割合だ。逆に、失業率は38%で移住者の4倍以上の水準にあたる。

 つまり、カナックはニッケル鉱山などの権益を握るヨーロッパ系富裕層、中間層を形成するアジア系の下に位置づけられやすいのだ。「この構造を打破するには独立しかない」となっても不思議ではない。

アゼルバイジャンの“干渉”?

 ニューカレドニアでの騒乱が激しさを増すなか、国際的にはフランスとアゼルバイジャンの対立も目立つようになっている。

 フランス政府が「アゼルバイジャンがニューカレドニア問題に干渉し、独立派を支援している」と非難し、アゼルバイジャンの背後には中国やロシアがあると指摘しているからだ。

 アゼルバイジャン政府は直接の関与を否定している。しかし、アゼルバイジャン政府は2023年、ニューカレドニアだけでなくマルチニーク、仏領ギアナ、仏領ポリネシアなど、各地のフランス海外領土の独立派を招いた国際会議を開催し、「植民地主義の完全なる廃絶」を掲げた。

 こうした経緯から、独立派のなかにはアゼルバイジャンの国旗を掲げるデモ参加者もある。

 もともとフランスは、ロシアよりのアゼルバイジャンとの関係が悪化している。アゼルバイジャンと関係の悪い隣国アルメニアをフランスが支援しているからだ。

 そのため、アゼルバイジャンの干渉も全く事実無根とはいえないだろう。

 とはいえ、それがニューカレドニア騒乱の根本的な理由とまではいえない。むしろ、独立派の不満を増幅させてきたのはフランスの植民地主義だからだ

 こうした不満をすくいあげるように中ロがグローバル・サウスに勢力を広げる状況は、冷戦時代もあったことだ。

 つまり、アゼルバイジャンはフランスの“敵失”に乗じているのにすぎず、逆にフランスがアゼルバイジャンを大声で非難するのは自らの失態を覆い隠すものともいえる。ニューカレドニア騒乱の問題は単なる「外国の干渉」ではないのだ。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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